脳内整理46(日記)
心身に不調をきたしていたので、実家に帰って、地元の心療内科に行ってきた。
とりあえず、今日からまた書き始めます。
5年ぶりくらいに実家に帰ってきたけど、やっぱり地元は牧歌的で落ち着く。
この町は、町って名乗るのがおこがましいくらいに人がおらず、自然があふれすぎていて、もはやただの山野。
道路はあるけど、人の往来は一切ない。
少し寂しくもあるけど、人目を気にしすぎる僕にとっては、とても嬉しいことでもある。
どこもこんな感じに閑散としていれば、
人生all rightで生きていけるんだけどなぁ。
あ、でも、人の往来がないかわりに、
野生動物が闊歩してる。いや、跋扈してる。
少し歩けば、狸やら蛇やら羚羊やら熊やら、
動物ならなんでもいるんじゃないかな。
もう動物園だよ。うははー!楽しそうでしょ。
普通に命の危険を感じる。怖い。
地元の心療内科の先生は、けっこうな朴念仁で、いつも淡々としる。
僕は先生の干渉しすぎない事務的な態度がとても好きなんだけど、あまり評判は良くないらしい。
ネットで口コミを調べてみると、どうやら先生の対応は一般的には冷たく感じるらしく、持ってきた気持ちを機械的に処理されているように思えるんだとか。
それ、良くないと思うところなのか?
自分の気持ちに感情的に向き合ってくれる人が欲しいのかなぁ。
感情を出すって労力のいることだから、自分に「感情を出してくれた」は「労力を割いてくれた」→自分を「大事にしてくれた」って変換できるのかな。
だから、「感情を出さない」は「大事にしてくれない」になって、先生は良い先生じゃないになるのか?
でも、大事にしてくれるとかって心療内科の先生に求めることなのか?
おー?分からんなー。
感情云々の話じゃないのかな?
大学2年生の頃、休学するための診断書をこの心療内科で書いてもらった。
ここのクリニックの人に、コイツいつまで病んでんだとか思われてたりしたらやだなぁ。
メンタル弱い僕が悪いんだけどねー。
いやそも、僕のこと覚えてるわけないか。
自意識過剰だぞ。
家の近所に廃業した酪農家の牛舎がある。
僕が子どもの頃から謎の植物の蔦にまみれていて、全体的にボロボロだったけど、ぎりぎり人が住めるくらいではあった。
隠れ家みたいでかっこよくて、大人になったら住みたいなと思っていたんだけど、さっき見に行ったら屋根が落ちて牛舎全体がぺしゃんこにひしゃげていた。
時の流れを感じる。とても感慨深い。
そして、とても住めそうにない。
豪雪地域だから、降る雪の重みに耐えられなかったんだろうなぁ。
あー、でも、なんていうんだろ。
屋根のてっぺんだった所から少し左のところ?
牛舎を真上から俯瞰して見て、人間の胸部に置き換えた時に左心房にあたるところ?
んー、上手く言えんなぁ。
まあ、そこに大穴があいてる。
えー、だから、
屋根の損傷が特段にひどい部分があるから、のしかかった雪で潰れたわけじゃないかも。
風化って、屋根の一部だけに大穴があくような朽ち方するのかな。あんまり想像つかないけど。
どうやったら、こういう朽ち方するんだろ。
もしかして、隕石?
バイトも辞めて、大いに時間ができたので、文章力と精神の修行をしている。
文章力の修行は概ね順調。
作家の岸田奈美さんの文章を参考に大学ノートに文章を書いてる。
先駆者というかメンターというか、模範が見つかって自信を持って文章を書けるようになった気がする。
いや、「模範がこうしてるから」って責任の押し付けみたいな感覚に近いんだろうけど。
責任の所在を明らかにするから恐れがないみたいな。最低。でも自信って得てしてそうなのかな。
精神の修行は難航中。
何事にも動じないような、精神が鋼でできた人になりたい。
でも、僕の精神は砕けやすすぎて鉄製じゃないことは明らかなので、鍛えても鋼なんて合金になることはないと思う。
だから、修行で精神を鍛えるんじゃなくて、何かで精神を差し替えなきゃならない気がしてる。
でも、精神ってどっかに転がってるようなレディメイドなものじゃなさそうなんだよなぁ。自分でオーダーメイドで作り上げてくものだと思うけどなぁ。
まあ、分からないので、道端に精神が落ちてないか取り敢えず探してみる予定。
朝だッ!総員、就寝準備ー!
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