-能登半島地震に臨むこと(前編)-能登半島地震直後の私の想い-
あけましておめでとうございます。当初はこの日にはロシア正教に関する記事を掲載しようと思っていたのですが、能登半島地震が起きたことを踏まえ、予定を変更させていただきました。前編では能登半島地震が起きたときの私が抱いた率直な想いとその後の行動について、後編(2024年1月14日追記:中編で志賀原発、後編で災害という現実と2つに分けることとなった)では能登半島地震での志賀原発を巡る状況、災害という現実についてどう受け止めるべきかについて述べたいと思います。年初から堅苦しい内容となりますが、ご容赦いただきたくお願いします。
能登半島地震が起きて感じたこと
1月1日に起きた地震
読者の皆さまもご存じの通り、今年2024年は1月1日という本来であれば年の初めというおめでたいはずの日に、能登でマグニチュード7.6、震度7の地震がありました。(※1)1月1日に巨大地震が起きたということもあり、noterの皆さまの中には、能登半島地震で正月のあいさつどころではないという反応も多く、不安さや後ろめたさを吐露した記事が目についたのが印象に残っています。
私は東京在住のため、被害は受けてはいないものの、このニュースを聞いて、年末年始ののんびりとした雰囲気から醒めたのが正直なところです。また、現代に生きる私たち人類が、普段当たり前のように享受している文明の利器は、自然の持つエネルギー、巨大さの前には脆い存在でしかないのではないという虚無的な想いを抱きました。
自分にできることは何か
時間が経過するにつれて、こうした感慨は被災地で苦しんでいないからこそできる余所者のゆとりでしかないのではという想いを抱くようになりました。そうした中、私たちができることは何かということで、被災地への募金、物資支援、現地でのボランティア活動などが必要ではないかという声をSNS上などで目にしました。これらの積極的な姿勢に接した際に、私は自分ができる支援は募金が一番いいのではないかと感じ、1月2日夕方に赤い羽根共同募金(※2)に普段の礼拝献金プラスアルファ程度のお金を寄付しました。
もちろん、能登半島地震に対する支援は個人が自発的に行うべきものであって、ムードや周りの状況によって何気なく行うというものであってはならないと考えています。ムードや周りの状況で自分の意志を抑制したり、周りに合わせる同調圧力は日本社会の体質でもありますが、近年においては、昭和天皇の重篤、死に伴い、イベントや慶事を中止するといった自粛ムードがその典型例と言えるでしょう。
ただ、赤い羽根共同募金への寄付で能登半島地震問題への対応がすべて終わるわけではありません。医療関係者、災害支援活動を専門としたNPO関係者など、被災者支援に尽力されている方々もいます。また、1月2日の羽田空港における事故で亡くなった海上保安庁の方々は被災地への支援活動に行く途中であったことも私にとって記憶に留めておきたいところです。(※3)
また、能登半島地震被災者に限らず、ホームレス、母子家庭などによる貧困、人間関係で悩んでいる方、差別、偏見によって苦しんでいる人、パレスチナ、ウクライナでの紛争、ミャンマーにおける圧政などで苦しんでいる人がいることも忘れてはならないと考えます。社会における苦しみ、問題について、自分にできそうな範囲の支援をするということに心がける1年でありたいです。
今年の大晦日を幸せに過ごせるように
年初から能登地方での震災、また羽田空港での飛行機事故と災難が続くことに不安を感じるのは人として自然な反応ではあります。ただ、その不安を受け止めつつも、私たちが行うべきは地震における被害をどのように減らすかという減災のためのインフラ整備のあり方、飛行機事故においては事故原因を徹底的に追求した上での再発防止策をどのように行うかということにあります。漠然とした不安のみが増長することは、不安に付け込み勢力拡大を狙うカルト集団の台頭や、扇動的なデマ、風評被害の拡大といった二次被害を誘発することにもつながります。
年初の不幸な出来事に負けることなく、2024年の大晦日の日には皆様とともに幸せな日を過ごすことができるよう、尽力して参りたいと思います。今年もよろしくお願い申し上げます。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
脚注
(※2) 赤い羽根の災害・被災地支援 | 赤い羽根共同募金 (akaihane.or.jp)
(※3) 【2日詳細】羽田空港 日本航空JALの機体が炎上 海上保安庁の機体と衝突 海保機の5人死亡 | NHK | 羽田空港事故
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