見出し画像

[文芸評]世界を変える強い力―作家としてのpha評

僕が見田宗介の本から強く学んだことは、「自分にとって本当に切実な問題を考え続けなければいけない」という姿勢だ。
「そんな役に立たないことを考えていないで、さっさと働け」と、社会に言われたとしても、そんな声は無視していい。
自分にとって切実な問題、それは自分と言う存在のコアにあるものだから、決して手放してはいけない。

pha『人生の土台となる読書』

三年前に買った『人生の土台となる読書』のこの文章は、今の今まで強く読み込んでいる。
phaの「頑張らなくていい」「働く以外の生活もある」という言葉で、わたしは逆説的にここまで必死に身を削って努力することができた。
それについて深く説明をするには、今から十年前の話をする必要がある。


当時、大学生だったわたしは、何をやっても上手くいかず「働けない」「馴染めない」「頑張ってもうまくいかない」に悩まされていた。
そんな中で、ネットで見た『ザ・ノンフィクション』のphaが出演した『会社と家族にサヨナラ…ニートの先の幸せ』をたまたま見て、わたしは強く安堵した。
「そうか、ダメ人間でも、テクニックさえあれば生きていけるんだ。自分は自分のままでいいんだ」
とりあえずphaの本を買い、なるほどと膝を打ち、いろいろ頑張ってみた。しかしことごとく上手くいかず、結局わたしはダメ人間のまま、今もこうしてダメ社員として働いている。
「そうか、わたしは結局、phaさんみたいな才能はなかったんだな」と、十年前は思っていた。


『完全自殺マニュアル』の鶴見済がこう言うように、90年代の閉塞感と不気味な明るさの時代は、一部の悪趣味ブーム・露悪さの時代だったし、それは時代に対する反骨精神だった。日本が停滞し、やがて令和に向かっていく途中の平成に、今なら「いい時代」だったと振り返ることができるだろうか。
これは誤解されやすいが『完全自殺マニュアル』は自殺を勧める本ではない。そもそもの出発点は「死ぬべきじゃないのに、死にたいと思う自分は異常だ」と苦しむ人のための本だ。
『完全自殺マニュアル』、phaが書いたさまざまな本、生きていくテクニック……、それらの本は、今思えばひとつのだったんだろう。今もまだ、わたしたちの間で閉塞感は続いていく。しかもそれは年々増していくだろう。ジリ貧の中、鉄の箱に閉じ込められている中で、わたしたちに外に出る手段は残されていない。でも、窓は存在する。
「こういう生き方もあるんだな」
それらの全てをまねできないし、わたしたちの苦痛を全て取り払うことはできない。でも、窓さえあれば、少なくとも外の景色は見ることができる。最初から、そのために書かれた本ではなかったか。
だから、phaの「ゆるい」「読みやすい」文章は、「頑張るべき」「努力するべき」を押しつける社会への強烈なカウンター、そして力強い反骨精神から生まれたものなのだろう。
そして、phaの文章で、わたしはこの地獄のような十年を生き延びることができたんだな、と思う。


自分が表現したいもの、自分にしか表現できないコアのようなものとは何だろうか。そんなものは自分の中に特にないのかもしれない。

『短歌五十首 少しだけ遠くの店へ』pha

わたしからすれば、それを気づくことそのものがこの人のコアだと思うが、結局のところそれは本人しかわからない。
わたしはいい文章を書く人として、作家としてphaのことが好きだ。あとのことはまったくわからない。それはそれ以外の知識が何もないのだから、当然のことだ。
この人の文章をもっと読みたいと思っている。それは、本人が書き続けることを望むか望まないかとはまったく別の話に位置する。
あと、蟹ブックスの忘年会で、ひとりでいた人に居場所を提供してくださってありがとうございました。