『劇場版 呪術廻戦 0』を観たら奈良へ行こう! 呪術高専の境内と夏油傑の姿を考察
⚠️この記事には『劇場版 呪術廻戦 0』のネタバレが含まれます。
原作は未読だけどアニメ1期は楽しく視聴したし観にいってみようかな? そんな軽い気持ちで2021年12月24日の日没ごろに京都で『劇場版 呪術廻戦 0(IMAX)』を鑑賞するという最高の体験をしてきました。そうしたらもう東京都立呪術高等専門学校(呪術高専)の美術と夏油傑のキャラクターデザインにこの胸を射通されてしまいこのnoteを書きました。奈良で仏教の歴史に触れれば呪術廻戦0の解像度が上がること間違いなしです。みんな奈良へ行こう。🦌🦌🦌🦌🦌
目次
1. 呪術高専の美術
(1)境内の特徴
学校ですがあえて境内と呼ばせてください。だって冒頭で主人公の乙骨憂太くんが食堂らしき建物で精進料理を召し上がってるじゃないですか。
私は刀剣鑑賞が好きでその周辺の寺社仏閣もよく訪問させていただいているのですが食堂が食堂しているところ(フィクション含めて)初めて見たかもしれません。
朝食を摂ったあと乙骨くんは石灯籠に挟まれた平らな緑の参道を歩んでいきます。
正面には鳥居がありその下で五条悟が待っています。
鳥居で登校の待ち合わせをしてたんですかね。かわいいです。鳥居の先には懸造の本堂のような校舎と三重塔が見えてきて……
……いやなんで鳥居くぐってまた寺やねん!?
鳥居は一般に、神社の入口や参道に立ち、神域とそれ以外の場所を区切る役目をしています。たとえば奈良の興福寺と春日大社の場合、興福寺を出て一之鳥居をくぐると春日大社の神域に入ります。なので食堂がある寺院建築エリアを出て鳥居をくぐったのに神社建築ではなくまた寺院建築群が現れると、これはなんのための立っている鳥居なんだと驚かされるわけです(後述しますがこの驚きは人によっては共感が難しいかもしれません)。
注目すべきはアニメ1期の視聴のみではこの驚きは起きない点。なぜなら食堂がある生活エリアが俯瞰で描かれないからです。参道と校舎のみしか描かれないため、呪術高専という学校は表向きは仏教系学校で、その鳥居のすぐ外側は神域が広がっているんだろうなと自然に見られるのです。でも呪術廻戦0は、鳥居の内側にある呪術高専自体が神域であるかのように見える描き方になっています(なのにシンボルになっている校舎は寺院建築)。
呪術高専は寺社仏閣ではなく学校なので、寺院や神社と境内のようすが違っても当然なのかもしれません。しかし深堀していくと、呪術廻戦0のストーリーに実は深く関係しているかもしれないことに気づかされるのです。
(2)神仏分離政策
・石灯籠が続く参道
・鳥居
これらは神社にあるべきもの。
・食堂
・懸造りの本堂
・多重塔
これらは寺にあるべきもの。
そういった私の思い込みは、私自身が1868年布告の神仏分離政策が浸透した世界に生きているために発生するものです。
端的にいうと1868年以前は寺と神社の境界線が今よりずっと曖昧だったわけです。
たとえば、興福寺は藤原氏の氏寺であったため藤原氏の氏神を祀る春日大社とは強靭な関係にあり、神仏混淆の信仰形態をとっていたため敷地的にも密接していました。
室町時代の『春日社寺曼荼羅』では、画面の下半分に興福寺が、上半分に春日大社が描かれています。地理的に正確な図ではありませんが、春日大社側のはずの一之鳥居の内側に仏塔が描かれており、信仰同様に敷地も混淆している様子が見られます。
しかし、現在は間に広大な奈良公園が広がっており、鳥居でしっかり境界線が引かれているようになっています。
奈良に限らず全国各地でそんな寺と神社の敷地関係を見慣れてしまっていると呪術高専の境内は異質に感じられるのです。
(3)なぜ呪術高専の境内は神仏混淆なのか?
