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2024/06/09 「いじめっ子の幸せが許せない」と精神科医に相談した回

二十代、無職。わたしは悩んでいた。
新卒で働いた会社を一年で辞めてなんとか再就職しようとしたけど、なかなかうまくいかない。嫌なことが続いたのもこの年だった。人生、なんて袋小路だ。
SNSをやっていても周りと比べてしんどい。もうfacebookのアカウントは消してしまおう……と思った矢先、あるアカウントが目に入った。
シャネルのバッグ、デパコス、旅行先で自撮りをした写真。顔にはよく見覚えがある。名前を見て再確認した。
この人、中学生のときにわたしをいじめた人だ。良い『旦那』と結婚して、裕福で幸せな人生をおくっているらしい。
わたしはさっと目の前が暗くなった。いじめた人は優雅で楽しい人生をおくっているのに、わたしはなんてつらいんだろう。人生、不平等だ。許せない。でも、この状況はわたしの努力不足なんだろうか。


かかりつけの精神科に通院すると、「今日はどうされましたか」とやさしい笑顔で精神科医が対応した。
このかかりつけ医は一見やさしい人に見えるけど、ものすごくはっきりものを言う毒舌医で、おそらくラッパーとしてフリースタイルバトルをする才能があるんじゃないかというレベルだ。それくらい頭の回転が速い。
「えーと、相談したいことがあるんですけど」
「何?」
わたしはこの前あったことを話した。昔、いじめた人のSNSを発見したこと、いじめた人は幸せな人生をおくっていること。話しているうちにわたしはヒートアップしてきて、どんどん語り口に熱がこもっていった。
「許せないです! ひどい! わたしはこんなに苦しんでるのに。わたしも早く就職して、この人よりお金持ちになってシャネルのバッグを買って―――」
「ああ、それは無理だね」
精神科医の一言でわたしは凍り付いた。
「君、お金ないでしょ」
「で、でも、今がそうなだけで、これからたくさん稼いで……」
「あのねえ。たくさん稼いだとしてもブランド品を買える人なんてめったにいないよ。そもそも君は本当にシャネルのバッグが欲しいのかい?」
わたしは考えた。あくまでバッグが欲しいのは『いじめっ子よりいい生活をしている』モチーフとして欲しかったからで、それまで高級品のバッグが欲しいなんて考えたこともなかった。
「そ、そんなに欲しくないかもです……」
「だよね。思ったけど、君、自分を責めてない?」
わたしはぎくりとした。
「そ、それはあるかもです。今の状況は自分が悪いんだ、と思っていたから、相手に嫉妬していたんですかね……」
「でもね、嫉妬も使いどころによっては悪くないよ。向上心の一部だからね。君はお金がないから、経済状況で勝つのは無理だ。僕がサッカー選手にサッカーで勝つのが無理なのと同じくらいにね。君、何か他に好きなものはある?」
わたしは考えた。いじめっ子に勝てるものといったら、おいしい肉じゃがを作る才能しかないかも……、あ、でも一つだけあった。
「小説を書くこと、ですかね」
「いいじゃないか。今、何を書いてるの?」
「えーと、こういう小説で……」
「なるほどね。そういうところから始めていけばいいんじゃない? じゃ、今日の診察はこれで終わりね」


数年経過して、主治医の言葉はまだ覚えている。
あれから「創作では負けたくない」と思うようになった。ただ、なんとなく主治医の言葉に捕らわれすぎているような気もする。自分は小説しかないんだと無我夢中で書き進めて、それ以外はおざなりになりがちだった。
今でも嫉妬することはあって、そのたびに主治医の言葉を思い出す。負けてばかりの人生だったけど、少しだけ誇れるものもあったかもしれない。
その代わり、小説や短歌が作れないと「負けている」と思って精神が不安定になる。それもそれで極端かもしれない……。