【歌詞考察】back number「silent journey in tokyo」に見る、人生という旅路
今回は、back number「silent journey in tokyo」の歌詞考察です。長くなってしまいましたが最後まで読んで貰えたら嬉しいです。
それでは、はじまりはじまり。
【旅の始まり】
▶︎「スマートフォン」=他者との繋がりやしがらみを捨て、
「夕暮れ」=今からでも、突発的に。
「羽田発で飛んだなら」=飛行機でなければ行けないような遠くへ行ってしまったとしたら、という仮定の話、つまり主人公の妄想です。置かれている状況から逃げ出したいという衝動に駆られているのでしょう。
▶︎現実のしがらみや繋がりを捨てて逃げ出すわけなので、人脈や信頼や友情等の人との関わりに加えて、仕事も投げ出すのなら社会的地位や収入も失うことになります。「多くを失う」ことになるとわかっているにも関わらず、「何が手に入るだろう」と逃げた先に思い馳せてしまいます。
▶︎しかし、逃げ出してもなお、「置いてきたもの」に囚われてしまいます。なぜなら、主人公が置いてきたのはこれまで自分が積み上げてきた功績や信頼、現代社会における自分の存在意義に当たるものだからです。
▶︎それらを「ひたすら数え」ているのはなぜかと言えば、自分のしてきたことは正しいと言い聞かせるためなのではないでしょうか。
【愛は呪い?】
▶︎誰かを愛することを選んだ時、その選択をしたのは紛れもなく自分なので、その責任の所在は自分にあります。
しかし、時にはその選択を後悔することもあって、逃げ出したくなることもあるかもしれません。
もし、そういう時に、「でもそれってあなたが望んだんでしょ?」=「望んだのはご自分です」と言われたとしたら?自分が望んでその状況にあるのだから、責められるべきはその選択をした自分ということになってしまいます。
つまり、「愛」とは、愛することを自分で決めてしまった以上、鬱憤や不満を誰かにぶつけることは許されず、ただひたすらその道を進むしかないという「呪い」なのです。
【愛は法律?】
▶︎一般的に「愛」は美しいもの、かけがえのないもの、素敵なものとされています。
人を愛することは素晴らしい。人を愛せるのが普通だ。人を愛せない人は冷たい、間違ってる。
ではもし、そんな共通意識がある世の中で、人を愛せなかったら?それは、ここで言う「法律(人間の集団意識が勝手に作り出したまやかしのルール)」を破ることになってしまいます。
つまり、主人公は自分が「法律」をやぶり普通を外れて周囲から異物のように扱われることを恐れているのです。
【回顧と自嘲】
▶︎「夢」は、比較的現実的でない人生の目標のことを指します。かつての主人公には、目指す場所があったのです。
「どこにでも夢を連れ回してどこかへ向かっていた」ということは、きっと昔は自分のやりたいことに向かって歩んでいたのでしょう。しかし、どこかで「盛大に道を逸れ」て現在に至ります。
そして、「この期に及んで僕はどこへ」という後半部は、逃げた先でまた逃げるのか?という自嘲的な問いのようにも感じられます。
▶︎「パラレル」は、パラレルワールド、つまり並行世界の「パラレル」です。並行世界とは、ある世界から分岐して存在する別の世界のことを表します。選択の数だけ無数に分岐が存在し、例えばあなたが受験に受かった世界線と落ちた世界線、事故に遭う世界線と事故を免れる世界線等、挙げればキリがありません。
「タラレバ」は、日本語において、実際に起こらなかったことを望んだり、現実の選択や結果を後悔する時に使われる表現です。
つまり、「パラレルとタラレバの雨の中」とは、自分が選ばなかったもしもの話が脳裏を駆け巡る様子を表していると考えられます。
もしもあの時こうだったら、ああしなければ。そんな声が頭の中で聞こえている中で、自分を見失わないように、自分のしてきた選択が間違っていなかったと言い聞かせるために、「しあわせな理由をお経のように唱える」のです。ここでの「お経のように」は、意味はわからずともただひたすら唱えること。主人公が必死で自分に言い聞かせている様子を表現しています。
【理想論と本音】
▶︎これまでの歌詞からもわかる通り、主人公は自分の選択が間違っていたのではないか、という迷いや不安を抱えています。そんな中、またも脳裏を過ぎるのは「人生は捉え方ひとつ」という綺麗事です。この言葉自体に間違いはなく、主人公もそれをわかっているからこそ「ごもっともな結論で 反論の余地はない」と続きます。
▶︎更に「未来は変えられる」と希望に満ちた一般論が続きますが、ここで「そんなの理解した上で苦戦してんだよ」という主人公の本音のボヤきが出ます。人生が捉え方次第で、未来は変えられるけれど、それがわかったところで現実的に何かが解決出来るわけではありません。苦しみ、迷いながら進むしかないのです。
【旅路の果て】
▶︎ 初めにも書いた通り、ここまでの話は主人公の妄想です。この部分では、主人公が妄想の世界から現実の世界は戻ってきた様子が描かれています。
「鏡のふりしたビル」を見つめて回顧した「出会いと別れ 受け取ったもの」、その他後悔やら迷いやらetc……。それらは「どれもこれもひどくありきたり」である、と結論付けます。時には自分を苦しめたかもしれないけれど、それでも自分を形作る一部だから、どうしても「ひどく愛しい」のです。結局、ここでも主人公は愛という呪いから逃れられないんですね。
総括〜毎度ながら心の言語化が上手すぎる〜
主人公の旅は一旦終わりを迎えます。が、きっと現実に戻ってからも、また迷ったり苦しんだり後悔したりしながら進んで、たまには現実逃避したりして、死ぬまで旅は続くのでしょう。
これ、一言で言ってしまえば「現実逃避の歌」なのかもしれないですが、悩みや苦しみの解像度が尋常じゃなくて好きです。個人的には、特に「愛は呪い」という言説が狂おしいほど好きですね。「赤い花火」でも、主人公の女性が彼に「二度と治らない火傷みたいな痛みが胸を焦がす魔法」をかけた、と言っていますが、恋や愛のままならなさを呪いや魔法に例えるのが素敵だなと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは、またいつか。