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炎上

2019/2/1

雑な課題レポート書いてて楽しかったので載せる

炎上とは

序章

 今日、インターネット社会とも称される膨大な情報の流れの中に存在する我々市民は、その中でたくさんの知識や見解を得ることができる。Windows95の発売以降一般市民にも開かれたインターネットは私たちを様々な情報へのアクセスを可能にし、無数のコミュニティの形成が行われることになった。インターネットの持つ情報の網羅性は、現実世界を複合、次第に複写するようになり、もう一つの現実世界と呼べるほどのものになった。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の登場もまた、市民の言論すなわち世論の形成において現実の複写性を有したコミュニティの開放を意味した。1995年の阪神・淡路大震災ではインターネットでの生存確認や情報獲得の手段としてその実用性が日の目を浴び、2011年の東日本大震災ではインターネットのさらなる可能性を目の当たりにすることになった。2011以降LINEやAbemaTV、Twitterのユーザー数の増加するなどその後の日本におけるインターネット社会の基軸となるようなサービスやそのユーザーがアクティブに増加していった。2019年現在のインターネットの社会における意味は、蒸気、電力、コンピュータに次ぐ第四時産業革命と呼ばれるほど重要なものである。現に我々市民はもはや必要インフラとしてインターネットを日常的に扱い、それなしでは生活できないほどである。
 そんな中、今日インターネット社会では「炎上」という言葉がよく見受けられるようになった。現実世界、インターネット上での言動に誹謗中傷がインターネット上で寄せられ社会問題とされるのが世論的な炎上の見解である。炎上は社会に対して様々な作用を持つ。炎上の影響で辞職する議員や閉店する飲食店、引退する芸能人、個人情報が拡散され社会生活が困難になる個人など、たかだかインターネット上のムーブメントと呼べないほどのものになっているのが現状である。そこで本文では、炎上の定義や性質、原因、構造、分類、歴史、社会との結びつき、実例、現状について全八章構成で考察、説明していく。論を進めるにあたって「炎上は社会的事象である。」「炎上は社会的事象であるがゆえになくなることは決してない。」ということを仮設に設定する。また、本文の執筆にあたって、日々SNSをはじめとしてインターネットを日々利用する者としての観点や見解、また利用者だからこそどう炎上について接していくべきか、それについてどのような見解を持っていくべきかということを論旨に加え考察を進めていくことにする。

一章

炎上の定義

 先ず炎上について見識を展開する前に炎上の定義を定める。広辞苑によると「インターネット上で記事などに対して批判や中傷が多数届くこと」ことの意ではあるが、この語彙はインターネットの文化から生まれたものである。そもそも炎上という単語が現在の意で扱われるようになったのは、2004年頃からでブログコンテンツが波及に合わせて発生するようになっている。2005年に朝日新聞の記者のブログが炎上し、それに対し山本一郎氏が言及したブログ内で「炎上」という語が確認されている。また「バズる」の対義語として「炎上する」が扱われることがある。「バズる」というのは「俗に、ウェブ上で、ある特定の事柄について話題にする。特に、SNSを通じて多人数がうわさをしたり、意見や感想を述べ合ったりして、一挙に話題が広まることを指す。」ことの意であり、言うなれば正の作用を持つのが「バズ」、負の作用を持つのが「炎上」である。炎上を利用してアクセスや集客を増やす「炎上商法」や「バズマーケティング」という人気商法も存在している。一方英語では「flaming(flame)」と表現する。flameの意の中には攻撃する、非難するという攻撃する側、書き込む側の表現でもある。
 さて、ここでは炎上を「大衆的(マス)な攻撃(負)+メディア(拡散的)=炎上」として定義したいと思う。さらに「大衆的(マス)な攻撃(正)+メディア(拡散的)=バズ」というかかちで「バズる」を、「大衆的(マス)な攻撃(負)+口伝(噂的)=批判/差別」というかたちで「批判」と「差別」を定義したい。因みに「バズる」は英語の「buzz(動詞)」を語源とするものである。本文では炎上を中心的に論旨を展開していくが、結論としては「炎上」「バズ」「批判」「差別」ともにいずれも代替して理解可能であるということを記しておく。