ではなぜ呪術高専の境内は神仏分離がなされていないのでしょうか? その理由は神仏分離の目的をもう一度思い出すと腑に落ちます。
明治維新は王政復古というかたちで行われたため、武人が台頭して幕府を開く以前の天皇親政を目指し、天皇中心の国家神道による支配が目論まれたわけです。
でも呪術師にはこの政策というか宗教観って通用しないと思うんですよ。だって乙骨くんのご先祖様である菅原道真は930年に清涼殿落雷事件を起こして醍醐天皇を衰弱死に追い込んだじゃないですか。
清涼殿は天皇の日常の御殿です。平安時代の当時、天皇のおわすところに雷が直撃するなど起こってはならないことでした。しかし醍醐天皇は菅原道真を左遷して死に追いやってしまったまさにその人でした。醍醐天皇はこの事件より前にも相次いで不幸に見舞われており、落雷を決定打としてこれは菅原道真の祟りであると大変恐れられました。事件を苦に病を患った醍醐天皇はついに出家しますが、なんとその当日に崩御してしまったと伝えられています。
この一連の事件って武人が台頭する前の平安時代の出来事じゃないですか。つまり明治政府がいくら天皇親政による支配の実現を試みようとも、そもそも天皇親政の平安時代ですら呪術師は支配を超越した存在だったわけです。なので呪術界には神仏分離政策の実行力は及ばなかったのではないかと想像できます。明治政府が信教分離がなんぼのもんじゃいというストロングスタイルなら呪術高専は神仏分離がなんぼのもんじゃいというカウンタースタイルというわけです。
(4)まとめ
五条悟が自分自身も菅原道真の遠い親戚だと語っていますが、呪術って本当にこの世界線の歴史上にずっと存在してるんだという説得力を神仏混淆した呪術高専の美術は補強してくれます。呪術高専は現実世界に存在しませんが、興福寺と春日大社を中心に奈良ではでリアルな「呪術廻戦っぽい景色」を全身で体感できますよ。🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌
なお現実世界にも「鳥居の向こうに寺院建築が見える」という場所はいくつか存在します。
普段こうした景色を見慣れている方には呪術高専の境内も特別に異質には感じられないかもしれません。ちなみに四天王寺さんは四天王寺学園という私立の宗教系学校を経営されています。
2.夏油傑の キャラクターデザイン
(1)単髻・耳璫
彼は明らかに仏教系のファッションスタイルですよね。
学生時代のようすも考慮するに、長髪をひとつに結わえるヘアスタイルは単髻、耳たぶに嵌められた大きなアクセサリーは耳璫に倣ったものといえそうです。単髻は宝髻と呼ばれる髷の一種、耳璫は耳たぶを貫通するピアスです。それってつまり……
菩薩スタイルです。
仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタ(釈迦)は、29歳で出家するまでインドの釈迦族の王子として生活していました。菩薩は釈迦が出家する前の姿で表現されるので、ヘアスタイルもアクセサリーも当時の王子のような姿なのです。菩薩は修行により悟りに至れば如来となりその姿を変えます。長髪を結い上げていた単髻は肉髻となり、身を飾る耳璫は外され耳朶環が残ります。
呪術高専では修行中の菩薩スタイルだった夏油傑。五条悟にむかって「呪術は非術師を守るためにある」と説くなど、在学中はまさに他の者も悟りに到達させようと努める者でした。
ですが、学校を出て大人になった今けっして如来の姿に近づいたわけではありません。むしろ
・単髻を完全に結い上げず下半分が残され髪であることが強調される。
・耳璫を外すに至っていない。
これらのようすからは「如来になるのを諦めてしまった菩薩」の姿が浮かび上がってきます。呪術高専で目指していた夢を諦めてしまった夏油傑に悲しいくらいにぴったりのキャラクターデザインです。
(2)なぜ袈裟を纏うのか?
