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夢で逢えたら

他人の夢の話を聞かされる時間ほど無駄なものはない。たとえ自分がその夢に登場していたとしても、所詮他人の夢の中のこと。大いに盛っているかもしれないし、ウケ狙いで創作しているかもしれない。とにかく夢の話を聞かせたがる意味がわからない。
「昨日、夢でね、」と話しかけられたときの絶望感。
やっと聞き終わったときの疲労感。
感想を期待する相手の眼差しの威圧感。
「そ、そうなん・・・」「・・・で?」の「・・・」に私の答えが現れているのを察してもらいたい。
夢の話には生産性も真実も1ミリもない。出来ることなら「知らんがな」と言い放ってその場から走り去りたい。

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そんな私だが、今ここで、自分の夢の話をしようとしている。(おいおい!!)

心がもやもやして、書いて残しておきたいという欲求が止まらない。誰にも共感してもらえないけど、伝えたい気持ちが制御不能になっている。
とてつもなく「知らんがな」だ。

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私の夫は16年前に他界した。38歳と1週間でこの世を去った。私は彼より5歳年上なので、自ずと年齢がバレるが、そんな歳でも夢はみる。(当たり前だけど)

亡くなった当初の夢の中では、私が話しかけても彼は返事をしなかった。いつも一方的に話しかけていたのは私だった。
交差点で見かけたり、偶然電車の横に座っていたり。
彼は近くにいるけれど、ただ「いる」だけ。私とは目も合わせてくれなかった。彼の名前を呼んでも、返事はない。
すっと何処かへいなくなる。
そんな夢ばかりみていた。
それでも夢に登場してくれるだけで幸せだった。

夢の中でなら夫に逢うことができる。虚像の姿だけど、そんなことはどうでもよかった。彼と逢えるのはここだけだったから。

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それから10数年経つうちに、夢の中で少しずつ会話ができるようになっていた。ときどき彼の顔は激似の息子と入れ替わったりしているが、会話の相手は紛れもなく夫だった。

昨日「ダウンタウンなう」に仲野太賀が出ていたからか、早速、仲野太賀の顔の夫が夢に登場した。演技派の仲野太賀のように、夫は目に涙を溜めて、とつとつと病気の再発を私に告げた。
「ひとりで抱え込まずに、一緒に乗り越えようよ」と私も負けずに演技派女優になってそれに応じていた。

そして、場面は氷の上に切り替わる。これはフィギュアスケートの本田姉妹をネットニュースで見たからだろう。氷の上で車椅子から夫を下ろし、両脇を抱えてソファに移動させた。

重かった。

本当に「知らんがな」としか言いようがない夢だったが、私にとっては夫の体重を感じるというワンランク上の夢にまで昇格したことがうれしかった。

夢というものは、起きてすぐなら覚えているが、1時間も経てば忘れてしまう。昨夜の夢ももっとドラマチックな展開があったはずだった。もったいないけど忘れている。

今宵はどんな顔の夫に逢えるのか、楽しみすぎる。
ホンマに・・・知らんがな!

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