二章

炎上はなぜ起きるのか

 炎上という事象について考えを巡らす時に求められるのは、その構図つまり形相を知るということだ。世には炎上だけでなく幾らもの事象が存在するがそれらは質料であり、形相すなわち本質ではない。それでは炎上の本質とは何だろうか。
 炎上とはどのようにして起こるものなのだろうか。そもそも炎上というものは人為的である。バークリによれば「存在することは知覚されていることである」ということであるが、ようは炎上が存在する以上人に知覚されている事が条件に含まれるという事だ。そしてこのことから炎上は社会的な事象であると言える。社会の定義を「二人以上の人物による相互作用的な営み」だと仮定すると、人の知覚によって存在が認められる炎上は社会的事象であるといってよいだろう。
 炎上が起きるまでに人々がどのように作用しているかを考察する。まず、炎上の題材となるトピックが発生する。それを第三者が知覚する。そのトピックに対し第三者が評価付けを行う。その評価を基にし、投稿作業に移行するか否かを判断する。この時の判断に基準は人それぞれにとってトピックの性質と人の性質によって変容しうる。そして第三者はトピックに対してなんらかのコメント(評価)をつけ投稿する。その投稿が第三者のフォロワー(閲覧者)の目に留まる。そして閲覧者がその投稿を閲覧するか否かを判断する。閲覧すると判断した場合閲覧者はそのトピックに対して各々の評価付けをする。次に閲覧者がトピックに対してつけた評価に則り作用を起こす。ここでの作用は「良いね」「リツイート」「リプライ」「引用リツイート」を扱うTwitterをベースに行う。次に閲覧者がトピックに対する評価を作用化する手段として上記の入力の中から当人にとって最もふさわしいものを選択する。そして閲覧者の作用がタイムラインに記載され、次の閲覧者の目に留まる。ここから先は先に挙げた流れの繰り返しである。
 これらの一連の動きを炎上が起きる所以について考えたときに浮き彫りになるのが行為の中に志向性が存在するということだ。炎上するトピックが起きる際にも人の動機があり、それを知覚するとき、トピックに対して評価付けをするとき、第三者が投稿を行うとき、閲覧者が投稿を見るとき、評価するとき、作用の判断をするとき、そしてその作用をまた他の人が見るとき。これらの動作に全て人が関わっている以上、炎上が生じる際には無数の志向性が働いている。これは炎上だけなく全ての社会的事象に当てはめて言えることである。 
 さて、志向性に関して、炎上が起きる仕組みの一つとして創発規範説を挙げる。創発規範というのは、米国の社会学者R・H・ターナーが提唱した、既存の規範が飽和し機能を果たさなくなったときに、群衆によって新たにその場に応じたときに適切と呼べる規範を作り出すといった理論である。この中には感情や観念や行動も作用の一部として含まれており、これらが総じて均質化する性質がある。例えば、講義中に教授が問いに対して理解できている者に挙手を求めたときに、誰一人として挙手しなかったことによりたとえ理解できていたとしても挙手できない、あるいは挙手しずらいといった心理作用が働くことが創発規範の作用と言える。余談ではあるが、弊学において頑なに講義室最前列から数列に誰も座ろうとせず、部屋の中に意味のあるようでないような空白のような空間が発生する現象が見られるのはこれに起因するのではないだろうかと考える。
 炎上は先に挙げたように「二人以上の人物による相互作用的な営み」から派生して生まれる社会的な事象である。炎上の場合マスメディアを介して不特定多数の目に触れ拡散され、それが閲覧者各々によって処理された情報に為される大衆的評価であることから、これについては言うまでもない。これが炎上においてはトピックの拡散の段階で作用されている。あるトピックが炎上し人の目に触れたとき、そのトピックはただのトピックではなく、炎上しているトピックとして閲覧者の目に触れる。炎上として処理されたトピックは人々の情報処理の段階で「このトピックは既になんらかの問題を孕んでおり、評価および議論の余地がありそれに対し人々が興味を持ち議論を展開し、同時にその炎上を目にした時点で自らもそこに関与しておりその後の動作として多数の選択肢を有している。」という前提を作り上げる。この構図が各人が炎上に触れたときに形成され、その総和が炎上つまり「二人以上の人物による相互作用的な営み」であり、「既存の規範が飽和し機能を果たさなくなったときに、群衆によって新たにその場に応じたときに適切と呼べる規範を作り出す」ことである創発規範のベクトルを定めること、つまり志向性を定めることになる。つまり炎上は炎上として人の目に触れた時点で拡散性や負の作用を有しており、それが人の目に触れなくなる、すなわち人の興味が薄れるまで半永続的に展開されるのである。
SNSの発展とともに炎上の発生数は増えてきている。2010年度の炎上発生数は100件程度であったが、2015年度には1000件を超えておりその増加は著しい。これが何を意味するのかというと、炎上の周期が短くなってきているということである。炎上の周期が短くなり、次から次へと炎上が発生している現状は、人々の関心の移ろいの速度が上がってきているということを指していると考えることができる。
 先に触れたように炎上は志向性を含んでいる。この志向性とは炎上が負の作用、つまり批判や無責任な言論によって晒されたトピックであり、同時に拡散的に機能するように創発規範が働いており、それこそが炎上の構造上の本質であると言えるであろう。因みにこれについては「バズ」も正の作用を持ち同様のメカニズムで発生している。

