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12月19日のこと

だいぶ暗い話題ですので、苦手な方はここで読むのをおやめください。
(ハラスメントや流産について触れていますので)



私は、数年前、職場でひどいパワーハラスメント(パワハラ)を受けました。
特定の上司から、です。
ここでは、「上司」と呼んで話を進めていきます。


期間は、上司が着任した年の4月から12月まで。
私は、この上司からことあるごとにみんなの前で叱責され、嫌みを言われ。
しまいには、私が海外出張に行っていて時差もあるのに少しメールの返事が遅れたら
「私を無視しているのか」
とメールでも怒られ。

また、ある時などは、皆の前で突然
「あなたは残業をほとんどしていない。そんなんでいいのか。」
と激しく叱られました。
いや、私は、まだ3歳の子供を育てているので、残業は厳しいです。
そもそも、少し前に部長から直接「自宅での仕事を認める」と言われていたのに・・・。
※そもそも勤怠管理は上司の役割であって。
※しかも、残業を強要することは、私が勤めている会社では言語道断。部下の労働管理をする上で絶対してはいけないことです。

そのころの私は、部長の勧めもあり17時に退勤し少し早めに帰宅して子どもの面倒を見て、寝かしつけて、それから深夜まで自宅で仕事をしていたのですが。

それを見ていた親しい同僚からは
「あれはパワハラだよ。ホットラインに相談したほうがいい。」
と言われていました。

そして、12月19日。


忘れもしないこの日。


社外の人とのミーティング中、

「彼女(私のこと)をこのプロジェクトのマネージャーから降ろさせますので」

あまりにも突然の話に取引先の担当者も、同僚も、私も驚きました。


本当に。今でも忘れない。

にやにやしながらそう言っていたあの男の下衆な表情。ありえない顔。

私はミーティングが終わると、すぐ部長のもとへ行き聞きました。

「私をマネージャーから降ろすって、いつ決定したのですか?」

「彼が言ったの??そんな話は私は彼としていないし、まったく相談も受けていない」

完全に、上司の身勝手な判断。
独断でのことでした。


そして。


私は、そのころ妊娠していました。

それからの私は、立つのもやっとなほどで、その年の4月からネチネチと上司から言われてきたことに対する不満や不安のすべてが一気に噴出しました。


体調が悪いことは部長へ報告もしましたが、社内のホットラインなどを通してこれまで起きたことを人事にも報告。
直ちに調査してもらい、周囲の人たちも様子を見ていたので適切な証言もしてもらえました。

そして、下された調査結果は、「パワーハラスメント」。


会社も認めました。

それでも、私は非常に大きな不安に苛まれながらも待望の命がお腹に宿ってくれたことを夫と喜び、何よりも守り慈しみ育てていきたいと望んでいました。


それなのに・・・。


たびたびの出血。


そしてひどい悪阻。


しかしその悪阻も半分は、上司から受けた心ない言葉を思い出しながら吐き続けるようなものでした。

ちょうどそのころ。
近くの心療内科で予約が取れたので相談に行ったのが1月17日。

初対面のドクターはとても親身になって聞いて下さり、身重の私を気遣い、体に負担のないようつらくなったら横になるようにと配慮してくださいました。

そして、その時に下された診断名「パワハラによるうつ病」。

直ちに私が所属する部署を変えるか仕事を休むかしないと、私は自殺する道を選んでしまいかねないほど重症な状態だ、と。診断書をすぐに書いて出してくれました。

「これを部長経由で人事に提出しなさい。危険な状態だから、決して会社の言いなりにならないように。私が味方になります。」

そういっていただけて、肩の荷が下りるような気持ちでした。


それからは、しんどい中、仕事も休み休み行い、どうしてもというときは、寝ながら自宅からテレワークで対応したりしていました。


そんな1月26日。


休みを取って、内科を受診したあと、自宅で横になっていたら・・・


ビシャッ!!


ものすごい音を立てて、下半身に突然冷たいものが広がりました。


・・・え!?


まさか、破水?


