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2024/07/10 推し。この絶望に満ちた世界に生まれてきて、本当にありがとう。

何をやっても上手くいかない、芯が冷えるような絶望がある。

もうずっと、生きていくのが怖い。頑張っては失敗して、叱責され、不安になり、また失敗を繰り返す……、この一連の流れの積み重ねに今がある。

悪いのは失敗した自分だとわかっている。でも、このループを断ち切ることができない。
自分はいつまでこの繰り返しを続けるんだろう。そう思うと、今までの人生が真っ暗に感じられた。
もう傷つきたくない。死にたいなんて思いたくない。これ以上頑張れない。もう十分だ。苦しい。ここから逃げたい。
頭がぼんやりするような絶望の中で、ぼうっと部屋の窓から遠くを見ていると、外は初夏の景色が広がっていた。そろそろ7月14日だ。
7月14日は、特別にケーキを食べてもいい日だ。そして、V系バンド、メリーのギタリスト健一さんの誕生日でもある。


「ライブで演奏すると、緊張して手が震えてしまったんですよね。だから、ビールを飲んで演奏したんですけど」
と、かつて本人が言っていたように、健一さんもまた緊張しやすい性格だった。内向的で、たまに言葉を話すのがつらそうな時があって、公の場でもあまり喋らないような人でもある。
しかし、ステージ上だと豹変して、魅せるパフォーマンスをするのが定番だった。はじめてそのギタープレイを見たとき、そのあまりの鋭さに息を呑んだのを覚えている。
「格好いいなあ」
そうか。苦手なことがあったとしても、シャイな人でも、なにか一つでも得意なものがあれば、壇上に立つことができるんだ。ステージの照明で輝く姿を見て、わたしも遠巻きながら一つの希望をもらった気がした。
「もうちょっと頑張ってみよう」
そう決意したのが、対人恐怖で震えながら学校に行っていた大学生時代、それからもファンを続けてしばらく経って、健一さんはメリーを脱退した。

脱退が発表されて、健一さんが声を震わせながら脱退について話した日、コロナで延期になったライブ、そして日を重ねていって日比谷野外音楽堂での脱退ライブの当日まで、健一さんは脱退の詳細を語ることはなかった。なので、わたしも深く詮索することはしない。
思い返すと、健一さんは最後まで健一さんだったな、と思う。ぶれずに、ただ淡々とやることをやって、穏やかに壇上から降りていった。最後まで本心が見えづらかった一方で、ところどころにその人なりの切実さが見え隠れして、それをわたしはただ遠くから見守っていた。
「本当にありがとうございました」
重ね重ね言ったその言葉に、濃縮された気持ちが詰まっているような気がした。
人の気持ちを裏切ることなく、そして自分自身を全うして、ゆるやかに降りていったその猫背気味の後ろ姿を、わたしは決して忘れることはないだろう。

どん底に落ちた人生、這い上がろうともがいている中で、メリー、そして健一さんの在り方に勇気づけられたことは何度もある。
自分が偶然手にした創作、そして短歌、これらでこの人の意志を継承することはできるだろうか。そういうことをしょっちゅう考える。
それは難しいだろう。わたしは健一さんになることはできないし、そもそも健一さんになりたいわけじゃない。かつては「なりたい」と思っていたこともあるけど、まず自分のアイデンティティーを確立する必要がある。
文章が持つ力はすごい。読むと、作ると、世界が広がっていく。様々な可能性が繋がっていくこの流れの中で、自分も何かを表現して模索していきたいと思う。この人からもらった希望を噛み締めながら。


もう健一さんは引退してしまった。今、消息は不明で、近況もまったく入ってこない。
現状はつらい。でも、何度も心が折れて、そのたびに「生きよう」と思ってきた繰り返しの中、健一さんの背中を見て、自分も頑張ろうと思ってきた。その過去が消えるわけじゃない。
初夏、真夏日、死にたいと思うぎりぎりの日々、地獄のような日々が始まっていく。その中で、もらった希望は確かにそこにあり続ける。
与えられたものを、わたしもまた様々な人に返せるようになりたい。一人の弱い人間として。