私の葬式に流す曲
彼に私の好きな曲を勧めたら、
「死にたくなるような曲だね」
と言われたけど、いまいち意味がわかりませんでした。
でも、
透き通る空が広がる寒い夕方、
その曲を聴いて返していたら、
彼の言葉は悪い意味ではなかったとなんとなく気づきました。
何もかも完璧だったのです。
青、緑、黄色、橙とグラデーションの空、
米粒のように小さく見える飛行機、
吹き抜ける風に揺れる私のセーラー服。
私は中学から使っていた少し壊れかけた自転車に乗り、有線のイヤホンをして緑のiPodからその曲を聴いてました。
何もかも素晴らしい状態のとき、
完璧と感じたとき、
これ以上のことはないと感じたとき、
死にたいって言葉が出るんじゃないかと、
私は思うわけで。
きっと彼は彼なりの完璧を感じたのでしょう。
彼に言われて思い出しましたが、
彼に聴かせたその曲を、私のお葬式に流そうと決めていました。
震災後の計画停電の夜、
少し欠けた月を見てその曲を聴いていたときそう思ったんです。
そのときも、そう、確か完璧でした。
死にたくなるなぁではなく、死んだ時に流そうと思ったのですが。
まだ見ぬ孫にそのCDを渡せば流してもらえるかしら。
CDプレイヤーがそのときまだ残っていれば良いんだけど。
まとまりのない駄文ですいません。
自分の葬式で流したい曲を高校生の時に決めたことを思い出し書きました。
オーストラリアのThe Vinesというバンドの、1969という曲です。
エッセイ?短編?よく分からんです。
なんだか創作意欲の湧かない日々を過ごしていますが、少しずつ再開できればと思っています。
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