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【白4企画応募】老婆の独り言


ガタンと列車が揺れた。
先ほどまでいなかった老婆が、向かいのボックス席に座っていた。

古めかしい着物の老婆は黄みがかった白髪をまとめ、
品よく席に腰かけていた。

カタンカタン、
カタンカタン。

山間を縫うように列車は進む。

老婆の様子を窺っていると、
ふうっと一息ついてから口を開いた。

「私は鬼ヶ島へ向かっているんですよ」
老婆は目を伏せながら口元を緩ませている。

「桃太郎の話、ご存知でしょう」
数秒おいて、はぁと気の抜けた返事をした。

「鬼ヶ島まで随分時間がありますから、」
カタンコトン。

「私の話を、少しさせてくださいな」
老婆の濁った目がこちらを見る。


カタンカタン、
カタンカタン。


列車はトンネルに入り、深い深い山へ入っていく。


桃太郎のお話、聞いたことはありますでしょう。
そう、その桃太郎は私の夫なのです。
彼が鬼退治をし、鬼ヶ島から村の娘を助けたという話が残っていますが、あれが私なんです。

鬼ヶ島から村へ帰ったあと、私と彼は祝言をあげました。桃太郎は私に優しく、ただただ普通で、穏やかな人でした。


鬼ヶ島へ行く前。
私は、とある村の百姓の娘でした。

薄茶色の畑、
村を囲む山たち、
足元で咲く小さい黄色い花。

頭上でピョロピョロと鳴く鳥、
黄土色した顔の両親、
さらさらと流れていく川。

ここから出られない、と思わせる山々は、
私を見張るように聳え立っておりました。

日の出と共に畑へ繰り出して、
日没と共に布団に入る。

山に囲まれたその村では、
平穏で平坦な日々が繰り返されていました。


あるとき、
海の向こうにある鬼ヶ島の鬼が人里を襲い、
金銀財宝を奪っていくと耳にしました。

鬼ヶ島は草木が育たない灰色な世界で、
煮えたぎった池や針のようなとんがった岩山があり、
それはまるで地獄さながらの場所なようです。

「おお、こわいこわい」

私はそう口にし、気づきました。
私の声色には恐れなんて微塵もなく、
好奇心で満たされていると。

それもそのはずです。
昨日も今日も明日も変わらない私の毎日に、
鬼という非日常が現れるかもしれないのです。

その日は轟々と風の強い日でした。
山の木々は、まるで妖のように右へ左へ大きく揺れ動いていました。
父にも母にもこんな日は外には出るな、
と口酸っぱく言われました。

「厠に行ってくる」
家のすぐそばにある厠を目指すふりをし、
こんな風の強い日は何かあるだろうと胸を躍らせ、
暗く深い夜に身を投げ出しました。


強い風で雲が流され、月明かりの良い夜でした。
目が夜道に慣れてくる頃、ふと赤光りした人のような何かが目に入りました。


それはいけない光だと直感は働きながらも、
私は飛んで火に入る夏の虫。
その赤い光に吸い込まれるうように足を進めました。

「誰だお前」
風が轟々と鳴っていましたが、彼の声はよく通りました。よく目を凝らすと、赤光りしていたそれは赤鬼だったようです。


白く艶やかな角、
激しく燃えるような色の肌、
秋風のように涼しい面持ち。

不思議と怖くはありませんでした。

「お前、ここにいると危ねえから家帰んな」
月明かりに照らされた彼の顔を見つめていると、そう声をかけてくれました。

その赤鬼の話によると、
他の仲間が村の娘を攫ったり、
食料や宝物を盗んだりしているそうで、
赤鬼は仲間を待っているようでした。

「その宝や娘たちは鬼ヶ島に行けるのですか」
赤鬼はあぁ、まぁと気の抜けた返事をしました。

私は平坦な日常に、正直飽き飽きしていました。
取り柄もない百姓の娘の私。
一生畑を耕して死ぬなんて。

月が雲に隠れます。


「私も連れてってもらえないでしょうか」
赤鬼は鳩が豆鉄砲を喰らったように目をパチパチさせ、
死にたいのかと呟きました。

隠れた月が顔を出して私の頬を照らします。

「おんなじ毎日を送っているのですから、私は死んでいるのも同然です」
赤鬼は私がそう言い終わるのと同時に私の手を取り、どこかへ攫ってくれました。

私の細く青白い腕と、
繋いだ彼の赤い腕が、
月明かりに照らされていました。

鬼ヶ島は厳かで、寂しくて、素敵な場所でした。
海に囲まれ、どこにいても潮の匂いがほんのりと漂っています。

ほとんど草木はなく、
岩山は崇めたくなるほど高く、
海は果ての果てまで広がっておりました。

そこには赤鬼だけでなく、
青鬼、緑鬼、黄鬼と色とりどりの鬼が住んでおりましたが、ただ姿形が違うだけで、生活は人間のそれと変わりませんでした。

「怖くないか、平気か」
赤鬼は私を気遣いました。
島に漂う雰囲気は優しくはありませんが、私はとても気に入りました。
あぁ、私は産まれて初めてあの山の要塞から出ることができたのです。

「少しは生きてるような気がするか」
赤鬼は私にそう聞きました。

「初めて生きた心地がしました」
私は頬を桃色に染めて、そう答えたと思います。

私は赤鬼の家に住むことになりました。
岩で作られた冷たい家でしたが、
その冷たさが自分の体の体温を思い出させてくれました。


鬼ヶ島は土地が寂しく畑は耕せません。
周りの海に漁へ出て、魚を食料としているようでした。
昔は鬼たちも人と同じ土地に住んでいたそうですが、
追いやられてここだけに住むようになったそうです。
ただ、漁だけでは食べていけないそうで、人里を襲っているとの話なようです。

