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仏の顔も三度            ――画像しりとりはじめました(#83)

(#82) 競歩→「ほ」→仏の顔も三度


仏さまが実際に怒るのは三度目なのか四度目なのかを検証したところ――

初回であっさりキレた( ゚Д゚)



仏の顔も三度」ということわざがある。
「普段は優しい温厚な人でも、理不尽に怒らせるようなことを繰り返せば、しまいには怒り出す」という感じの意味だ。

このことわざを知ってすぐの頃、個人的に疑問に思うことがあった。
それが、

仏さまが実際に怒るのは何度目なんだろうか?

ということだ。
つまり、
「仏の顔も三度(目には怒る)」なら三度目だが、
「仏の顔も三度(まで)」なら、三度目までは我慢するので、実際に怒りだすのは四度目ということになる。

正解は、このことわざのフルバージョンを見れば一目瞭然だったりする。
この「仏の顔も三度」のフルバージョンは、

仏の顔も三度撫ずれば腹立つ(る)

――である。仏さまの顔を三回なでなでしたら腹を立てるよ、という意味だ。このことから、仏さまが実際に怒りだすのは三度目、ということになる。

つまり、ちょくちょく見かける「仏の顔も三度まで」という言い回しは、厳密に言えば我慢が一回多いので正確ではない。そこらへんは、酒の席でのちょっとした話のネタくらいの感覚で覚えておいてもらえば損はないだろう。

ただ、面白いことにというか、ややこしいことにというか、「仏の顔も三度まで」といえるような仏さま関連のエピソードも、実際あるにはあるからめんどくさい。

仏さまがまだガウタマ・シッダールタという釈迦族の王子だった頃の話。
隣接する大国コーサラ国の王、プラセーナジットから、釈迦族に対して后を迎えたいという要請があった。

釈迦族は国力的にはコーサラの属国みたいなものだったが、反面、誇り高い一族でもあったので、なんで我々のような血筋の気高い一族が卑しき者と縁を結ばなあかんのだ、と猛反発。
ただ、拒否った挙句怒りに任せたコーサラの武力侵攻を受ける、なんてのもノーサンキューなので、一計を案じ、マハーナーマンという王族の大臣が下女に産ませた娘、つまり「王族の血は引いているが身分的には最下層の者」を嫁がせるという、なんとも底意地の悪い手段で対処した。

そうとは知らぬコーサラ国王は喜び、やがてその后との間にヴィドゥーダバという太子が誕生する。

このヴィドゥーダバ太子が8歳になった頃、母親の生誕の地である釈迦族の地で弓術を学ぶことになったのだが、当地ではこのコーサラの王子は「最も身分の低い下女が産んだ子」でしかないため、隣国の太子とはとても思えぬような屈辱的な扱いを散々に受けることになる。

こうして、幼少期に耐えがたい屈辱を受けたヴィドゥーダバは、その恨みを父、母、釈迦族へと広げ、増幅させたまま成長した。

父王プラセーナジットの留守中にクーデターを敢行して王位に就くと、ついに最も憎むべき釈迦族殲滅作戦を実行したのだ。

この時、怒りの進軍を見せるコーサラ軍の前に立ちはだかったのが、今や釈尊となっていたガウタマ。1本の枯れた樹の下に座してこれを待ち構えており、ヴィドゥーダバとその軍を説得して撤退させることに成功する。

結局、進軍→説得→撤退という流れを3度繰り返した後、その宿怨の止め難きを悟った釈尊。4度目のコーサラの進軍で、ついに本拠地カプラ城への侵攻を許し釈迦族はそのほとんどが滅ぼされてしまった――

とまあ、このエピソードを「仏の顔も三度」の由来、とする見方もある。そして、こっちの場合なら、確かに「仏の顔も三度まで」と言っても間違いではないだろう。

ただ、意味的には全く逆であることにも注意したい。
そもそも、こっちの場合だと、怒ってるのは仏さまではなく相手の方だ。仏さまは怒れる相手を宥める立場なのだ。
だから、もしこちらのエピソード由来で言うのなら、そのことわざのより正確な意味合いは

仏の顔 (が利くの) も三度まで」である。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

無論、このことわざの本質は、三度目だとか四度目だとか、そんな細かく具体的な回数を問題にしているのではない。

その本質は、おとなしいから、温厚だからと侮って無礼なことを繰り返していると、そのうちに手痛いしっぺ返しを食らうよ、という警告である。
無礼を行う回数は、あくまで些末な彩りに過ぎない。

だから、「仏の顔は三度」だろうが「仏の顔は三度まで」だろうが、少なくても2度目までなら何をやったってオッケーだよな♪♪――
なんてことを考える無礼千万な私は、ネタ画像のように初回であっさりブチ切れされて仏罰を食らうのが必定ということだね ( ̄∀ ̄)コワヒ

お心当たりのある諸兄、ご注意あれ( ̄o ̄)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

というわけで、今宵の一曲、キーワードはやはり「怒り」💢だろう。
今週の3曲目、Adoで『うっせえわ

2020年10月に配信限定でリリースされて以降、2021年には年間を通じて爆発的にブレイクし、3月末段階で You Tube でのMVの総再生回数が1億回を超え、
何か小言を言われたり注意されたりすると
「うっせえ、うっせえ、うっせえわ♪(笑)」
と口答えする小学生たちを増加させた歌(笑)として名高いw

まぁ、仏さまが怒りにまかせて
うっせえ、うっせえ、うっせえわ
言うてるのを想像すると、さすがに笑ろてまうけど^m^

ただ、歌詞に出てくる
「正さとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる」とか
「一切合切凡庸な あなたじゃ分からないかもね」とか
「つっても私模範人間」とか
「絶対絶対現代の代弁者は私やろがい」とか

歌詞にちょいちょい、お釈迦さまが歌ってると考えると、なんだか合ってないようで合ってるような、不思議な感覚になる歌詞が散見されてオモロいw

……でも、仏さまが、居酒屋で
酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎ
皆がつまみ易いように串を外し
会計や注文は先陣を切る
――そんな不文律最低限のマナーを実践してるトコは、見たいよな見たくないよな……(笑)

おっと、今宵ももうこんな時間だ。
仏さまのお顔を2回ほどなでなでしたので、スタコラッシュで逃げる準備をせねばなるまい( ̄∀ ̄)。

そんなこんなで、
明日も、なるべく多くの人が
仏さまを怒らせるようなことのない平和な一日を過ごせますよう✨



■ おまけ

 今回の画像しりとり列車 (83両目) の前の車両です。タイトル「競歩」と右下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。


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