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【復刻】文劇3『綴リ人ノ輪唱』に寄せて

文劇3のときにしたためた感想文ですが、文章を書いた
当時のTwitterアカウントを2022年6月末で閉鎖せざるを得なくなり、
そのため、この感想文も消えてしまいました。
でもせっかく頑張って書いたものなので、スクショにして残しておきました。
Twitterは不安定な時もあるため、現在のアカウント(@private_haku_PR)
ではなく、noteに書き移しておくことにしました。
以下、2020年の文劇3公演後に、ふせったーさんを使って綴ったママを
記します。

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大千秋楽から2週間も経ってしまい、
今更ではありますが、文劇3の感想などを綴ってみました。
伏せるような内容ではありませんが、長いのでふせったーさんを
使わせていただきました!

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公演中から、沢山のお司書さん方の感想や考察、解釈を拝見していました。
共感するところもあり、色々な角度からの感想等もあり、中の人にとって新しい
発見にもつながり、どれも興味深く拝見しました😊

皆さん本当に色々なことをご存知で、素直にすごいなぁと感心しきりで、色んな
ことを教えていただいている感じです。
以下に述べることは、中の人の個人的な思いや考えであり、深掘り系の感想では
ないので、あしからず…です!
(感想の順序も、内容に沿ってはいませんので…)

●白秋さんが叫ぶあの台詞について①
あの台詞の最初の方に、『古き友』という言葉が出てきます。私は、そこに
白秋さん自身にとっても色々な『古き友』を感じました。
白秋さんが本格的に文学を志し上京の切欠になった、故郷・柳川の古き友。
共に文壇を築き上げてきたが、志半ばで病気などで亡くなった友ら。
この古き友たちの『道』は、白秋さんが継いできているんですよね。
文劇白秋さんは、多くの人の道を自身へ集結させていると同時に、多くの人の道標にもなっている。そんな存在なのかな、と思いました。

●白秋さんが叫ぶあの台詞について②
白秋さんが台詞の中で並べていた絵画や小説などは、白秋さん自身と関係のある
方たちが携わっていたものでもあり、白秋さん自身も嗜んだり親しんできたものばかりだな、と思いました。
あの時代、あらゆる文化・芸術の中に、白秋さん達は生きていたんですね。

●「生きろ!」という叫び
あれは、劇中の文豪たちの太宰くんへの言葉であり、同時に舞台を観ている
私達へのメッセージでもあるように感じました。こんなご時世だけど、こんな
ご時世だからこそ、、文化・芸術の灯火を絶やさないよう、文学を含む文化・
芸術に触れ続けたり、発信を続けたり、文化・芸術の世界と共に生きてほしい、
そして次の世代へと繋げてほしいという思いが込められていた気がしました。
また、文化・芸術そのものにも、生きてくれ!という願いが込められている
ようにも感じました。
同様に、白秋さんが犀星くんに託した叫びも、あらゆる文化・芸術を『受け継いで
いってほしい』という、舞台を観ている私たちへのせつなる思いであったように感じました。

●『人を支えているのは、人の想い』
本当にそのとおりだなと思います。
しかし、人の想いは、人を支えるだけではない力を持っていると思います。
劇館長のような強い想いは、その性質によって、人を鼓舞することもあれば、
煽ったり、行動を制限させたり、如何様にもなるでしょう。
人の『想い』には、良くも悪くもすごいエネルギーが内包されているのだと、
今回改めて感じました。
そしてその『想い』を、聞こえるように(声)、見えるように(文字)すると、それは
言葉(言霊)となって実際に力を持ちます。これもまた、良くも悪くも、です。
私自身も、そのエネルギーや言葉の持つ力の使い方を、誤らないように気を
つけたいです。

●劇館長が、自身が転生させる文豪の中に白秋さんを選んだ理由
もしかしたら、最初は、白秋さんのことを『またプロパガンダに利用できる』と
思っていたのかもしれません。
でも、転生させた白秋さんは、生前のそれを悔いていました。白秋さんのその
思いを知って、館長は白秋さんを利用できないと悟ったが、それだけの強い後悔の
思いや、色々な事柄に接して感情を閉じ込めていることを知って、白秋さんのその
部分を、負の感情として利用できると考えたのかもしれません。
その流れで劇序盤の『からたちの花』の侵蝕につながったのかなとも考えました。

●白秋さんが劇中で亡くなる場面について
初日の配信のときに、芥川さんの垂れ幕が出た時点で、ちょっと嫌な予感がして
いました。
中也くん、そして朔太郎くんの垂れ幕が出た時、次は白秋さんだと確信しました。
でも、生き延びて……まさか朔太郎くん(の姿をした館長)から、あんな形で
とどめを刺されるなんて。
劇中に登場する文豪さん7人の中で、白秋さんだけが『銃弾』でやられています。
文アルで、詩人の武器は銃。
その銃から放たれる力(銃弾)は、それこそ心をダイレクトに打ち抜く言葉の持つ
力そのものだと思っています。
なので、白秋さんのやられ方は(戦前〜戦中という時代に)白秋さん自身が放った
言葉の力が、館長側の主義主張に乗せられて、銃弾(言葉の力、しかも実弾)と
して、信頼する相手だと思っていた存在(当時の国)から無慈悲に、白秋さん自身へ
何か責任のようなものを突き返されたような、そんな風に思いました。
反論する間もなく、有無を言わさずただただ撃たれ続ける姿は、当時の自分の
真意を誰にも伝えることもなく(伝えることも出来ず)、病気で戦中に亡くなった
白秋さんと重なりました。
白秋さん推しという贔屓目もありますが、7人が死んでいく場面の中でも、一番
見ているのがつらかったところでした。
朔太郎くんの姿の館長が、容赦なく撃ち続けて、撃ち尽くしても弾を充填して
更に撃ち続けて、もう事切れているのにそれでも撃って、館長の『こいつだけは
絶対に生かしておけない』感がすごく伝わってきました。
裏を返せば、あの館長が、それだけ白秋さんの力を認めていた(恐れていた)証し
なのかもしれません。

●最後に。
文劇3で、からたちの花を摘む白秋さんが、
乱歩さんにエスコートされる白秋さんが、最高に可憐でした……!!!
あめんぼ赤いな、のところで控えめにピースする白秋さんも愛おしい…
不良の姿も可愛い…
北原一門も、本当に最高でした!文劇1と2の世界の先で、1、2、3の
メンバーが再び揃った図書館を是非とも見てみたいです。
なので、『4』を是非とも、希望します!
それから、劇中で『この道』を使ってくださったこと、本当に嬉しくて
たまりませんでした。
記念館でもこの曲は流れますし、市役所では始業・終業の時間のチャイムで
この曲が流れます。その度に、文劇3のことを思い出してしまいます(笑)。

大変長くなってしまいました。
果たしてここまで読んでくださっている方がいらっしゃるかわかりませんが、
もし読んでくださっていたら最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
感謝感謝、圧倒的感謝!!