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12月のソウル

12月ソウル市内のある美術館、展示を見始めて最初のフロアの1/3くらいをみた時、フロアの中程にある小さなオブジェが展示されているケースに移動しオブジェをひとつずつ見ていた、するとケースを挟んだ目の前、頭上から聞き覚えのある男性の声、鼓動が早くなる、恐る恐る視線を上げるとナムジュンとそのお友達だと分かる、身体が固まる。それ以上顔が上げられない。視界に二人のお腹あたりがずっと入る。二人がなんだか楽しそうに話している、言葉もわからないけど、そもそも私はずっとイヤホンで音楽を聴きながら回っていた、しかも韓国に来てからずっとindigoのcloserをリピートし続けていた、その時も。本当にこの曲が大好きで、美術館との相性も抜群で、毎日、ずっと。けれど音楽を聴いていても聴こえるナムジュンの低音で囁くような話声…。展示は3フロアに及ぶ、まだ1階だしどうしようと思う、ちょうど順路が定まってないような展示方法だったのでその場からは離れる、距離を取る。でも大体同じ流れになってしまいそうで頭が混乱する。まずarmyだと気付かれてはいけない、邪魔してはいけない、私も絵に集中したい、わざわざここまで来たのだから、でもそんなレベルじゃない奇跡に心拍数と体温の上昇と……頭がまたぐるぐる回る、吐きそう。ひとまず切り替える、彼らが視界に入らないようにしたいけどこの時はまだ館内が空いていてとにかく目立つ。あまりにも背が高くて細くて顔が小さくて声が良い……離れてもきらりとひかる何かが視線に入るとそれが行ったり来たりするナムジュンのシルバーのピアスだったりする…視界に入れないなんて無理なんだよ……また急いで目を逸らす。また切り替える。いつもの自分の絵の見方を取り戻そうとする。私はオーディオガイドはほぼ使わず、説明は読みつつパッとファーストサイトで惹かれるものをじっくりと近くで、そして離れて空間との調和、光のあたり方と影を楽しむ、パッと見て惹かれないものはチラッとみてすぐに次に行く。それを取り戻す……。集中。私は次にちょっと離れた箇所にある布地の本に絵と文字が刺繍してある作品が気になりそこに逃げる、作品を独り占め、可愛い、素敵だったのでじっくり見始めると…まさかのナムジュンが隣に来る、しかも友達を置いて1人で、そして彼も腰を曲げて見入る、いま私たちは2人で1つの作品を見ている?心臓の音が止まらなくて聞こえたらどうしようと震える。でも彼が来た瞬間に離れるのもかえってという都合の良い逡巡のあと自分にとっては永遠に思える数秒後に離れる。彼らの先に行くのか後に行くのが良いのかまだ分からない、苦しい。そしてまた少し離れた絵の連作に行く、絵を見つめる、今は距離がありそう、どうかこのペースで…。後に行くのは後をつけている風に思われるのが怖すぎてやはり先に行くことを決意する。でも、やはり良い作品で立ち止まり見つめているとそんなに時間を置かずに彼らが追いついて来る…苦しい、私明日死ぬのかな。1階の最後の作品、作者のポートレートが良い、歯を食いしばる作者の自画像、今の私はあなたと同じくらい食いしばってるよ、と思いながら見惚れる、その時一瞬気が緩み一日中歩き倒した(朝から色々なギャラリーや美術館に行っていた、全部ナムジュンのインスタで知った場所)足の疲れと緊張で足が攣りそうにる、うっかりその絵を見ながらアキレス腱を伸ばしてしまう、するとすぐ後ろにまた声が、私の背後に確かに存在するナムジュン。次は2階という案内板、私は英語表記を探したせいで出遅れる、これで間が空いたと思いきや意外とゆっくり階段を登るせいで二人が目の前に…しかも2階から狭くやや混雑してきてピッタリ彼らの後ろについてしまう、他の方も含めて追い越しがあまり許されない雰囲気になる、これは……。再び自分の見方を徹底する、気に入ったものをじっくり近くと遠くで見ることに集中、遠くから見ている間に彼らが先に、と思いきや二人は仲良し、好きな作品の前で立ち止まってよく喋る…この抜きつ抜かれつを結局最後の3階まで…諸々細かいエピソードがあるのはもう割愛するけれど、そのすべては私の思い出なんだ。