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ラジオに思うことー吉田照美「ラジオマン」よりー

 本日は参院選の総括と政治に対するあり方をコメントする予定でしたが、55年体制崩壊後の政治との関連も踏まえて考察したいと考えたので、日を改めて書きたいと思います。今回は私の趣味の一つであるラジオに関連したエッセーとさせていただきたくよろしくお願いします。

はじめに

 ふと、何気に日曜日の朝ラジオを聞こうと思い、radikoでラジオ番組を探していると、ラジオパーソナリティの吉田照美がBayfmで番組を持っていることを知った。吉田は元文化放送のアナウンサーで、文化放送を中心に様々なラジオ番組を担当してきた人物であり、文化放送「伊東四朗・吉田照美 親父熱愛」は現在でも放映中である。そのため、吉田=文化放送のイメージが強く、FMのラジオ番組を吉田が担当していることに驚いた。

 Bayfmで吉田が担当している番組"TERUMI de SUNDAY!"(※1)は、吉田が文化放送の番組「吉田照美のてるてるワイド」、「吉田照美のやる気MANMAN」などで展開していた毒や若者向けのいわゆる「おバカ」を売りにしたものではなく、日曜日の朝に気軽に聴けるような雰囲気になっている。ただ、吉田自身が培ってきたトークの面白さという点は変わっておらず、吉田の雰囲気になじんできた人も聴ける内容になっていると思う。

実際の吉田照美①

 吉田照美を知っている人はハイテンションなしゃべりや面白おかしいバカバカしいことを売りにしてきた人というイメージが強いだろうし、私の吉田に対するイメージもそれに近い。しかし実際の吉田自身は内向的な性格であり、大学でもアナウンス研究会に入っていたが、アナウンス研究会に入ったのは人前で喋ることを通して対人恐怖症を克服したいということからであった。(※2)

 吉田が実際は内向的な性格であることは学生時代に吉田に会った元ニッポン放送のアナウンサー上柳昌彦も感じていたようで、上柳は吉田に会ったときのことを次のように記している。

 初対面の照美さんは束ねて閉じてあるスポーツ紙をめくりながら
 「そーなんだぁ。アナウンサーになりたいんだぁ。でもやめたほうがいいと思うよ」
とこちらをあまり見ずに小さな声で話す。
 「あっそうなんですかぁ」と何となく会話が進まない。(※3)

 もちろん、吉田は自身が担当をしていたラジオ番組「セイ!ヤング」が始まった瞬間にハイテンションになって番組を盛り上げる。だが、その番組が終了すると本来の静かなトーンに戻っていく。この様子を見た上柳は、吉田は「狂気」の世界に入り、また日常に戻ったと評している。(※4)ラジオパーソナリティの吉田は「演技」の様相も強かったと言えよう。

実際の吉田照美②

 吉田照美が硬派色の側面があるとラジオリスナーを中心に認識され始めたのは、吉田が朝のニュース番組「吉田照美 ソコダイジナトコ」を担当した辺りからだろう。当初、吉田は必ずしも報道番組に携わる際に前向きだったというわけではない。吉田は報道を手掛けたことがない上、ニュースを読むのに苦手意識があったこと、同時間帯はTBSラジオの「森本毅郎スタンバイ」が番組の硬派色と森本の個性によって首都圏で首位に立っていることもあり、どうすればいいかと苦悩したという。(※5)

 ただ、吉田は「ソコダイジナトコ」を自分にとって意義深い番組になったと語っており、今回ご紹介している吉田の著書「ラジオマン」のプロローグでは、東日本大震災で斉藤和義のプロテストソングをかけたことが強調されている。(※6)吉田にとって報道番組を担当したことの意味は大きかったと言えよう。報道番組に向き合えたのは吉田自身のパーソナリティもあるだろうが、ラジオというメディアの持つ特徴もあるとして次のような意見がある。