三章

炎上とSNS

 現代における炎上の苗床はSNSとなるが、それでは何を以って炎上と呼べるのだろうか。ここではTwitterを主軸に考察を行う。まずTwitterには投稿に対して「いいね」「リツイート」「引用リツイート」「リプライ」という反応行為をする事ができる。一番炎上に近しい要素である「リツイート」は、リツイートをしたユーザーのフォロワー全員のタイムラインに同様の投稿が表示される入力である。これがいわゆる「拡散」と呼ばれる事象である。「いいね」はリツイートより比較的拡散力が弱い。フォローしているユーザーの中で複数の人物がいいねを入力した投稿がタイムライン上に投稿される事がある。これはリツイートに対し確実性のある拡散力があるわけではなく、いいねを押したからといって拡散されないことも多々あるが、これも炎上の一因として機能している。「リプライ」は投稿者、つまり炎上している投稿を投稿した張本人のアカウントに直接コメントを送る機能だ。この機能は拡散直接つながるわけではないが炎上には強く結びついている。投稿を目にし、トピックに対してなんらかの評価(主に正負の性質を持つ)を持った人々がその評価を投稿に対して同調/反論/さらにそれに対する反論、と各々の意見を投稿することができる。炎上した投稿にリプライをしただけでは拡散されるわけではないが、その炎上している内容に対する議論の方向性を生成する。これは拡散すればするほど沢山の人の目に止まることとなり、そしてそれを見た人がまたリプライを行い、いわば炎上した投稿自体がそのトピックに関する議論の場として機能する。ここには「マウンティング」という要素が大きく関わる。マウンティングに関してはのちに詳しく記述する。「引用リツイート」はリプライほど投稿自体に対する方向性は持たない。引用リツイートとは文字通り、他者の投稿を引用し、それに対してコメントを残すことのできる投稿形態である。投稿に対するコメントを表示すると同時にフォロワーに対して拡散力を持つ投稿を行うことができる。これもリプライと同様にトピックへの議論の場の提供を機能とするが、リプライとは異なり炎上した投稿自体にツリーとなってコメントが表示されるわけではなく、あくまでも引用としてトピックに対する一投稿となるので炎上その場での議論というより、そのトピックに対しての評価についてそれぞれが炎上の枝葉となり、各々の場で議論が展開されるという形となる。

四章

炎上の分類と史的考察

 炎上という事象を分類的に考察する。幾らの事象であってもなんらかの事象の系譜の上に存在するということを仮定した上で、炎上には特定の人物/事象に対して大衆が注視する、しかもその注視は批判といった評価的行為である場合が多い。つまり負の作用が働いている。炎上は批判系であると言ってよいだろう。特に差別と批判がこれに近似するため、ここではこれを扱う。現在観察することができる炎上を形態化すると以下のように表すことができる。
  
非合理的差別/批判—非合理的に形成された事象に対する負の評価行為
合理的差別/批判 —合理的に形成された事象に対する負の評価行為

 因みにこれに加えて、「バズ」は非合理的に形成された事象に対する正の評価行為/合理的に形成された事象に対する正の評価行為として表すことができる。
 何を持って合理的とするかであるが、基本的には科学的根拠に基づいているか否かという観点で判断されるべきである。しかし、その基準および物差しは帰納的に止揚され続けるものである以上流動的であり、決して断定できるものではないということを念頭に置かなければならない。そもそもトマス・クーンのいうパラダイム・シフトは科学/疑似科学の境界で永続的に行われ続けるものであるため、科学という根拠に対しても注視は無論必要である。またこれらの中には政治的なものであったり宗教的なものや、経済的な問題や文化的な問題写したものが国内外問わず多数存在しており、極めて多様的である。今回の場合は、インターネット上で現在の世論がなんらかの根拠をもとに合理的であるとみなしているか、あるいは非合理的であるとみなしているかという観点で考察を進める。

 ここ数年で起きた炎上を挙げそれらについて考察、また先に挙げた炎上の分類の観点から評価をしていく。

・冷蔵庫炎上
 まずは、東京都足立区のステーキハウス『ブロンコビリー』でキッチンの大型冷凍庫に入りこみ、その画像をTwitterに投稿した件について。アルバイト従業員のAは「バイトなう 残り10分」という文面とともにキッチンの大型冷凍庫に入りこんでいる画像を投稿した。それを見た閲覧者は「【拡散希望】!ブロンコビリーでバイトしている●●専門学校保育科の●●君がお店の冷蔵庫に入って遊んでるよ!!最近あれだけニュースで騒がれてるのに学習能力ゼロだね!!こんな奴に保育されたくないよね!!」と該当する画像を投稿。それがすぐさまネット上で拡散された。Aの投稿からわずか1時間でのことである。自分のした行為が炎上していることに気が付いたAは「いちいち面白がってうぜーな。しらねぇーやつが面白がって拡散とかいってリツイートしてんじゃねーよ。しらねぇーやつなのにいちいちだりーんだよ」と投稿。この投稿がかえって拡散を加速させ、翌日にはバイト先本社にクレームが殺到、本社はすぐに当店舗とAの解雇を発表した。この段階で全国紙の夕刊にこの話題が掲載されていた。同店はその翌日に冷凍庫の消毒作業をして、営業を再開する予定だったが「会社としてどんな指導をしているのか」「解雇だけでは生ぬるい。もっとAくんに厳しい処分をしろ」などとの批判をさらに受け、さらに5日後、同店の閉店が決定した。
 
・ジェンダーPR炎上
 次に、ジェンダーに関する炎上を取り上げる。2016年鹿児島県志布志市が動画投稿サイトYouTubeに投稿したふるさと納税PR動画「うな子」が炎上した。この動画はふるさと納税を推進するために志布志市が主導で製作撮影したショートムービーである。内容としては、スクール水着を着た女性モデルが「養って。」と言い男子高校生のモデルが学校のプールで「飼育」するというものである。映像的には綺麗で幻想的な画となって仕上がってはいるものの、表現は非常に性的(男性目線)でありその点が炎上の原因となった。この性的な表現は志布志市のふるさと納税の対象であるうなぎの比喩となっており、うなぎの滑りを表現させるために女性モデルにローションを持たせたりとジェンダー的に問題があるネット上で「性差別的」「変態的」と批判を浴びた。これについて朝の報道番組『とくダネ!』(フジテレビ系)の特集内でも議論がなされ(この議論の内容にも批判が相次いだ)、フランスのAFP通信や英公共放送BBCでも取り上げられる事態となった。これを受け志布志市はチャンネルの動画を削除し現在は視聴できないのが現状となっている。(コピーの違法アップロードは多数存在)この件に関してネットでは「炎上商法」であるとの意見も多数見られている。

