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近藤紘一について(前編)-南ベトナム・ベトナム戦争を中心にー

 今回は、「露宇戦争を巡る日本国内の反応について」(前編・後編)(※1)を踏まえて、今週、来週の2回にわたって故産経新聞記者の近藤紘一氏をご紹介します。今週は南ベトナム及びベトナム戦争に対する近藤氏の見解に関する記事です。

南ベトナム報道と近藤の南ベトナム観

 近藤紘一の本には南ベトナムで現に生活をする人々に焦点を充てて記述したものが多い。代表作としては、新聞記者としてサイゴン陥落時の経験を記した「サイゴンの一番長い日」(文芸春秋)、南北ベトナム統一後のベトナムでの親族やサイゴン支局長時代の仕事仲間の状況、カンボジアの有力政治家ソン・サンへの取材などをまとめた「したたかな敗者たち」(文芸春秋)などがある。これらの本では南ベトナムに生きる様々な階級の人々が政治や社会に振り回されながらもたくましく生きる姿が描かれており、イデオロギーや書生論でのみ語ることの愚かさを感じさせられる。

 また、南ベトナムが西側の政治的価値観である自由と民主主義の制度に上手く適合できない状況を当時のメディアは「弾圧」、「強権政治」などの言葉で一方的かつ否定的に報じていたが、近藤はそうした姿勢と距離を置いていた。その一例を挙げたい。

 南ベトナムの大統領選挙において、産経新聞社は大統領選挙に不正、不当性があるとして、不正、不当性を強調する記事を書くよう当時サイゴンにいた近藤紘一に指示した。だが、近藤は候補者同士が自陣営に属する武装兵士を街に繰り出し、双方がにらみ合う状況にあること、そもそも当時の南ベトナムにおいては50歳以上の識字率が低く教育水準が十分でないために一般民衆に政治参画の意識がなく、そうした有権者は当局から銃で脅されるままに投票しており、そもそも選挙を成り立たせる条件が南ベトナムには整っていないと考えていた。近藤は南ベトナムは西側諸国で行われているような大統領選挙が行われるような条件が整っていないことを本社に説明したが、本社は理解せず無視をした。選挙という言葉を用いたセンセーショナルな紙面づくりという商業ジャーナリズムから、本社は読者を騙そうとしていると考えた近藤は(※2)次の行動に出た。

 癪にさわったので私は、ルポ注文を無視して百行ほどの解説を書いた。
 「この種の”選挙”の混乱・不正の原因は、結局のところ自己に都合がいい”民主主義”制度を強引にこの国に押しつけたアメリカにあるのではないか。その本質的原因を衝かずに狩り出しだの監視投票だの枝葉末節の現象ばかり取り上げて騒ぐ報道態度はおかしい。この国の現状から見て、不正でない選挙が行なわれたら、その方がはるかに大ニュースなのである」
 要約すれば、こんな内容であった。東京サイドはよほど頭にきたらしい。私の解説記事はボツになり、”強制投票”のもようを派手に伝える通信社電が大きく紙面を埋めた。(※3)

 これは産経新聞の事例であるが、おそらくは程度の差こそあれ、どの新聞社もテレビメディアも自身にとって都合がいい読者ウケを狙った報道をしていたのではないだろうか。当時の日本では南ベトナムの住民は南ベトナムの政府の弾圧に苦しんでおり、南ベトナム解放戦線による解放を望んでいたというのが世論の主流であったため、その流れにメディアが乗った側面は強かった。しかし、以下の近藤と古森義久との対談からはサイゴンにいた近藤がその当時も日本の世論とは違う見方を示していたことがうかがえる。

 もちろんチュー政権が天国だったという意味じゃない。ひどい政権だったけれど、一般住民の大多数はなによりも疲れ果てていた。そしてハノイのやっていることに対しても、われわれ外国人以上に身近かに、そして現実主義的に見ている。貧しい北ベトナムの人間が農産物豊かな南ベトナムの富を収奪しにくるんだ、というのが多くの一般住民の素朴な感覚だったと思う。「グエン・バン・チュー政権は嫌いだ。しかしハノイはもっと恐い。虎に追っかけられたら、狼の背中に乗ってでも逃げなければならない」というのが、彼らの一番正直な気持だった。こういう原稿を送ると、非常に反動的だとみられてしまう。(※4)

 noteをお読みの皆さんの中には、近藤紘一が以上のような主張をするのは産経新聞が右翼的体質を持っており、近藤はその影響を受けているから南ベトナムをイデオロギー的な意味で擁護をしているのだとする方もおられるかもしれない。しかし、近藤は古森義久との共著「国際報道の現場から」の中で、古森がサイゴン陥落をサイゴン解放と書いた日本人記者を資本主義国である日本の記者として報道の自由に基づく新聞存在自体が否定される体制移行を解放と呼ぶのはおかしいと主張したのに対し、サイゴン陥落の方が当時の状況に近いとしながらも以下のように反論している。

 その点に関しては、(略)日本で考える共産主義と、あの地域での共産勢力の役割、存在意義というものは大いに次元が違うと思うので、自由主義国の日本の新聞記者があの事態を「解放」と呼ぶのはおかしいじゃないか、という発想には賛成しかねるな。(※5)

以上からすると、(※4)の主張については、近藤が共産主義の意味が国によって異なることをきちんと理解をした上で、現地の南ベトナムの人たちが北ベトナム(ベトナム民主共和国)や解放戦線を否定的にとらえていたことをイデオロギー抜きに評したものと考えたほうが自然である。その意味で、私は近藤がきちんと事実を踏まえた上で客観的に物事を見る能力があるジャーナリストであったと考える。

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 いかがだったでしょうか。次回後編では「プラハの春」に対する見解および共産主義全般に対する近藤紘一氏の考察をご紹介します。

皆が集まっているイラスト1

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(※1)

(※2) 古森義久・近藤紘一著「国際報道の現場から」 「Ⅲ 国際報道をどう読むか」P142~P144 中公新書

(※3) 古森・近藤前掲「国際報道の現場から」 「Ⅲ 国際報道をどう読むか」P144 中公新書

(※4) 古森・近藤前掲「国際報道の現場から」 「Ⅱ 国際報道、その問題点」P74 中公新書

(※5) 古森・近藤前掲「国際報道の現場から」 「Ⅱ 国際報道、その問題点」P73 中公新書

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