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文劇6『戯作者ノ奏鳴曲』に寄せて

こんにちは 旧Twitter『白秋よろづ發信處』の中の人です。
文劇3ぶりの感想文でございます。
今回も、文劇の白秋さんに関しての感想をしたためました。
個人的な思いや考えを取り留めなく並べただけのものとして
ご笑覧いただければと思います。

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まず、今回、中の人は事前通販で手に入れたパンフレットを、観劇前に見てしまいました。
東京公演直前に、演出の吉谷さんが「ネタバレには特にお気をつけください」とTwitterで注意喚起をしてくださっていたのですが、時既に遅し。
その喚起の前日に、読んでしまっていたのでした。
映画でも観劇でも、中の人は、パンフは後に見る派閥なのですが、何故か今回は届いたパンフをすぐに見てしまって…不思議です。
しかし、ネタバレで少なからずショックは受けたものの、個人的にはそれが免疫のような感じになって、心穏やかに公演初日を迎えることができました。
そして、18日に配信で初観劇。
白秋さんの姿をしている佐藤さんがひどいことしてるけど、あれは本当の白秋さんではないとわかっているため、落ち着いて観ていました。

あの曲が流れてくるまでは。

『この道』

白秋さん作詞の、あの曲、
文劇3でも使っていただいた、あの曲。
再び劇中で使っていただいたことへの喜びと、あのような場面で使われるという切なさや…色んな、なんとも言えない感情がごちゃまぜになって、今回の観劇で、とうとう涙腺が決壊しました。

『この道』はいけません…泣く。

ディレイで何度見返しても、そろそろ流れてくるぞとわかっていても、どうしても泣けてくるのです。

劇最終版のこの場面については、『この道』が流れていたせいもあるのか、個人的にすごくすごく色々な、考察という程のものでもなく、なんというか妄想というか、とにかく劇の白秋さんについて思いを巡らせました。
その内容については、後ほど書くことにいたします。

前置きが長くなりましたが(前置きの時点で1,000字超えてるのおかしい)
文劇6の主に白秋さんについての感想などなどを並べていきたいと思います。

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◆白秋さん登場
劇開始から約30分、ようやく登場した白秋さんに感じた違和感。
声のトーンが、劇3のときと違ったような。
事前に正体を知っていたからではありますが、この時点で「あ、この人、白秋さんじゃない」と改めて感じた部分でした。

◆足癖悪ーい!!
でも、そのおかげで白秋さん(佐藤さん)のおみあしを拝めるわけなので、大変よろしいことかと存じます。ありがとうございました(拝)

◆ひらみ
今回本当に殺陣が多くて、文豪さんたちのどの戦いも見応えマシマシでした。
白秋さん(偽原さん)の立ち回りもたくさん見ることができました。
白秋さんが戦うとき、舞を舞っているかのように、羽織が本当に美しくひらりとなびくのですよね。
織田くんと安吾さんを堕落の底に堕とすとき、1回転くるりと回って銃を構えるときのひらみは、本当に素敵でした!

◆饒舌
何度か観ているうちに、劇館長が中の人の白秋さん、なんだか妙に饒舌だな、という気がしました。
「こことは違う図書館で太宰くんといたのだよ」とか、侵蝕者のこととか、他の文豪さんたちが知らないことを説明しているというところもあったけど、自分の考えを話しだす白秋さん…聞かれてもいないのに、自分ならこうするね、などとペラペラとよくおしゃべりするなぁ…と。そういえば劇3のときも、劇館長は太宰くんを唆すとき、言葉巧みというか、饒舌だったような気が……もしかしたら、そういう部分に、劇6の白秋さん=劇3の館長だと正体を仄めかすヒントがあったのかなぁと思った次第です。
劇3の白秋さんは、相手が話しやすくなる場を作ったり、相手の話にきちんと耳を傾けたり、それでいて自分の考えや思いは多く口にしていなかったような気がします。「お望みなら〜」のあの台詞や、犀星くんに思いを託したあの場面で、初めて自分の思いを爆発させたように(今改めて)思うのです。
 