・アパホテル炎上
 次は国際的問題を孕んだ炎上について取り上げる。2017年、中国版Twitter「微博」に、中国人男性と米国人女性の大学生の二人が動画を投稿した。彼らは日本のアパホテルのホテルに宿泊すると、南京大虐殺や慰安婦を否定する内容の書籍が室内に置いてあった。そしてその著者がアパグループの代表であったのである。これに対し「微博」では中国人観光客はアパホテルを利用すべきではない」という旨のコメントが溢れかえる事態となり、日本国内でもこの件について「アパホテルは政府の見解を代弁する組織ではなく、いち民間企業ですから、気に入らなきゃボイコットしたらいい。日本で報道する際も、ホテル経営者の歴史観でなく、中国政府により圧力を受け兼ねない状況と、言論弾圧について問題視すべきと思う。中国での商売は簡単じゃないよって警鐘を鳴らす意味で。」や「アパホテル、泊まったことないけど「本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます」正論だと思う、そもそも一企業がどういう歴史認識をしようが、自由じゃないのかな?」という旨の批判の投稿が拡散され炎上に追い打ちをかける形となった。後述した二つの投稿はいずれも1600いいねと750いいねを集めている。最近では百田尚樹の『日本国紀』(幻冬舎)が炎上しており、これらはその炎上の延長に日本国政府や政治家が絡んでいるなど、いずれもインターネット内での批判の軸を超え国際問題政治問題に影響を与える事態にまで発展したモデルであると言える。

・ZOZO前澤氏バズ
 炎上ではないもののバズのジャンルでも大きく話題を読んだのがZOZOTOWN社長の前澤氏の2019年1月5日の「ZOZOTOWN新春セールが史上最速で取扱高100億円を先ほど突破!!日頃の感謝を込め、僕個人から100名様に100万円【総額1億円のお年玉】を現金でプレゼントします。応募方法は、僕をフォローいただいた上、このツイートをRTするだけ。受付は1/7まで。当選者には僕から直接DMします! #月に行くならお年玉 」という内容のツイートが500万リツイート、140万位いいねを超えたものである。ちなみにこのリツイート数は世界最高記録である。このように影響力のある人物による「バズ」も多数存在する。ちなみにこと「バズ」に対して疑問や批判の意見を持った人々による投稿が炎上を呼び起こしたりするなど大きな話題を呼ぶことになった。

・癒し系バズ
 また別の種類のバズとして犬や猫などの動物の癒し系の画像付きの投稿がバズることも多々ある。「最近、カエルの写真よく見るけど ワイの実家の洗濯竿にいるカエル見てほしい」というこの投稿は35万いいねを集めている。こういった動物系の投稿は政治や経済や文化的に問題にかかわらず安定した拡散力を持ってバズっているというのが炎上である。また癒し系の他に あるある/衝撃/おもしろ/社会問題(風刺)など様々な種類が確認される。そしてしばしばこういったインターネット上でのバズを起こした投稿が『世界衝撃映像100連発』(TBS)のようなテレビ番組で取り上げられインターネットからテレビに輸入する形でそのまま放送されることもある。

 冷蔵庫の件のようないわゆる「悪ふざけ」系の炎上や、「うな子」のようなジェンダー系の炎上、アパホテルのような社会問題に対する炎上を取り上げたが、炎上が人為的に起きる以上人の数だけ炎上の種類があるといっても過言ではない。ここ最近では社会風習、例えばブラック企業や先に挙げたようなジェンダーに関する社会問題など数年SNSをしているだけでも目で追えない程度に炎上の種類は多様化している。そしてこれらの炎上はなんらかの事象に対する第三者たちの合理的な批判の集合である。悪ふざけの炎上にしても、ジェンダーの問題にしても、その他様々な社会問題に対して「〜が良くない」「〜が問題だ」とコメントする人や、そういった評価の元にいいねやリツイートで評価づけする人の行為が作用となっていわば集合知のような形となって携帯化されたものが現代の炎上であると言える。
 ここまで挙げた炎上はすべて合理的差別/批判に値するものである。、では非合理的差別/批判はどのような場合に適応するのか。それは科学革命以前の「炎上」の中に在る。科学革命を経て、人類はガリレオ・ガリレイのエネルギー保存の法則やアイザック・ニュートンの運動方程式、アルバート・アインシュタインの相対性理論など、現在の科学に通ずる万物に対する見解の一つの解を得た。これによってそれ以前の非科学的な迷信や風習
が一蹴されることとなった。天動説から地動説への移行をコペルニクス的転回と呼ぶように、それまでの文化、価値観にパラダイムシフトが起きたのである。ここで注目したいのは科学革命以降の科学的実証により差別の種類が刷新したということである。合理的差別/批判が現代の炎上に値し、それが化学的実証によって裏付けられていることから、科学革命以前の実証を伴わない炎上はそれ以前のものであると言える。そしてそれらは現代の炎上以前の姿、原始的な批判と差別から生まれた世論である。。ここでは化学以前の「炎上」を考察することで現在の炎上の根本的な本質を捉えることを試みとする。加えてここでは、もはや炎上と呼べるか定かではないが、炎上の起源は批判と差別にあることを前提においた上で「炎上」という言葉を使用する。