私は毎日漁に出る赤鬼を支えるため、
食事、お掃除、お洗濯など身の回りの世話をするようになりました。
赤鬼の獲ってくる魚を捌き、刺身にしたり煮魚にしたりし振舞いました。

島の鬼たちは私を好奇の目で見ましたが、
「赤鬼のそばにいる人間なら」と徐々に受け入れてくれました。


人間と鬼たちの歴史、
人間と鬼との合いの子の話、
海の生物の話、
赤鬼は鬼ヶ島のまとめ役という話。
長老、鬼の子、母鬼、色んな鬼たちがくるくると入れ替わり私に話しかけくれ、初めて聞く話に胸が躍りました。


海は生き物のように姿を変えます。
寄り添うように優しい波があれば、
突き放したような強い波もありました。
私はそれを眺めるのがとても好きでした。
海を眺めていると、赤鬼が乗っている船が見え、私は大きく手を振りました。


あるとき、桃太郎という人間が仲間を引き連れて鬼ヶ島に向かっていると耳にしました。
人里を襲う鬼を懲らしめようと、船で向かっているそう。

小さい頃、聞いたことがあります。
近くの村で、桃から生まれた可愛い男の子がいると。私と齢も近かったはず。
そう、その子の名前が、桃太郎。

「人間の力なんてたかが知れてる」
赤鬼は桃太郎の噂に耳を貸しませんでした。
その言葉を吐いたとき、私にあまり見せない怖い顔をしていました。


噂を聞いてまもなく、鬼ヶ島は混乱に陥りました。
鬼たちが活動する真昼間、桃太郎は鬼ヶ島に上陸したのです。

桃太郎、犬、雉、猿。

桃太郎は大きな岩を掴み鬼たちに投げつけ、
犬は年老いた鬼の細い足に噛みつき、
雉は小さな鬼の子の目を突き、
猿は、雉に襲われた子の母鬼の背中を引っ掻きました。

「俺たちの村の宝や娘を返せ!」
桃太郎は叫びます。

鬼たちは確かに悪いことをしました。
でも鬼ヶ島にいる私は、桃太郎の正義感も歪んでいるように見えました。

「こちらも生活が苦しい。どうか話し合いをさせてもらえないか」
鬼の長老がそう言うも、桃太郎は村のものを返せの一点張り。私は怯えながらその様子を窺っていました。

「お前は家の中で待っとけよ」
赤鬼は私にそう言うと、桃太郎の前へ出ました。


「赤鬼、お前がこの島の親玉か」
桃太郎は赤鬼を見上げながらそう言いました。

「お前たち人間は、昔から卑怯な真似をするな」
赤鬼にそう言われ、心なしか桃太郎は震えているように見えました。

「村の宝や娘を返せ!鬼たちが盗んだのは知っている!」
私は赤鬼の家に隠れながらその様子を見ていました。

「力づくでも奪ってみればよい」
どう見ても桃太郎は赤鬼に勝てません。
体の大きさも違えば、力の差もはっきりと見えます。
あぁ、どうすればいいのでしょう。

「お、俺だってお前くらい倒せる」
桃太郎は涙目になりながら腰に刺した刀を抜きました。

赤鬼は私に見せない恐ろしい般若の顔をし、桃太郎に殺意を向けました。
じんわりと私の手に汗が滲みました。


このままだと赤鬼が人を殺してしまう。
咄嗟に身体が動きました。 

「やめてください。私は村へ帰ります。私は攫われたんじゃない、自分でここへ来たの。だから、自分の意思で帰ります」

波の音が響きます。
赤鬼は月夜の晩のような、驚いた顔をしています。


私は赤鬼の顔は見ず、桃太郎に「帰りましょう」と声をかけ、船に乗り込みました。
桃太郎はなんだか安心した顔をしていました。

桃太郎は盗まれた村の宝を持ち帰れませんでした。
そもそも村人たちは桃太郎が帰ってくることさえも予想しておらず、それが "攫われた娘" を連れて帰ったものですから、それはそれは桃太郎を英雄扱いしました。

桃太郎は私を気に入り、
私の両親も英雄とされる桃太郎との結婚に反対するわけもなく、私たちは一緒になることにしました。

彼はただ優しい人でした。
畑を耕し、子どもをあやし、薪を割る。

赤鬼に人を殺してほしくなかっただけですが、
それと引き換えにあの毎日が戻ってきました。



桃太郎は先日老衰で亡くなりました。
私もそろそろお迎えがくるような気がします。

でもお迎えが来るも何も、
桃太郎が私を鬼ヶ島から連れ出したあと、
私は生きている実感はありませんでした。
私はもう一度生きたいのです。


あの月夜に私を連れ出してくれた赤い腕に、
もう一度連れ去られたいのです。


カタンカタン、
カタンカタン。

老婆は恍惚とした表情を浮かべていた。

長い長い話が終わったようで老婆は窓の外に目を向けた。
つられて私も外を見ると、さっきまで深い山だった風景が海に移り変わっていた。

老婆が艶のある声で私に質問した。

「あなたは一体どこへ向かっているのですか」
老婆が一瞬、黒々した長い髪の若い娘に見えた。


ガタンッと列車が大きく揺れ、私の荷物が床に落ちる。
「あっ」

荷物を拾い上げると、もう老婆はそこにいなかった。

老婆は赤い腕の君に会えるだろうか。

私はどこへ向かうのだろう。
目を閉じ、自分の行き先をゆっくり考えることにした。





▼以下の企画に参加しました。
 とても面白い企画で、この企画に参加できたことがとても光栄です。
 そして、白鉛筆さん四周年おめでとうございます。
 素敵な企画ありがとうございました。

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