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以下全て殴り書き

11月上旬
「没頭できること」は社会人になるとかなり重宝される。
ただ没頭しにいくのではなく、日常から没頭にある、そんな状態が一番望ましい。
絵を描いているが、絵を描いていない時間は絵のことは考えない。なにを振り切ってでも絵を描くたいとは思わない。
一番没頭できるのはガキの頃から思考や妄想の類である。成長とともに思考の対象は移り変わりはするものの、ここ数年は“心地よさ”、特にここ数年は“苦痛の懐柔”が一番のテーマである。いくら考えようが自身の苦痛が取り除かれるようなアクションがなければ思考は永遠に止む必要性を持たない。が、エンスト気味な車体同様に、人生通していろんなものにガタが出る。すると苦痛の懐柔の方法を考える。考えただけで特になんにも起こらない。自他拘らず、「課題に対して解決策を考える」作業が好きなのであって、その後のことは割とどうでもいい。こんなのだから生活習慣は未だ改善されず、それとない形で、ほどよい苦痛の中で、不幸への盲目の中に暮らしている。

11月上旬
早寝早起きの利点は「脳を動かす時間に制限をかける」ことにある。判断力が鈍り、非理性的となり、そこで生じた過ちにより不利益が生じる。
考えすぎてしまう、考えなくなってしまう、考えることの視野、程度が弱まってしまう。逆に言えば、規定の覚醒時間内であれば理性的に過ごすことのできる時間を担保することに接続する。
散財や暴食、色欲など、望まぬ暴徒化を未然に防ぐための解決策であるとも言える。特にADHDの多動性など、ノンハンドリングな思考にうってつけな筈。
何が言いたいのかというと、脆弱な理性のたかが知れている以上、相応の準備こそが成人としての建設さを、穏やかさを、健やかさを守ってくれるはずなのだと、愚者の27時、購入確認メールを目の前に頭を抱えているわけである。最悪。

11月中旬
羞恥心が特になく、相対的な評価であったり、属性的なポジショニングに悩むことは特にないものの、単に生存のための絶対的な指標が落ちぶれているという感覚はある。人がどうとかではなく、当事者としての苦痛、杞憂の類い。Amazonのほしい物リストを眺めても打開につながるようなものはない。目の前の、器としての身体に、どうしようもない欠陥を感じる。欠損は事故を産み、事故は更なる破損を産み、大いなる損害のリズムの中で、やがて死に至る。かもしれないので死人の暁には立証してみたい。

11月下旬
他人に罹らない暮らしを心掛けた結果、外に出ないことが結論として吐き出されてしまった。いつだって身体のどこかしらが不健康で、不安定で、社会的な振る舞いをするには遠く離れた座標にある。外に出る体力も金も人脈もないのである。外交的な暮らしをしたい、と呟き続け、ここ数年ずっと現状打破できていないのはこの辺りが原因になる。現状こそ変わる変わる四季折々なバッドシチュエーションによって侵食されている。「いつになったら健康になれるんですか」という問いに対して、「死ぬのが一番確実」と返すくらいしか明確な答えを持っていない。
強度のある暮らしができたら望ましい。

追記
筋トレが楽しいので続けていたら贅肉はそのままに筋肉だけがつき始めてきた。形はともあれ流動的な変化で喜べるのはうれしい。

さらに追記
ジムの契約をしたので12月から鍛える。楽しみ。

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