 ここからは先史をもとに炎上および批判や差別の例を分析していく。まずは16世紀後半から17世紀にかけてヨーロッパで行われた魔女狩りについて。魔女狩りは魔女とされた被疑者に対して法的手続きを経ずに私刑等の迫害を行なったことを指す。ここでいう魔女とは超自然的な力で社会に害を出すとされた、または疑われた結果魔女裁判や取り調べ、拷問を経て魔女とされた者である。先に科学革命の話を挙げたようにこの魔女という概念や魔女狩りは科学的根拠に準じない非合理的文化であるものの、当時は火あぶりや絞首などで15世紀から18世紀にかけてヨーロッパにおいて4万人から6万人が処刑されている。これは先に挙げた創発規範などの社会的作用に基づくものと考えられる。また、魔女狩りの先導となったのが教会や世俗権力の側ではなく民衆であったということも創発規範的社会運動であったことを裏付けている。

・えたひにん
 奴隷制度も同様に非合理的差別/批判であると言える。ここではかつてに日本に存在したえたひにんという身分制度を取り上げる。えたひにんというのは中世以前から見られる身分制のことで、神道における穢多の観念から穢れ多い仕事をする人々や穢れ多い罪人、またそのような部族やその部族が住む地域を指す。ひにんは「非人(ひとにあらず)」の意であり同様のものを指すまた穢多は職業にかかわりなく血縁的に代々継承されていた。。扱いとしては非人身分で、祭事厳禁であったり居住地に制約が設けられたり、えたひにんの為の苗字も存在していた。これもいうまでもなく科学的根拠に則ったものではなく非合理的差別/批判である。えたひにん制度は平安時代から存在し江戸時代に制度として確立したものの、明治時代には廃止されたということも特筆すべき点である。

・ナチス
 科学革命以前のものが非合理的差別/批判であると述べたが、科学革命以降であっても科学的根拠に則ることなく社会的差別/批判、また国際的衝突を引き起こしたものもある。1933年から第二次世界大戦が終結する1945年まで存在した、アドルフ・ヒトラーによるナチスがこれに当たる。ナチスは全権委任法を用いて政権掌握をしたのちに国権を支配し、プロパガンダで戦時下の国民のイデオロギーとして非科学的な国民性や人種差別を行った。これによって大量のユダヤ人が迫害されたホロコーストが起きるなどした。これもやはり戦争という非日常的な社会空間によって生み出された創発規範的な非合理的差別/批判な例である。1800年代後半に米国で結成された白人至上主義秘密結社のKKK(クー・クラックス・クラン)もこれと同様な構図であるといってもよいだろう。

 ここまで見てきた通り「炎上はなんらかの事象に対する第三者たちの合理的な批判の集合である。悪ふざけの炎上にしても、ジェンダーの問題にしても、その他様々な社会問題に対して「〜が良くない」「〜が問題だ」とコメントする人や、そういった評価の元にいいねやリツイートで評価づけする人の行為が作用となっていわば集合知のような形となって携帯化されたものが現代の炎上であると言える。先に述べたものと照らし合わせても、現代の炎上と科学革命以前の炎上は構造的には根本的には同じものであるといえる。差異があるとすればインターネット上での拡散性や双方向的なレスポンス性の優位、そしてそこに認められる合理性の有無である。これらのことから史的観点で考察した結果炎上はあくまでも差別や批判の延長上であると言える。差別史、批判史の系譜の上にインターネットの時代に適した形で炎上というものがあるべくしてある、というのが我々が炎上に対して持つべく望ましい見解であろう。

五章

炎上の構造-確率的分析-

 炎上という行為がメディアの中で存在する以上それは情報を介して生じている事象であることは明白であり、つまりそこに二進法的な情報処理が存在していることを意味する。
シャノンによれば、事象が生じることは情報の発生であり、事物の全てには情報が付随される。さて、ここではシャノンの情報理論を元に炎上を構造的にかつ情報的に考察する。炎上の構造については「炎上とは」の項で提唱したモデルを参考に検証の場をTwitterに仮定する。つまり炎上が生じる確率、つまり情報量を計算し、Twitterで発する炎上を構造的にみていく。なおここでの炎上はあくまでも理論値であり、与えられた炎上のモデルの規定内のみでの分析である。よって社会状況や人の思考群など、検証の上で想定できない部分については割愛する。したがって最低限炎上に適応できる範囲での演繹的なものになることを前提に置く。

