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2024/06/01 やさしさとアスペルガー

SNSでバンギャとのやりとりを頻繁にしていた時もあったけど、実はあんまり楽しい記憶がない。
向こうは自分に良くしてくれた方だと思う。ただ、全体的に気が強い人が多くて、気の弱い自分はなんとなくモヤモヤしながらV系のライブに行っていた。
ある日、ファミレスで数人のバンギャと会話していた時、ある人がこう言った。
「わたし、知り合いのバンギャを潰したことがあるんだよね」
潰すというのは「他の気に入らないバンギャをいじめてライブに来ないようにする」ことだ。それを聴いて、メンタルが弱かったわたしはショックを受けた。
この人はなぜ、それを武勇伝のように語るのだろう。そして、わたしもいつかいじめられるんだろうか。
今考えると、どこかふわふわ浮いているわたしをびっくりさせるために言ったんだろうと思うふしもある。それでも、わたしはその関係性しかなかったので、バンギャの繋がりに依存して無理してライブに行っていた。結果、「一緒にいても面白くない」と思われたのか、わたしだけ連絡が来なくなって自然消滅した。


いろんな人に寛容になりたいと思っているけど、悪口を言う人だけは難しい。自分の国があるとしたら、人を傷つけるような人は入国できない。
そう言うと「気持ちがやさしいんですね」と言われることもあるけど、自分の場合はおそらく、アスペルガーであることが関係していると思う。
よく、「アスペルガーは人の気持ちがわからない」と言われるけど、自分はあまりそう思わない。アスペルガーでも人の気持ちはわかる人はいる。ただ、おそらく想像力の質が違う。
人の気持ちがわかって、そのうえでどう動くか―――、わたしからすれば人間は複雑だ。あるいは、自分が単純すぎるのかもしれない。どのような局面でどう動くか、何を話すか、アスペルガー特有の狭い視野と人と違った想像力で動いていかなくてはいけない。
人の気持ちがわかっても失敗する、そのうえで「人の気持ちがわかってない」「ふつうにするように」と言われ続けて自尊心をなくし、自分の存在は場を乱すから、人を傷つけるからと「過剰に繊細でやさしいけど不器用な人」が出来上がる。わたしの見てきた限り、実はそういうアスペルガーは少なくない。
でも、おそらく良心的であるかが問題じゃない。「その場に応じてどう動くか」ことをスムーズにできないから、たまにしくじる。
自分を押し殺して押し殺して、さんざん押し殺した末にたまに爆発して、それで猟奇的な文章を書くことも影響してると思う。
だから、逆説的に言うとアスペルガーであることが少なからず自分の繊細さに関係していることになる。
だとしたら、この持ち前の繊細を何かに活かすことはできるだろうか。


働いているときによく、陰口の場面に遭うことがある。
「メンタル弱いよね」「精神疾患なんじゃない?」「言われたことしかできない」
経験上、わたしへのあてつけを、たまたま言っている風に装って言っていることが多い。
あれからわたしは、陰口を少しスルーできるようになった。以前なら「わたしが悪いんだ」とショックを受けていたことも、今は比較的心の痛みに取り合わないようになった。
そうか、繊細さは使い分ければいいんだな。それを職場で発揮する必要なんてない。自分には創作活動があるから、それに活かそう。
そう思ってわたしは陰口の集団を通り抜けていった。それでも心の痛みはあるので、悪口を言われているぶんだけ給料からメンタルの手当料が出ないだろうか。出ないだろうな……。