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忘れ物              ――画像しりとりはじめました(#140)

(#139) 名は体を表す→「わす」→忘れ物

*電車内、駅構内での忘れ物ランキング*

第771位 配偶者(折りたたみタイプ)



なお、置き忘れていったのか、捨てていったのかは定かではない( ̄∀ ̄)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

2022年6月現在での電車内での忘れ物ランキングは次のとおり。

1位 傘
2位 書類・封筒・紙袋
3位 現金

まあ、定番にして不動、揺るぎないトップスリーと言っていいだろう。

3位の現金。
勿論、裸のまんまということはないだろうから (*1)、財布ごと置き忘れてたり、あるいは紙袋か何かに入った状態で置き忘れた、というケースとみた。
そういった意味では、2位の書類・封筒・紙袋とカブる形ともいえる。

*1:裸のまんまということはないだろうから:裸のまんま現金が放置されてるとしたら、それは忘れ物というより落とし物だし、小銭ならまだしも、紙幣だったら、そもそも駅員が見つける前に見つけた誰かがそのまま失敬するだろう( ̄∀ ̄)

この2位の書類・封筒・紙袋という類は、単独でも、後述する条件下ではむしろ忘れやすいものだが、複数の書類だったり、他の荷物もあるなど荷物が多い場合も忘れやすい。

そして電車内での忘れ物の永遠のチャンピオンにして、恐らく未来永劫、王者として君臨し続けるに違いない「忘れられ王」、それが傘🌂✨


人はなぜ傘を置き忘れちゃうのか。
結論から先にざっくり言えば、「手に持ってないから」である。

傘を手にしている限り、人は傘を置き忘れることはない。そりゃそうだろう、と笑われるかもしれないが、でもそれが紛れもない事実。

もうちょっと具体的に傘を置き忘れるメカニズムを見てみると、そもそも傘を手放すのはいつか、って話に行きつく。

天気予報で雨が降るから、という理由で傘を持ってる場合は別として、そうでなければ電車に乗った段階ですでに傘は雨に濡れているはずなので、席に座れたにせよ、立っている状態にせよ、傘を手放すとすればほぼこんな感じだろう。👇

電車の手すりに傘をかけ、そうして目的地に着くまでの間、電車に揺られてしばし時を過ごす。

行動心理学だとか行動分析学だとかいう分野の小難しい言い方をすれば、「忘れる」という行動は存在しない「どこかに置いたものを持ってくる」という行動が自発されなかった、というのが正しい。👆

では、なぜ自発されないのかというと、端的に言えば「自動化」されてないからだ。

「自動化」とは、言い換えればルーティン化といってもいい。
例えば、いつもかばんを持って出勤したり登校したりしてる人は、電車に乗ってる時に空いてる隣の席や自分の席の足下などにかばんを置いて体から離したとしても、電車から降りる際にかばんを持つことを忘れたりはしない。

もし、何か別の考えに頭を支配されてて忘れそうになったとしても、いざ立ち上がった時に「何か足りない」という刺激が起きて、「隣の席に置いたかばんを手に取る」という行動が自発されることが多い。

だから、もし傘を毎日毎日、1年間ずっと持ち続けて出勤したら、恐らく傘の置き忘れは相当の確率で防げるようになるのではなかろうか^m^。

同様のことが、忘れ物ランキング・ビッグ3の他の二つにも言える。いつもは持っていない書類や紙袋、いつもは置くことのないところにたまたま置いてしまった財布。

「自動化」されていない「置いたものを持ってくる」という行動を自発するのは、実はけっこう難しかったりするのだ。だって、その行動は凡そ目的ではないから。出勤や登校という目的を遂行する行動にとって直接結びつかない行動は、それなりの刺激がなければ自発されない。