1/2×1/4×1/2×1/45000000×1/400

 これが炎上が発生する可能性についての簡略化した計算式である。第三者が投稿を閲覧する確率が1/2、評価する場合の確率がTwitterにおける評価のコマンドが4通りなので1/4、それを投稿するか否か選択する確率が1/4、言語の壁を考慮した上での日本国内のTwitter月間アクティブユーザーは4500万人そして1ユーザーあたりの平均フォロワーは約400人ということである。
 結果として2070億分の1、つまり11億ビットの自己情報量を含んでいるということになる。このことから炎上が発生するにあたって多大な情報量が生まれていることがわかる。さてここで注目したいのはこの数値自体ではなく、この数値に至るまでの構図である。アクティブユーザー数と平均フォロワー数は実際の絶対的な数字なのでどうすることもできないが、我々が炎上に接するときに発生する情報、すなわち閲覧/評価/投稿については吟味可能であるという点である。
 今日ではフェイクニュースと称される炎上を目的とした投稿や、炎上商法など炎上を利用した情報の発信が多々見られる。社会問題を嘘偽りなく提起して、然るべくして炎上する投稿もあれば、そうでないものも存在するというのが現在のSNSの現状なのである。例えば後者が政治や経済に利用されると社会に大きな影響を与える大問題になりかねない。前回の米国選挙時にトランプ氏やヒラリー氏に対するフェイクニュース報道が見られたように、国政にすら影響が出る場合すらある。こうなったときに我々情報の受け手としてできることは炎上の構造を理解し、それを本当に評価していいのか、拡散していいのかということを吟味することである。このことからわかるのは我々が炎上を情報として処理する際に注意すべき部分は、それが自己にとってどのような情報であるかという処理の段階であることがわかる。炎上を処理する時に発生する情報処理は先に挙げたように途方もないものである。だからこそ、その事象がどのように見えているか、どこが気になるのか、何が問題なのか、それに対して自分はどう思うのか、こういったことに対して能動的に疑問符を持って接することが重要なのである。受動的にこれらすべての情報を処理すると、途中に介入されている可能性があるアジェンダセッティングや、ピグマリオン効果をそのまま受けた状態で、つまり誰かの都合、思惑、思想によって歪められた情報を受容することになってしまうのである。

六章

炎上とマスメディア

 マスメディアにおける炎上は総括的、表面的、遅延的である。炎上はあくまでもSNSが炎上の苗床となっており、それをトピックとして記事や番組で放映するのがマスメディアの炎上に対する接し方となっているのが現状だ。その理由として第一にマスメディアはSNSに対して即時性が薄い。トピックが発生したという情報を手に入れ、取材へ向かい、その情報を映像や原稿として編集し、アナウンサーに読ませたり記者に記事を書かせて放送および刊行できるのがテレビと新聞の情報発信の手順なのに対し、トピックが起きたその場で映像や写真ないし文章でその様子を記すことで世にトピックの発生と状況を発信することができる。テレビや新聞のプロに対し、その技術に依る部分もあるものの、そもそもその事象がトピックとして成立する時点でトピック性にゆるぎはないものであるのでトピックが発生したという事実自体であれば即座に世に送ることができる。さらにマスメディアはSNSに対し拡散性が比較的薄い。コメントや評価(Twitterの場合はいいねとリツイート)ができる点はレスポンス性において極めて重要な働きを持つ。マスメディアは一方的な情報の送信であるが、SNSでは双方向での情報のやりとりがなされる。トピックに対し閲覧者がコメントをし、それに対し新たなレスポンスがつき、その内容がまた炎上を発生させる。また情報の複写性があるため、同内容の情報を多数のメディア(アカウント)が発信することで拡散性が増大することもあり、現在ではSNS発信の情報を大手マスメディアが報道することが多々ある。また、現在炎上という言葉はマスメディアの議題設定などさまざまなフィルターや歪みを経た上で、「インターネットの中で話題になっている、大きく批判されている事象」として表されているが、先にトピックがインターネットからテレビに輸入するモデルについて言及したものも同様の構図である。
 かといってマスメディアの全ての情報が総括的で表面的で遅延的なわけではない。例えば災害報道や裁判報道や政治報道など、記者クラブなどのマスメディア独自のシステムからしか発信できないトピックなどは依然マスメディアの情報発信が優位である。あくまでもSNS発信のトピックがその中で優位性を持つだけの話であって、どちらが良い悪いという評価ができるとは断じて言えない。
 しかし、マスメディアからの輸入ではない形で災害報道を行なっている組織も存在する。災害情報は基本的にSNSとマスメディアはほぼ同時に発信されるが、それはマスメディアの持っている気象庁の災害警報の発信に関する情報収集/処理のシステムがあるからである。しかし「特務機関NERV」という組織はマスメディアの有する報道システムに依存することなく、主に災害情報を発信している。特務機関NERVは地震、気象、交通、停電などの情報を速報で発信する。特務機関NERVはTwitterで活動しており、フォロワーは2019年1月段階で65万人である。日本の気象庁公式Twitterアカウントが30万フォロワーであることからSNSにおける情報の拡散の優位性は明らかである。特務機関NERVのう情報ソースは専用線と独自のプログラミングであり、テレビ局同様に専用線を敷いているためテレビの災害速報と同じ精度と速度で情報をSNS上に発信している。米国のAxiosというオンラインメディアも独自性のある報道内容で2017年の米国選挙に関する大量のスクープで注目を集めた。
 このようなインターネット、マスメディアの垣根を超えて活躍するコンテンツの登場は我々の情報に対する日常に対する接し方をこれからの技術の進歩に応じて大きく変える可能性がある。同時にそのような情報に対する我々市民の姿勢も深く問われることになるだろう。