夏油傑は袈裟を纏っています。(表向きには)宗教系学校出身という経歴を生かして宗教団体を立ち上げるに際し最適な衣装を選択した結果なのでしょう。しかし、夏油傑を「如来になるのを諦めてしまった菩薩」として考えてみると、違う意味が見えてきます。袈裟というのは仏の世界では基本的に如来か地蔵菩薩が纏うものです(一部例外あり)。
①如来
袈裟というのはもともとは捨てられた布切れを丁寧に洗って縫い合わせて着用するという質素な衣服でした。如来は袈裟を身に纏うことで華やかに身を飾る菩薩と違って出家し悟りに至っていることを表します。つまり夏油傑は如来になることを諦めてしまったにもかかわらず、袈裟を纏うことでまるで、悟りに至った如来であるかのようにふるまっているわけです。
②地蔵菩薩
一方で、菩薩でありながら袈裟を身に纏う姿で表現されるのが地蔵菩薩です。仏教の世界観では釈迦入滅から56億7000万年間、この世に仏は不在です。56億7000万年後にようやく修行を終えた弥勒菩薩が仏となって出世します。この長い仏不在の間、衆生を導く役目をもつのが地蔵菩薩です。地蔵菩薩は地獄に落ちた者も救うし信仰を持たない子どもも救います。
地蔵菩薩は剃髪しピアスなどの装身具をすべて外し僧形であるのが特徴なので、袈裟だけ真似る夏油傑の姿は真に地蔵菩薩とはいえません。猿向けの「我こそが地蔵菩薩ですよ」というおざなりなセルフプロデュースといえるでしょう。
しかし地獄のような日々から救われた未成年の美々子と菜々子にとっては夏油傑はまさに地蔵菩薩であったといえるかもしれませんね。書いてたらだんだんつらくなってきました。
(3)まとめ
「呪術高専出身の闇落ちした呪詛師」にこれ以上ふさわしいビジュアルはないでしょう。如来や菩薩の姿の特徴や違いを知れば夏油傑への理解が深まること間違いなしです。おすすめは奈良の興福寺と春日大社の間にある奈良国立博物館。なら仏像館には約100軀の貴重な仏像が常時立ち並んでいます。にわか知識の原作ネタになりますが、天上天下唯我独尊のポーズをとるゴキゲンな誕生仏もたくさん展示されています。五条悟にぴったりな誕生仏をみつけよう! 🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌
ちなみに袈裟はオリジナルでは糞掃衣とも呼ばれます。原作で夏油傑は丸めた呪霊を飲み込む際の味を「吐瀉物を処理した雑巾を丸飲みしている様」と表現しているんですよね。よくできた作品だと思います。
おまけ1:乙骨くんの刀について
春日大社国宝殿では冬季特別展「秘められた大和の名刀―今明かされる大和の珠玉の名刀 春日の神々への至宝刀―」が開催中です。会期は2021年12月24日~2022年4月3日。なんと『劇場版 呪術廻戦 0』の公開と同日の皮切りですね。実は私はこちらを鑑賞したくて奈良へ行く予定があり、ついでに京都で呪術廻戦0を観たのでした。
乙骨くんが獲物に使っている刀はメインビジュアルでは刃文が互の目のようにに見えます。
互の目の名刀は無数にあります。しかし映画でアップになった(商店街の戦いの)際、テクスチャが柾目肌に見えました。柾目肌の刀剣といえば大和伝です。
大和の名刀って数が少ないのか展示でお目にかかれる機会は少ないです。でも今なら春日大社国宝殿でめっちゃいい大和伝の名刀が鑑賞できる! 映画を見て刀のアクションかっこいいなと思った方には特におすすめです。
柾目肌の刀剣の刃文は直刃調になるため互の目刃文の乙骨くんの獲物が大和伝の流れを汲むものかどうかは判断がつきかねますが、本物の刀の輝きにはテンションは上がりますよ。🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌
おまけ2:乙骨くんの朝ごはんに関連して
春日大社への参道には春日荷茶屋という清めの茶屋があります。看板メニューは万葉粥。一見ちいさなお店に見えますが奥はガーデンカフェになっていてかなりキャパがあります。映画を見て乙骨くんの朝ごはん美味しそうだなと思った方におすすめです。🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