その刺激は、
置いたものを目にするという視覚刺激だったり(*2)
手や足や身体の一部が触れるという触覚刺激だったり、
あとは「忘れ物はないかな?」とあえて自問自答して、なんだったら指差し確認する(笑)という複合的な刺激だったり。←これは相当強いゾ(o^-')b♪

そういった何らかの刺激があって初めて「置いたものを持ってくる」という行動は自発される。簡単そうに見えて意外とたいへんなのよ。

だから、逆に言えば、人はいとも簡単に物を置き忘れることができるw
そんな風にいえるのかもしれない。

*2:視覚刺激:話がややこしくなるので、ここでは詳述を避けるが、実は「見える」と「認知する」は別物なので、「置いた傘を目にした」からといって、それが「あ、これ、ワシの傘や、忘れんと持ってかなアカン」という認知につながるかは決して絶対ではない。
 ここらへんの「見える」と「認知する」については、京極夏彦の小説『姑獲鳥の夏』あたりを読むと面白い発見につながると思われる。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

余談になるが、今年に入って、幼い子どもを車内に置き忘れて放置し、熱中症で死なせてしまうという痛ましい事故が6月の茨城、今月の大阪と、2件起きている(>_<)。

こういう事件も、根っこは傘の置き忘れと同じだ。
ここでのポイントは父親が送り届ける場所が二つあったこと。

先に述べた傘の置き忘れでいえば、先に送り届けた小学校なり認定こども園なりが、出勤であり登校にあたる。
そして、不幸にも車内に忘れられた幼児が傘であり、その幼児を保育園なり保育所なりに送り届けることが「置いた傘を持ってくる」という行動になる。

つまり、何らかの刺激がない限り、2つめの目的地に幼児を送り届けるという行動が自発することは難しい、ということだ。

無論、子どもをハシゴして送り届けることが「自動化」されているならこんな悲劇は起こらなかったと思うが、いずれのケースもルーティン化はされていない。

ならば、本来起きてはいけないことだが、それは起きてしまっても何ら不思議でもない事故だともいえてしまう。

子どもと傘を一緒にするな💢と怒られるかもしれない💦
だが、行動認知の観点から言えば、これは一緒。大事な子どもを送り忘れるなんてありえない、子どもへの愛情が足りない、というのも違う。

勿論、両方の父親との面識もないし、どんな人なのかも存じ上げない。
それでも、この「2件目の目的地を忘れる」即ち「2件目の目的地に行くという行動が自発できなかった」ことは、子どもへの愛情の深さとは凡そ関係ない別次元の話で、それは誰にでも起き得る悲劇だったのだ。

そんなバカな、自分なら絶対に大切な子どもを車内に忘れたりなんかしないっ!

――残念ながら、そういう風に断言するようなタイプの人ほど、この「認知の落とし穴」にハマりやすいタイプである。

二つの場所の送り出しのハシゴくらい簡単じゃないか
👆それがアカンっちうねん。
簡単イージー」と思えば思うほど、「忘れない」ためのフックは登場しない。むしろ、自らフックを拒絶してるようなものだ。

では、この悲劇を防ぐ方法はなかったのかといえば、車の警告システムの整備や、保育園等の施設からの連絡の徹底、等、方法はいくらでもあったと思うし、これからもさまざまな方法が生み出され、あるいは強化されていくと思う。

ただ、一番手っ取り早くかつ根本的な方法は、

人間はいとも簡単に忘れるものだ、
ということを正しく認知すること。

結局はこれに尽きるんじゃないかと思う。
どんな優れたシステムも、最終的にはそれを扱うのは人間だからね( ̄∀ ̄)

この2件の悲劇を引き起こしてしまった父親は、愚か者でもなければうつけ者でもない。おそらく愛情が足りなかったわけでもない。
ごく普通の人間だ。……まあ、ことによっては前科者になる可能性はゼロではないが( ̄∀ ̄)