◆劇館長が白秋さんを擬態する人物として選んだ理由①
ひとつ前の饒舌な白秋さん(偽原さん)の話と地続きになりますが、劇3で、劇館長も自らの手の内を太宰くんにだけ『特別待遇』として敢えて話していましたね。あのときは、『館長』であり、文豪たちを転生させたアルケミストという信頼度の高いポジションだったことと太宰くんの性格も相俟って(太宰くんの性格を見抜いて)、信じさせることができた。
劇6では、劇3で得た『北原白秋という人物の信頼度の高さ』という知見を基に、その姿を借り、たとえ白秋さんと面識のない相手でも「白秋ほどの人物が言うことなら信頼に足りる」と思わせることができると考えて、白秋さんの姿になることを選んだのかなと思いました。
ところで、文豪さんたちを信じ込ませるため、劇館長は白秋さんの言動を真似ていたわけですが…あの図書館に紛れ込む前に、一人でひそかに白秋さんになりきる練習(訓練)をしてたりなんかしたら、劇館長ちょっとカワイイな…なんて思ったりしました。

◆劇館長が白秋さんを擬態する人物として選んだ理由②
太宰くんや無頼派に関して、劇3で太宰くんを転生させたことによって思いがけず『こいつらは生かしておくと危険だ』と気づき、そこから今回の『無頼派抹殺計画』につながったと思うのですが、その計画のために、敢えて白秋さんに擬態することを選んだというのが…太宰くんたち無頼派への執着とはまた違った執着を感じるのは、私の思い過ごしでしょうか…?
劇3の感想でも書きましたが、館長はプロパガンダに利用するために白秋さんを転生させたのではないかなと思うのです。でも、劇3でそれは叶わず、逆に危険分子として、実弾も使って念入りに始末した。それでも白秋さんを選んだのは何故…?
劇6で、偽原さんは「あるいはプロパガンダに利用するために取り込む」というような台詞を言っています。白秋さんが備えている人望や信頼度を利用することに加えて、もしかしたら、劇館長は『北原白秋を』プロパガンダに使うという野望をどうしても諦めきれなかったのではないでしょうか。史実の白秋さんは戦中に亡くなったから、利用したいと思っていた側の野望も頓挫した。だから、転生させて今度こそはそれを叶えたいと考えた、とか。
劇3で、館長は白秋さんを危険人物と悟り自身で殺めました。なので、白秋さん本人(本体)を意のままに動かすことはもう叶いません。ならばいっそ自分がその姿となり、間接的にでも構わないから、是が非でも『北原白秋を』自分の野望を叶えるための手段にしたいと考え、実行した…という可能性はないでしょうか。その上、劇3のときに白秋さん本人がその身に受けた攻撃のやり方を、今回はその姿で行っています。
何故、そこまで白秋さんという人物に固執するのか。そこは、まだ私の中では答えが出ていません。ですが、劇館長の行動は、愛憎表裏一体、狂おしいほどの執着にも思えるのです。考えすぎかな…?

