言の葉
推しの文章(ここでは佐藤弘樹さん)が好きだなぁと。
ひろきのひとりごと#86を読んで、穏やかでやさしくてやわらかい ことばたちに、私は癒され、同時にどこか救われているんじゃないかと思いまして。
有料コンテンツの内容なので引用はできませんが、弘樹さんの文章を読んでいるときは時間が流れるのがゆっくりに感じる。
目で文字を捉えて、頭で言葉たちを反芻して、自分の中に生まれた感情を言語化してみたり、この一文が好きなんだと文字列を手でなぞるように眺めてみたり。
その時間がとてつもなく愛おしくて、楽しくて、
いっとう大好きなんです。
文章を読むことって私は疲れているときにはなかなかできなくて、心が元気じゃないと長文は読めない時もあるし、他にはきっと苦手だと感じる方もいる中で、弘樹さんのことばたちは、先述の通りやさしいから、どんな時でも読めてしまう。
それが不思議な感覚。
「ひとりごと」と言っているように弘樹さんの日記のように感じるから、それが所以なのかもしれないけど、だとしても、気が滅入っている時でも、テンションが高すぎてその昂りに引っ張られている時でも、どんな時だろうと「読みたい!」と思わせてくれる弘樹さんが紡ぐことばがだいすき。
これからの更新もたのしみだぁ。
まだ入会されていない皆様、
よろしければ是非😊🙌
ここからは長々の私の話をします。
言葉選びは楽しいし、そもそも文章を書くのが好き。
頑張ってることのひとつでもある。
ただ私は得意だとはまだ思えないんだぁ。
得意です、とそう思える日がいつか訪れたらいいとは思いはするけど、インプットもアウトプットも足りていない今の私の文章は、結局ひとりよがりなもので。
お手紙を送った時、その読み手の推したちからしたら私の感想って押し付けなんですよ。
だからこわいなぁ、って思う。
でも感謝の気持ちとか、推したちが大切に届けてくれたものに、観劇した時の私がどんな感情を抱いて、どんなことを考えたのか、それは伝えてもいいんじゃないかな〜って思うので結局送ってしまう。
だって、好きは好きだときちんと伝えなきゃ、相手には届かないもん。
これがお友達とか恋人とか、近い関係だったら言葉は不要かもしれないけど、ファンはファンでしかいられないし、ファン以上の立場に踏み入ることはできないので、じゃあどうしたら推しに私の好きが伝わるの?ってなったら、真っ向から伝えるしかない。
そう思って、私の意見とか感想を、つい長々と書き連ねてしまうんだぁ。
推したちが私の書いた手紙を受け取って、読んでくれているという事実は有難いことに確認しているわけで、だからこそ不安が募る。
負担になるほどの押し付けになっていないかな、マイナスの文脈に受け取られてしまっていたらどうしよう、とかとか。
そんな気持ちをふんわりと
『言葉を紡ぐときに意識していることはありますか?』と推しのラジオのメールできいてみた。
そうしたら
と素敵な回答をいただけて。
推しからへの答えに「それだぁ」って。
自分で選んで綴る言葉たちって、やろうと思えばいくらでも取り繕うことはできるけど、ならばせめて私の思っている感情をどう表現すればその思っている通りに伝わるのか…っていうのは自分の中でも意識していたポイントだったので。
『この場面で、こういうことをしていたのが良かった』『私はあの表情からこう受け取って、〜って感じました』と丁寧に書いたほうがいいのかなって書くようにしたら、長くなりがちだけど、こうしてひとつひとつ感情を拾ったほうが、ただひたらすらに真っ直ぐに好意を口にするよりも相手に伝わるような気がする。
ので、私の右手はよく悲鳴をあげます。
文章を書くって本当に難しいなぁ。
私は作品への感想文書くのも、こうして気持ちを言葉にするのも、場をお借りして創作するのも好きだけど、それぞれ難しさがあるね。
もっと文章かくの上手になりたいな〜〜
と残して今日は終わりにします😌