 ラジオは昔ながらの商店街やトラックドライバーさんみたいに働きながら聴いている人や、僕にも経験がありますが、受験など勉強しながら聴いている人、子育てや介護、入院したり闘病生活(を)送っている人、つまり、今、頑張っているとか、頑張りたいけど頑張れずにいる人たちが聴いているメディアなんですよ。そうするとそういう人の粗点、そういう人の生活と結びつけてニュースを語れば、おのずと権力に対して批判的になったりとか、こうすべきというメッセージ性を持ってしまうというところが、必然的にあると思います。
 昔バラエティ色が強い喋りをしていた(吉田)照美さんや、大竹(まこと)さんが比較的、権力に対してものを言うようになっているというのは、やはりそれは取りも直さず、リスナーの視点で喋るからだと思うんです。(※7)
                           (を) は著者追加

 ここに引用をしたものは文化放送記者の一見解であるし、主観的な様相はあるだろう。ただ、ラジオはテレビと異なり客体であるリスナーとラジオパーソナリティの距離が近い傾向にあり、テレビのワイドショーなどで見られるようなテレビ側の指示に基づく議題の設定に沿ったやり方での番組は通用しにくい傾向にはある。

 吉田は「ソコダイジナトコ」で東日本大震災による福島第一原発の事故の問題に対処をした際に、当時のNHK会長がNHKは政府の公式見解を踏まえたニュースを制作していると発言したことについて、これではNHKは「皆さまのNHK」ではなく「政府のNHK」であるが、報道は権力と対峙する存在ではないかと思うと述べている。(※8)と同時に、吉田は以上のことはラジオでも言えることであり、すべてを他人事のような感覚に侵される日本人の体質も問題であるとも述べている。(※9)私たちが物事に対して無批判、無関心であれば、テレビのみならず他のメディアも同様の傾向になることを吉田が認識している事がわかる。吉田の姿勢からはメディア人にありがちな受け手に媚びるポピュリズム的な傾向とは一線を画しており、メディアそれ自体のあり方や私たち自身のSNSも含めたメディアへの向き合い方とは何かを考えさせられる。

まじめさの裏返しとしてのバカバカしさ

 吉田自身はくだらなさ、バカバカしさだけではダメだと考えており、次のように語っている。

 若い頃は、「くだらないこと」「バカバカしいこと」をテーマに掲げて、ラジオならではの笑いを夢中になって追求してきた。もちろん今でも、くだらないことやバカバカしいことは大好きだ。たくさんの笑いをリスナーに届けたい、と思っている。
 しかしこれから先は、ラジオというメディアを通じて、世の中のためになること、誰かのためになることをメッセージとして発信していきたいと思う。
 人々に笑いを提供するのも有意義なことだが、シリアスな部分とファニーな部分、その両方があって初めて、人間としての価値や生きる意味があると思うのだ。(※10)

吉田のシリアスへの言及には社会の理不尽さ、不条理さといったことに直面した際に、バカバカしさやくだらなさだけでは、単なる誤魔化でしかなく、結果として単なる太鼓持ちと化すことへの懸念があるのではないだろうか。SNSなどで見られる社会批判への冷笑的な態度やそれに追従するメディア業界人は、シリアスさの大切さを軽視することで「くだらないこと」、「バカバカしいこと」をつまらなくしているのかもしれない。まじめさやけじめなきバカバカしさ、くだらなさは単なる堕落でしかないということだろう。

皆が集まっているイラスト1

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(※1)

(※2) 吉田照美「ラジオマン 1974~2013 僕のラジオデイズ」 P26 「ぴあ株式会社」

(※3) 上柳昌彦「定年ラジオ」P69~P70 「三才ブックス」

(※4) 上柳「前掲」P70~P71 「三才ブックス」

(※5) 吉田「前掲」 P179~P180 「ぴあ株式会社」

(※6) 吉田「前掲」P8~P13「ぴあ株式会社」

(※7) 室井昌也「ラジオのお仕事」「報道記者」文化放送記者 石森則和へのインタビューより P154

(※8) 吉田「前掲」 P194~P195 「ぴあ株式会社」

(※9) 吉田「前掲」 P196~P197 「ぴあ株式会社」

(※10) 吉田「前掲」 P13~P14 「ぴあ株式会社」

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