◆檀くんと白秋さん
キャスト発表時、柳川にゆかりあるこの2人が共演すると知ったときは、本当に嬉しくて、公演が始まるのが待ち遠しくて仕方ありませんでした!
劇中ではうなぎのせいろ蒸しで2人の柳川トークを観ることができ、檀さんのおじいさまが、白秋さんからは煙草の香りがしていたという話を聞いたとのエピソードもあり、すっごく嬉しかったです!
檀さんは実際、子ども時代に、現在の白秋生家中庭にある蔵で、白秋さんの『思ひ出』を読んでいたそうです。先述の檀さんのおじいさまが、北原家破産後にその土地を買い取ったことで、檀さんは子どものときに北原家跡地に出入りしていたというわけです。檀さんと白秋さん、2人は同じ場所で子ども時代を過ごしていたんですね。
そんな白秋さんのことを、檀くんは尊敬していたと思います。だから、檀くんは劇中でも、丁寧に敬語で白秋さんに接していましたよね。ただ1回だけ、織田くんが負傷して、潜書を中止するかどうかを話し合ったときだけ、「どちらかしか選べないのか」と敬語ではありませんでした。もしかしたらあの辺りから、目の前の人物に感じていた引っ掛かりやもやもや感が、確信に変わり始めていたのかなと思いました。
劇中では描かれていなかったけど、檀くんは、鰻以外の柳川のことを白秋さんに話しかけていたりしたんじゃないかな、なんてことも想像しました。それは、ただ素直に同郷の先輩と柳川の話をしたかったからだけかもしれないし、せいろ蒸しの時点で何か感じ取って、敢えて柳川の話題を振って試してみて、という感じかもしれませんが。そして「故郷のことを話しても反応がない」ということと、近くにいても煙草の匂いがしないことがおかしいと気づき、確信に変わっていったのではないでしょうか。
煙草の匂いに関しては、おじいさまを通した間接的な気づきだけど、故郷(柳川)の話に反応しないという方が決定的だったような気がします。檀さん(檀くん)が、少年時代に生家跡地に残っていた蔵で読んでいた本は『思ひ出』。白秋さんの、柳川などでの生い立ちを基にした詩集です。それを読んで、白秋さんがどれだけ故郷・柳川のことを愛していたか、檀くんは身を持って知っていたと思います。
それから、檀くんもまた、柳川のことを故郷だと思っていたのではないでしょうか。実際、史実の檀さんもそうおっしゃっていたそうです。
だから、劇中で檀くんが「当たってほしくなかった」と言った嫌な予感の中身には、白秋さんが裏切り者であって欲しくなかったという思いも含まれていたような気がしました。檀くんにとって、白秋さんは、故郷・柳川という大切な核でのつながりがあり、尊敬する人物です。その人(の姿をした者)から裏切られ、無頼派という括りにも入れず、その二重の意味で檀くんは「自分に帰るところはない」と叫んだのかな…と思ったのでした。あの時の檀くんは、どこか切なそうな、やりきれないような表情と声をしていたような気がしました。

◆偽白秋さんが持っていたグラス
これに関しては、白秋さん役の佐藤さんが、LINEラジオ配信で「本番直前ぐらいにあのシャンパングラスに変わった」というようなことを言われていたので、もしかしたら深い意味はないものなのかもしれない…と思って、考えたこと書くのどうしようかとも思ったのですが、せっかく書いていたので晒しておきます。

グラスの中は赤い飲み物なので、思い浮かぶのはワインです。
白秋さんの詩にもワインは登場しますね。

空に真赤な

そらに真赤な雲のいろ。
玻璃に真赤な酒の色。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真っ赤な雲の色。

『邪宗門』より

詩の中の、『玻璃に真赤な酒の色。』
玻璃は、ガラス。真赤な酒は、ワイン。
『邪宗門』の邪宗とは、江戸時代に禁教とされたキリスト教のこと。
そのキリスト教で、ワインはキリストの血(の代わり)として弟子たちに与えられたとされるもの。劇中の『最後の晩餐スタイル(皆揃っての食事)』の場面では、白秋さんはキリストの位置に座っていました。白秋さんがキリストの位置に座っていることが正しいならば(本物の白秋さんであるならば)、白秋さんは与える側の者なので、杯の中のものを飲む立場ではないはず。それなのに、回想シーンの白秋さん(の姿をした者)は、与えるべきものを自分で飲んでいました。つまり、その正体は与えられる側の者で、裏切り者(ユダ)の位置に座していたことから、偽の白秋さんだと判明します。
では、その偽白秋さんが飲んでいたものがワインだったとしたら、誰の血の代わりなのでしょう?
キリストの立ち位置にいるのが本物の白秋さんであるならば、劇館長である偽白秋さんが飲んでいるワインは、白秋さんの血に例えたものなのではないでしょうか。
ということは、劇館長は、白秋さんの姿で、白秋さんの血に例えたワインを悦に入って飲んでいたのでは…?と思ったのでした。
それから、あのグラスの形状について。
シャンパングラスというご意見も、お見受けしました。しかし、シャンパングラスにしては小さいし、シャンパングラスであんなワインみたいなものを飲むことがあるのかな?とも思いました。もしあの赤い液体がワインであるなら、先述したとおり、キリスト教におけるワインは、キリストの血の代わりです。それを受ける物は、杯(聖杯)。でも聖杯そのものだと中身が見えないし、何飲んでるんだろう?ってなるのと、外見的に聖杯って時点で気付く方もいらっしゃるかもしれないから、透明のグラスにしたんじゃないかな?…なんて、考えすぎてこじつけみたいになってきてる気がするので、グラスと赤い飲み物については、一旦ここまでといたします。