 
 
 

七章

未来の炎上

 この先起こり得る炎上はどのような事象として捉えていくべきであろうか。ウェブ2.0以降、炎上は流動的で膨大な情報を纏い帰納的な働きをするようになった。ここでは、2018年の段階で生じている新しいパターンと言って差し支えのない炎上をベースにこの先の未来で生まれ得る炎上の形を考察していく。
 現在頭角を現しているのがインフルエンサー的炎上だ。インフルエンサーというのはSNSを運営していている影響力の強い個人のユーザーである。企業(アパレルやコスメ系が主流)がインフルエンサーに目をつけ、インフルエンサーは報酬を受け企業のPRしたいコンテンツおよび製品を投稿する。フォロワー数役40万人のアパレル系インフルエンサー「げんじ」は一回の投稿で1000個単位で売り上げを企業側にもたらしている。
 既存の広告スタイルは企業が広告代理店に自社の製品のPRを目的とした広告の製作を依頼し、作られた広告がテレビ曲にはCM、新聞や雑誌には広告欄という形で掲示させるとう構図で成り立っている。ここで動く資金をテレビCMで考えた時で考えた時、大企業で大体的に売り出したいプロダクトの場合CM製作数千万円、キー局のゴールデンタイムで15秒のCMを一ヶ月抑えた場合200~500万円が生じる。
 インフルエンサーの場合、プロダクトを紹介するのはインフルエンサー自身となるので広告の制作は必要ない。また、相場として1follower=1円となっているのでマスメディアに広告を掲載するコストと比較すると比べ物にならないほど安い。
ちなみに、「1投稿で1億円稼ぐセレブ」という存在が世間を賑わせているが、その中でも影響力を持つとされている米国のモデルのカイリー・ジェンナーは約1億1100万人のフォロワーを有し1投稿100万ドル(1億1000万円)で企業案件をこなしている。これほどのインフルエンサーであれば案件を依頼するだけでマスメディアと同等程度の資金が必要となってしまうが、その費用対効果を考慮すればSNSをメディアとして扱うインフルエンサーの方が有利と考えることができる。第一にインフルエンサーの苗床であるSNSで彼らの投稿に目を触れることができるのはフォロワーだけである。SNSにはタイムラインという自身がフォローしたユーザーの投稿だけが表示される機能がある。SNSの利用者はこのタイムラインを元に様々な情報を得ている。ここで重要となるのがフォロワーというコンテンツ内役割だ。先に述べたようにタイムラインにはユーザーがフォローしたユーザーの投稿しか表示されない。つまり、この人の投稿する情報を得たい、見たいという動機の元に形成されているのがフォロワーである。したがってフォロワーというのは指向性を持った一定の支持層ということができる。
 この指向性という要素を引き合いにテレビCMとSNSのタイムラインという広告の媒介部野を考えた時に、ジャンル、タイミング問わず受動的に広告が閲覧されるテレビCMに対し、SNSのタイムラインは利用者が見たいと思ったときに見たいと思った人の情報(ここで介されるのが広告)を閲覧するという「フォロワー」という指向的役割を元とする能動的な情報の処理をすることになる。これがインフルエンサーが広告という消費経済的コンテンツの中で重要な意味をもつ一因である。
 さらにインフルエンサーは大前提として大量のフォロワーを有している。炎上の定義として「沢山の人の目に留まること」があるが、インフルエンサーはこれをコンテンツとして条件的に満たしている。つまり炎上を前提とした新たなビジネススタイルなのである。これがこの先起こり得る炎上のモデルの一つである。しかし、炎上やビジネスが流動的である以上このようにしてインフルエンサーが炎上を円環としたビジネスモデルで活躍する可能性もあるし、はたまた全く異なった形の炎上が生まれている可能性もある。ここで紹介したのはあくまでも現状起きているインフルエンサーマネジメントを元にした炎上モデルの考察である。とは言っても実際、フォロワー数が1万人を超えるとアパレルやコスメ系の中小ブランドからインフルエンサーとしての案件が依頼されるというのが現状である。それほどにインフルエンサーという存在は広告モデルの中で価値を置かれている存在であり、また炎上がビジネスへも影響を与え得ると考えることができるということである。

