敵艦に体当たりして必ず沈めて参ります、という言葉の重みinハワイ
人間の歴史というのは、「死」が積み重なってできた物語である。
いかなる大人物であっても、偉人であっても、必ず人生には終わりがある。
そして特に死に様に、その人がいかに生きたかが現れる。
僕が、歴史が好きなのは、ひとつは歴史上の人物がいかにして生きたか、そしてどのように死んだかを探るため。
そのようにしてできた死生観、人生観を、自分のちっぽけな人生に活かせれば、とそんなことを考えている。 (単純にミーハーで観光が好きってのもあるけど)
ハワイ、オワフ島へ
さて、ハワイ、オワフ島へとやってきた。
太平洋戦争の真珠湾攻撃で有名な、パールハーバー。
実は新婚旅行で訪れて以来、13年ごしの悲願。
前回は、リサーチ不足で入口のアリゾナ記念館しかいくことができなかった。
今回はぜひ、生の戦艦が拝めるミズーリ記念館と、ゼロ戦の展示がある太平洋航空博物館も寄ってみたい。
10歳の長男と一緒に、バスツアーで戦跡を回った。
第二次大戦の生き証人、ミズーリ
特に心を打たれたのは、やはり戦艦ミズーリ記念館。
第二次大戦中に現役だった、アメリカ海軍の戦艦ミズーリをそのままの姿で見学することができる。
ミズーリ、というと、
第二次世界大戦の降伏文書の調印が戦艦ミズーリの艦上で行われたので、聞いたことある人も多いかも。
そして、ミズーリの艦上には沖縄戦に参戦したときに、日本の特攻隊員がゼロ戦で突っ込んだ跡が残されている。
去年の10月に鹿児島県の知覧の特攻平和会館を訪れてそのことを知り、ぜひ訪れたいと思っていた。
そう、この物語は実はつながっているのだ。
実際にミズーリを見上げてみると、とにかくでかい。
全長270M、幅33Mとアメフトのコートが3つ取れるくらいの大きさの船に、どでかい40.6センチ砲が9本もついている。
巨大なビルのように、それ自体がひとつの基地かのように、デカデカとそびえ立っている。
ふと、想像してみる。
こんなでっかい戦艦に、爆弾を抱いた日本のプロペラ戦闘機で突っ込んでいくのは、いったいどんな気持ちなのだろう?
まるで、巨像の群れに子犬がたった数匹で襲いかかるようなもの。
怖えだろ。 めちゃめちゃ怖いよ。
想像しただけで、ちびりそうになるよ。
真珠湾(パールハーバー)はアメリカ海軍の一大拠点なので、他にも軍艦がたくさん浮いている。
まるで、沖縄戦の時の連合軍の大艦隊のように。
当時の光景が、少しだけ想像できる。
装甲が極めてうすい飛行機で、レーダーや対空射撃をかいくぐりながら飛んでいく。
敵の砲弾が当たったらそれで終わり。火を吹きながら落ちていき、太平洋のもくずと消える。
当時の人々はどのような気持ちだったのだろうか?
特攻隊員については、ミズーリ艦内にも取り上げられており、当時の遺書も何通かレプリカが展示されている。
Kamikaze(カミカゼ)は、現地でも畏怖と尊敬と狂気をもって、取り上げられている。
隊員たちの残した遺書は
「一撃必中」
「敵艦に体当たりして、大きい戦艦を見事沈めて参ります」
「お父様、お母様、今までありがとうございました。私は笑って征きます。どうかご心配なさらず」
「今までいただいたご恩の何分の一もお返しできず、申し訳ござません」
と、勇ましく、そして残された家族を気遣うような文面が多い。
死生観というものは、恐怖をも超越するのだろうか。
もちろん、すべての特攻隊の人が喜んで、出撃していったとは到底思えない。 中には苦悶に満ちながら死地へ赴いていった人も大勢いたことだろう。
当時は検閲もあったし、言いたいことはストレートには言えない世の中だった。
「嫌だ、しにたくない」なんて書いたら、残された家族は余計に悲しむだろう。
とても、凡夫たる我々が簡単に想像できるものではない。
あの、でかい戦艦を目指して突っ込んでいくのだ。
特攻は無謀だったのか?
特攻隊員は、相手の戦艦についてもその形や大きさなど、十分に学習する機会が与えられていた。
もちろん、日本にも当時世界最大級の戦艦だった、大和や武蔵があるのだ。
標的がどんな規模なのか。
敵艦に体当たりするとはどういうことなのか。
当時の人々はきちんと知っていたのだ。
「死」は極めて身近に存在していた。
鹿児島の知覧特攻平和会館の人ガイドの人がこんなことを言っていた。
「当時の若者たちの何百分の1、何千分の1でもいいから、自分の周りのこと、自分の市や県や国のこと、公のことを考えてほしい」
仏教にはこんな言葉がある。
「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」
生きるとは何か、死とは何か、私たちは一生をどう生きるべきか、死に対してどう向き合うかなど、この問題を明らかにしていくことが真実の道を求める者にとっての最重要課題である。
今の平和の上に立っている我々はどう生きるべきなのか?
前回、知覧にいって、特攻隊員たちの内面をさぐることができた。
そして、今回、特攻隊員たちの本物のターゲットだった、敵国だったアメリカの戦艦を見学することができた。
死ぬ気で、という言葉の意味
僕たちはよく「死ぬ気でやります」という言葉をついつい使いがちだけど。
死ぬということは、そんなに簡単なことではない。
本当にお前は「死ぬ気」なのか。
そう簡単に死なんぞ。
それ、単に自分に酔ってるだけじゃない?
真珠湾は、そして戦艦ミズーリは、そんな当たり前のことを僕に教えてくれた。
これからも、きっと折に触れて思い出すだろう。
戦跡は、静かに、語りかけてくる。
あなたの「死ぬ気」は本当に死ぬ気ですか?
まだ、余力が、残ってませんか?
人間の生き様というのは、こんなにも残酷で冷酷な真実を、我々に突きつけてくるのだ。
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