見出し画像

2024/05/30 マウンティングと毛づくろい

SNSで知り合った人とお茶をすることになった。どんな人なのか楽しみと緊張が入り混じった感情を抱きながら、待ち合わせのカフェに到着した。そうすると少しイメージと違った人が来て、コーヒーを飲みながら雑談をする。
最近の趣味の事情、行っているイベント、人間関係……、いろいろ話して見えてきたのは、この人はいろんなことを知っているということだ。
ふんふん、なるほどと相槌を打ちながら聞く。たまにわたしも話をする。わたしが何か話すと、被せるように「わたしはこういうことを知っている」と話す。そのわりに、相手が知らないことを話すと、気まずそうに話を逸らす。
こういうのを世間的にはマウンティングと言うんだろうか。いろいろ会話をして、「そうなんですね」「すごいですね」を連発したあと解散した。

なにかを知っているほうがすごい、という階層がある。
前回、「勝つことしか自己表現ができない」と書いたけど、実際に対面で話すときは相手が優位になるように話すことが多い。文章は書けても、直接的な自己アピールはあまり得意じゃない。
さっきした会話をはた目から見れば、なにかを「知らない」と話すわたしの方が、対話では「負けている」と見ることもできるかもしれない。
負けていればいいのである。
マウンティングは上下関係でもしばしばみる。体育会系の世界、あるいは上司や部下の関係性で、上司が何かを話して部下が「そうなんですね、すごいですね」という一連の流れは、上下関係を可視化させる毛づくろいのようなものだと本で読んだことがある。
これは男女関係でも発揮される。男性が女性にたいして何かを教える行為そのものも、ある種の上下関係の一端なんだろう。だから、女性のほうが知識がある場合その上下関係が破壊されるので、おそらく保守的な恋愛観を持っている男性ほど忌避しがちだ。なので知識のある女性はたまに避けられる。それを破壊しようとする試みがフェミニズムというわけだ。

話は逸れたが、わたしは自己アピールが苦手なので、だいたい負けている。「すごいですね」と言って、相手がほっとしているのを見ていると、知識があるのがそんなに凄いんだろうか、とわからなくなる。言わないけど。
カフェで会った人は、おそらく気持ちを良くして帰っていっただろう。わたしは人助けをしたのかもしれない。
もう会うことはないだろうな。でも、少し気になった本があったので、その日はその人が勧めてくれた本を買って帰った。