八章

炎上に対する見解

 ここまで炎上の性質や構造などについて様々な観点から考察してきた。冒頭で設定したように本文における仮説は「炎上は社会的事象ある。」「炎上は社会的事象であるがゆえになくなることは決してない。」である。ここでは最後に、一章から七章で展開した見解や考察を元にこの仮説を検証する。
 まず、「炎上は社会的事象である。」という仮説であるが、これについては一章で「大衆的(マス)な攻撃(負)+メディア(拡散的)=炎上」と定義した部分に対して、大衆すなわち人の総体とメディア(拡散的)という箇所が社会は「二人以上の人物による相互作用的な営み」であり、メディアにおける拡散という行為も同時に二人以上の送り手と不特定多数の人物を必要とする者であるので炎上が社会的作用であるということの証明となる。現代における炎上はSNSを苗床としており、SNSは現実社会のに対して複写性を持つため社会的作用に基づくものであると言える。また二章以降、炎上は創発規範的事象であるということを提唱した。創発規範は社会規範を円環的に構築する作用である。これは「炎上は社会的作用である。」という仮説に対して最も的確な説明になっている。また五章では炎上を情報理論をもとに構造的に考察した。ここで「我々が炎上に接するときに発生する情報、すなわち閲覧/評価/投稿については吟味可能であるという点である。」と述べ、我々が炎上に触れる時に社会的作用が生まれ、その接し方や対する姿勢にの重要性についても言及した。このように炎上は様々な角度から社会と極めて密接に関係していることがわかった。
 次に「炎上は社会的事象であるがゆえになくなることは決してない。」という仮説の検証ともに我々が炎上に対して持つべく見解を紹介する。SNSのみならず、世界を社会を生きる時に求められるのは倫理である。SNSの発展とともに「メディア・リテラシー」という言葉がよく扱われるようになった。全米メディア・リテラシー協会学会NAMLEは「メディア・リテラシーとは、あらゆるコミュニケーション形態を用いてアクセス、分析、評価、創造し、行動する能力である。もっとも単純な用語としては、メディア・リテラシーは伝統的なリテラシーを土台とし、新しい読み書きの形態をもたらすものである。メディア・リテラシーは、人々を批判的に思考し、かつ創造し、効果的にコミュニケーションするアクティブな市民にする。」というのがメディア・リテラシーの定義としている。つまり情報に対して批判的にかつ想像的に思考しインターネット上での情報のやり取りを有意義なものにするものがメディア・リテラシーであるということだ。炎上がどのようにして起き、その根元にはどのような所作が含まれるのか、そしてその炎上が情報として自らにどのような影響を与えるのか、社会にどのように作用するのか、その際にSNSやマスメディアはどのように機能するのか、そしてこれらを踏まえてどのように情報を処理すべきなのか。これらの一連の認識が可能な時に漸くメディア・リテラシーがあると言えることができよう。 しかし、これはあくまでもメディア、情報、炎上に対する接し方の一つなのであって、炎上の起きるという事象自体に対する知見ではない。
 最後に炎上はオートポイエティック・システムに準じているということを提唱したい。ウィーナーはサイバネティクスという理論で生物と機械における情報の処理は統合的に考えることができると提唱した。本文では生物は市民にあたり機械はインターネットに値する。これらの動きを統一的に考えたときに、「炎上は社会的事象である。」という一つめの仮説への解の一つとなるのであるが、ここにオートポイエティック・システムが適応されるという見方をすることができる。オートポイエティック・システムというのは生物の動的平衡的なメカニズムを閉鎖的であり、自己準拠的であるとする理論である。本質からいうと、あるシステムが成立する前提条件をシステムが回ることで生成し続けるシステムを指す。つまり存在することの証明/維持は存在することによって証明/維持されるという自己言及的な生物のシステムに対する見解である。このオートポイエティック・システムは生物学と物理学の観点から生まれたものであるが、すでに経済学や心理学、教育学、そして社会学にも適応され研究が進められている。ここで扱いたいのは社会学におけるオートポイエティック・システムの展開である。社会はコミュニケーションを生みコミュニケーションによって社会が維持されるということが社会学におけるオートポイエティック・システムである。これは現実世界におけるコミュニケーションの自己準拠的な説明となっている。これを本文での理論の展開に適応すると社会はインターネットについて複写的に言及しており、コミュニケーションつまり現実世界で生まれた情報がインターネットでも同様にコミュニケーションの対象となり、その中でトピック性を持つものが炎上になるということができる。つまりここから言えるのは、インターネットが社会的な事物でありそこに現実世界の複写性が作用される限り、現実世界でのコミュニケーションはインターネットでのコミュニケーションに値し、それによって社会およびインターネットのシステム上の存在の維持がなされているということである。そこに炎上が生じるのは、炎上が社会的事象である限り理論上永続的なものであり、それが失われることは決してないのである。ここから「炎上は社会的事象であるがゆえになくなることは決してない。」という仮説の順当性を導くことができる。つまり、どれだけリテラシーがついたとしても円環論的にいうと炎上がなくなることはなく、それが人為的である限り自己準拠的に社会円環は発生し続け、それは我々が社会を営んでいるがゆえの必然の作用なのである。従って、炎上という事象に対して懐疑的なったり否定的なることよりも、炎上がどのようにして起き、その根元にはどのような所作が含まれるのか、そしてその炎上が情報として自らにどのような影響を与えるのか、社会にどのように作用するのか、その際にSNSやマスメディアはどのように機能するのか、そしてこれらを踏まえてどのように情報を処理すべきなのかを、本文で挙げたような炎上に対する知見をもとに然るべき態度で接し、正しく世界を理解するということが今日の情報社会を生きる我々市民が持つべき姿勢であるということをこれを通して提唱したい。また、メディアについて学弁を励むものとして、情報社会を生きる市民の一人として自分もこういった姿勢を失うことなく、公衆として誠実に生きていきたい。

参考文献
西垣通(2013)『集合知とは何か』中公新書
著: W・リップマン 訳: 掛川トミ子(1987)『世論(上)』岩波文庫
福岡伸一(2017)『動的平衡』小学館新書
田中正人(2015)『哲学用語図鑑』プレジデント社


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