それでも、どんな刑罰よりも重い十字架をこの二人は自ら背負っていくことだろうから、亡くなった幼い命の菩提を弔いながらそれぞれの生を全うしてほしいと思う。

……余談が思いのほかめっちゃ長く、何より重たくなってしまった(*´Д`)

えーと、なんだ、あ、そうそう、忘れ物の話。

年間トータルすればどエラい量になる電車や駅構内での忘れ物は、その後どーなるのか。

駅によって多少の差はあるが、ある一定の保管期間の間は、駅や鉄道各社の忘れ物預かり所に保管されている。
が、所定の保管期間を過ぎると、その忘れ物は管轄の警察署へと送られ、晴れて(?)、忘れ物から落とし物へとクラスチェンジするのだ✨。

落とし物――法的には「遺失物」という――は、遺失物法に基づき、3ヶ月間は警察内の遺失物センター等で保管される。3ヶ月経っても誰も取りに来なかった場合は、その遺失物は拾い主のモノとなる。

実際問題としては、駅の忘れ物が所定期間を経て誰も取り来ずに落とし物へとクラスチェンジした場合は、本来の落とし主が現れることは相当にレアだ。

拾い主といっても、この場合駅の職員ということになるのだが、そこは職権内の出来事なので、拾った駅員個人が「落とし物、ゲットだぜ!」――とは、さすがにならない( ̄∀ ̄)。

では、何処へ行くのか、落とし物。
法的には、各警察署長を経由してその警察署が属する各都道府県へと所有権が移り、ごく一部のものを除くほとんどのものは結局のところ廃棄処分となる。

が、2007年の法改正で、傘や衣類といった大量&安価なものについては、警察署長や、特例施設占有者として指定されている駅や空港、百貨店等が、ゲットから2週間で売却できることになった。
具体的に売却できるものがコチラ👇 

  1. 衣類

  2. ハンカチ、マフラー、ネクタイ、ベルトその他衣類とともに身に付ける繊維製品又は皮革製品

  3. 履物

  4. 自転車

  5. 動物……ど、動物?( ゚Д゚)!

で、新しい法改正により競売にかけられた物を競り落とした業者により定期的に開催される、
鉄道忘れ物掘り出し市
等で、我々は、そういった落とし物めっけものへとクラスチェンジした品々をごっつ安く手に入れることができる。

具体的な品々等についての詳細は、コチラ👇

中でも、時代感が出ていて面白いなぁ(*´∇`*)♪…と思ったのがイヤホン
それこそ、昔はバッグの中でしっちゃかめっちゃかに絡まることはあっても落としたり忘れたり……なんて考えられなかったものだが、当節、イヤホンといえばワイヤレスである。
そりゃ、忘れたり落としたりしたとしても、大きくうなずき、
だろうね♪( ̄∀ ̄)♪
――としか言いようがない。

いずれにしても、こういうところでは思わぬ拾い物に出会えるかもしれない。

余り物には福がある――ってね(o^-')b♪……ちょと違うか^m^

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

さて、今日の一曲。キーワードは「○○モノ」ということで

今週の4曲目、東京プリンで『サガシモノ

普段おちゃらけた曲ばかり歌っている東京プリンが、ごくたまに真面目な曲を作ると、めっちゃええ歌になるという「東京プリンあるある」( ̄∀ ̄)

この曲も然りで、曲もいいけど、歌詞が特に秀逸。
歌詞の世界をひととおり味わった後で振り返った時の「サガシモノ」というタイトルに思わず震えてしまうくらいだ。

おっと、今宵ももうこんな時間だ。
今日もまぢでギリギリやねぇ(^^ゞ💦

そんなこんなで、
明日も、なるべく多くの人が、
「人は簡単に忘れる」ということを忘れないようにして充実した一日を送れますよう(*´∇`*)♪



■ おまけ

 今回の画像しりとり列車 (140両目) の前の車両です。タイトル「名は体を表す」と右下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。

■ 参考・出典

遺失物法 (平成十八年法律第七三号)


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