チーズフォンデュ そう聞いて思い返すのは、小学校の時に通っていたサッカーチームで一番に親しくしていた子の家の記憶だ。 大きなテーブルを囲む、キルト生地の肌触りの良いソファに僕らは弧の字に座っていた。 しつこさを感じさせないユーモアを持つお母さんが、 僕ら子どもへバランスよく話題を振りながら、食事とドリンクを配膳した。確かケージにペットも飼っていたかも。 なんか、理想的な食卓そのものだなとその時は思った。
雑貨屋によるとついみてしまうのが、ポーチ。 自分は何かと、何かを何かで包むことに安心感を覚える。 ハンドクリームがわりのニベアを、ダイソーに300円で売っていたペンドルトン生地のポーチに。 今日は読むぞと意気込み選書した本を、北海道は昭和新山熊牧場お土産限定の巾着に。 目薬を、sonyのイヤホンに付属していたがまぐちタイプのケースに。 バッグの中を覗くとそんな”包み”ばかりで、 不思議と高揚する。なんだろうこの満足感は。 ニベアの蓋が勝手に開くことを防ぐから? 本の四隅が
鬼役のメンタル
夢の話が好きだ。聞くのも、思い出して話すのも。 正直、大喜利的なニュアンスを求めていて、面白い夢の話ができることは一種ステータスだと思っている。 突拍子もなく、無秩序で、ドラマチックなオチがあったりなかったり。 何もかも自由な「カオス」を、実体験のようにスムースに話せるって、不思議すぎる。 そんな夢の見方における最強のカードは、明晰夢である。 何をしても実生活つまりは周囲になんら影響を与えない夢空間において、 今自分がその中にいると自覚できるなんて、想像しただけで胸が高鳴る
自分は音楽フェスというものに行ったことがない。 正直コンプレックスのように思っていて、インスタグラムのストーリーにフェスの様子が映ると、羨ましくてつい飛ばすように素早く右へとタップをしてしまう。 「音楽と、それに包まれた空間をたのしむ」という命題のみを共有した、たくさんの人たちが一堂に集まり、ステージへ視線を集め、高揚する姿はとても眩しく見える。 いつかそんな大きなものに呑まれてみたいと、何度となく思った。 でも、音楽の楽しみ方を自分はあまり知らないと思う。 知らないという
not too late