私が生きていくのに十分な思い出。3階の最後、奥のテーブルの上に小さな写真がたくさん並べられている展示、結局そこは私がだいぶ駆け足で先に見ていた、その頃には間に数名いたはずだが、なぜかテーブルを挟む形でまた2人が現れる。またもや何か楽しそうに話している、話しているのは主にナムジュン、韓国語が分かれば良かった、いや分からなくて良かった、泣きそう。楽しそうなリラックスしたナムジュンの声。でもこんなに何度も近くで無邪気に自由に楽しそうに鑑賞していたということは私や周囲を全く警戒していないということだったと信じる。これで良かったですか、正解ですかというよく分からない自問自答。例えば、向かい合わせの鑑賞中に顔を上げて目を見ることもできた、目を合わせることも、けどできなかった、気遣いと言うよりそんな勇気がなかった、目を見たら私は石になって固まる、なぜかそれくらいその行為が何かを犯してしまうようで怖かった。例えば袖からApple Watchの画面をチラリと見せてcloser聴いてるよとジェスチャーで周りに気付かれないように伝えられた、私たちはそれくらい側にいた、けどそんなことができるわけがない、勇気もなければ、一瞬でも現実に戻らせるなんてエゴはありえない、彼が正気を保つための時間に狂気を漂わせてはいけない。キムナムジュンの凄さなんて知らない、興味なんかないふりをしてあの時間、あの空間、同じものを見ていられただけで私は一生分の運を使い果たして、かけがえのない幸せを手に入れてしまった。言葉にすると語弊はあるけれど、ナムジュンと一緒に美術館で絵を見ること。その夢が突然叶ってしまった。楽しかった、幸せだった、ただただ好き、と思った。今ここにいてくれて、生きていてくれてありがとうと思った、どんな生き方でも良いから長生きしてね、do whatever feels right for you、大丈夫、大丈夫、と、展示室を出て急いで階段を駆け降りる背中を見ながら何度も心の中で強く叫んだ。彼は画面で見るよりも美しくて知的で無邪気で可愛らしい青年、という感じだった、思っていたよりも何倍も幼かった。どうかこれ以上彼に重責を背負わせないでと知らない誰かに願った、でもその経験でこの美しさや知性があるのかもしれないとも思った。やっと彼がいなくなった空間でカラカラの喉と鳴り止まない鼓動と虚無感で泣きそうだった。水をたくさん飲んでベンチに座ったら少しだけ足が震えてきた。幸せって本当に怖いよね、幸せを感じた瞬間に怖くなるよね、全部嘘みたいで、もう二度と味わえないみたいで。ちょっと落ち着いた帰り道、彼の視界に私は一度も入ってないだろうに、ああ夕方で化粧ボロボロ、そもそもホテルのドライヤー弱くて髪もバサバサ、でもお気に入りのお洒落なニット着てる日で良かったとか、好きな先輩に会った学生みたいな調子の良い気持ちにもなった。ずっと来たかった韓国、回りたかった韓国の美術館、この週にやっと休みが取れたこと、滞在期間中にどこから順番に回るか散々悩んで決めたこと、この日も朝から予定通りに動けなくて、この美術館にたどり着いたのが思ったより遅かったこと、着いてからもロッカーにいったりトイレは行かなかったり少し館内で迷ったり、いくつもの小さな選択の結果、そこで彼に会えたこと。日常の幾つもの選択の組み合わせが信じられない奇跡を生み出すという当たり前の事実にバカみたいに感動しています。私よ、この日まで毎日自分でいろんな事頑張って偉かったね、良かったね、という最後には暖かいまん丸の気持ちです。もっと離れることもできただろとか、見過ぎだろとか色々言われるのかもだけど、これがあの時私にできた精一杯の理性とエゴのバランスです。あの時あの場所にいたたくさんの他の人たちもこれほどの気持ちを抱えていたのだろうか、でも誰もが彼を守っていたんだと思う。ありがとうと誰にでもなく思う。

in a room full of art, I’d still stare at you (even not try to)🫶