まだ妊娠10週なので、そんなはずはないと掛布団を取ると
あたり一面、血の海でした・・・。


私は言葉を失い、何が起きたのかわからず、泣きながら、声にならない声を振り絞るようにして夫に電話しました。


どうしよう、沢山出血しちゃった・・・
どうしよう、赤ちゃんが・・・


電話しながら、手も体もがたがた震えていました。
「すぐ帰るから、病院へ行くんだよ」
と夫も言ってくれ電話を切りました。

錯乱しながらもなんとかかかりつけの産科に電話しました。

「すぐ来てください」

あまりにも大量の出血だったので、立ち上がるのもやっとでしたが、なんとか汚れたショーツを替え、体をふきながら涙がどんどんあふれて。

とっさに体から出てしまった血の塊もかき集めてビニールへ入れてバッグの中へ。


大きな不安な気持ちを抱えながらタクシーに乗り込み、病院へ。


主治医に塊も見せて内診もしてもらった結果、


「流産していますね・・・」


絶句しました。

何も言えなかった。


診察台から支えられながら降り、嗚咽し、助産師さんに抱えられて個室に入れてもらいました。


しばらくして夫が到着し、夫の顔を見たらさらに涙があふれ。


抱き着きながら私は叫びました。


どうして!
どうしてなの!!
こんなに長いこと待ち望んだのに!

どうして私たちの子が!


半狂乱になっていたと思うので、そんな感じの言葉を叫んでいたのだと思います。確か。


助産師さんが
「大丈夫ですか?ここの個室をずっと使用中にしておくので、気持ちが落ち着かれるまでいつまでもつかってくださいね」
と気を使ってくださったことは覚えています。


泣きながら母にも電話しました。


それからどうやって自宅に帰ってきたのか、まったく覚えていません。
泣きつかれて、夫に支えられてかえってきたのだろうけども。


それからすぐ、心療内科を受診し、主治医からドクターストップがかかりました。
もう出勤してはいけない。
会社とかかわりがあると、あなたの命が危険だ、と。
休暇に入らないと危険だ、と。

翌日、部長に報告しました。
そこでも叫びました。
おそらくいろいろな言葉もぶつけていたのかもしれません。
でも、はっきりとは覚えていません。


私は当時、相当理性が狂い、正直「狂った状態」だったのだと思います。


それからは、食べることも寝ることも拒み、生きている心地もしませんでした。


さらに追い打ちをかけるように、一週間おきに、激しい陣痛のような痛みを感じ立てないほどなのに。
そして、トイレにかけこむと夜用の生理用ナプキンにはドロッと子宮や赤ちゃんの袋のようなものが受け止めきれないほど出てきていました。

計、4回ほど。

その都度、大量に出血するので深夜であろうと産婦人科へ行きました。


はじめの出血から二カ月ほど経ったころ、産科の医師に内診してもらうとようやく子宮内が空っぽになったと言われました。


流産ってこんなにつらいことなんだと、心も体も痛みを伴うものなんだと思いだしながら、もう満身創痍になっていました。


「私って何のために生きているんだろう」


なんども繰り返し、自分に問いかけていた。

そんな初春でした。


思えば、パワハラを受け始めてからほぼ毎日のように
「逃げたい」
「仕事を辞めたい」
「こんな仕事いやだ」
と愚痴をこぼしていました。

それでも、夫からは「次(の勤め先)を見つけてから辞めてね」と言われ、しんどさは理解してもらえず、絶望し、言葉を失っていました。
あの時のつらさは誰にも分ってもらえなかったんだ。
今でもそう思っています。


そんな日々の積み重ねと過激なハラスメントにより子供を奪われた。
それも、2回も。



あれから時がたち。
今では復職もしています。
言葉では表しきれないほど、かなりつらい日々を過ごしました。


そして、やはり当時ハラスメントを受けた場所へ近づくことはできません。
フラッシュバックが起き、倒れてしまいます。

なので、別の場所で働いています。


私はこんな風に、人生の中で大切な時期を数年もの間暗闇の底へつき落とされました。
すんでのところで命をつなぎとめてくれた子どもに感謝です。
子どもがいなかったら、私は間違いなく死ぬことを選んでいたし、もがき苦しむことを避け、逃げていたからです。

そして、献身的にご飯を作ってくれたりした夫にも感謝。
でも、こんなことになる前に、あのころ、助けてほしかったな・・・。


生きることってつらいことも多いとはよく言いますが、これ以上つらいことなどないだろう、と思っています。


けれども、今はだいぶ落ち着いています。
だって、こうしてnoteに書けるくらいになったのですから。


書き綴りながら大量の涙を流していますけれども・・・。


どうか、現在、ハラスメントで苦しむ方がいましたら、私のような目にあわないように早めに逃げてくださいね。


心からのお願いです。


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