◆劇最終版の白秋さんについて
最初の方で言及しました『本物の白秋さん』について。
物語の中では、最後の数分間でようやく登場する、本物の白秋さん。
その数分間に、もう色々なことに考えや思いを巡らせて、胸がキュッとなりました。

「ここから君たちの戦いを見ていたよ」
「ここに来た者を、然るべき場所へ送り出しているのだよ」
「僕はもう少しここにいて、道標になるよ」

こんな台詞を穏やかな笑みを浮かべて言う白秋さんを、その場で抱きしめたくなりました。
台詞から察するに、白秋さんは自らの意志であの空間に居る(残っている)のだと思います。
誰かに(たとえばアルケミストに)、そうしてほしいと頼まれたのかもしれない。
頼まれた上で、承知したと快諾し、あの空間に居るのかもしれない。
何故、白秋さんが残る役目なのか。もしくは、残る役目として選ばれたのか。何か特別な理由があるのか定かではないけれど。
戦いを見ていたということは、自分の偽物がひどいことをしているところも当然見ていたでしょう。でも、あの空間から介入することはどうもできなそうで…。どれだけ歯痒かったことでしょう。
そして、自分以外であの空間に来た者を然るべき場所へ送り出している、ということは、たとえば最初は数人一緒にいて、それなりに会話なんかもして過ごしていて、行くべき場所が定まった者があれば、それを送り出して…。
ひとり、またひとりとあの空間から人がいなくなり、ひとりぼっちになり、いつ来るかもしれない導くべき魂を待ち、誰かが来たらまた送り出し、そして再度ひとりになり…そんなことを繰り返していたとしたら、たとえ文劇白秋さんのメンタルでも、辛く寂しくならないときが全くないなんてこと、ないと思うのです。

誰もいない…アルケミストとどこかで繋がっていてあの空間にいるのなら、誰もいなくてもひとりではないのかもしれないけど、そうだとしたら、偽原さんのいる劇6の図書館にも、何かしら介入できたのではないかな…?と思うので、私の中では、白秋さんがいたあの空間は、白秋さん以外誰もいない場所だと思っています。

そんな、誰もいない、こちらからの声も届かない、手も差し伸べられないあの空間にたったひとり、どんな気持ちでいたのか。

そこから織田くんと安吾くんをあの空間に迎えて、また送り出して。
自分の気持ちや感情を露ほども表に見せずに、穏やかに。

そしてまたひとりになって、どんな気持ちだったのでしょう。
感傷に浸るより、いつか再び来るであろう劇館長との戦いに向けて、気持ちを切り替えていたでしょうか。それはそれで、なんか切ない…とも思うのですが。

こんな感じで、劇のラスト数分間で、もう脳内も感情もぐるぐる、胸はキュッとなってしまっていたのでした。

今後、あの空間から白秋さんがどうやって出るのか、もしくは助け出されるのか、説得されて引き摺り出されるのか、どういう展開になるかも楽しみです。
(これについても、覚醒指環と絡めた妄想をあれこれとしていたのですが、なかなかうまくまとめられなかったので、今回は割愛いたしました)

・イシイさんのネタバラシ
 https://twitter.com/jiro_ishii/status/1632366096736219144?s=20
佐藤さんの演じられた劇3の白秋さんが素晴らしすぎて「あのような形で登場させるを得なかった」とおっしゃって、白秋先生ごめんなさいとも
言われていたけれど。
最初にお話ししたとおり、なにしろ観劇前に盛大にネタバレ要素を摂取していて、だからこそイシイさんの「演劇というものだからこそ(白秋さんを)ああいう姿にせざるを得なかった」という吐露を拝見してすごく納得できたのでした。
文劇6は、無頼派への愛が込められた、無頼派にスポットを当てた物語だけど、同時に、イシイさんがおっしゃるところの『文劇3の素晴らしい白秋さん』を登場せしめるための物語でもあったのだと考えると、もう嬉しくて有難くてたまりません。
そんな文劇の白秋さんを、このままあの空間に残しておくことはないと思うので、この先の文劇できっとまた会えると信じて、待つことにいたしましょう。