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ペンの暴力-事件記事に実名報道は必要か- ① 実名報道、匿名報道とは

 日本の事件報道が、読者の興味本位かつ面白おかしく扇動的になされる傾向があることの一つに実名報道主義があると考えております。1回目の今回は実名報道と匿名報道のそれぞれのスタンスについてご紹介して参ります。

実名報道およびその背景にある報道姿勢

 実名報道とは、原則として被疑者の実名を報道する立場の報道を指す。実名報道の必要性の根拠として、元東京新聞編集委員の飯室勝彦は、社会の関心度が高いということや公共性があるなどとして次のように主張する。

 「だれが」はニュースの基本だし、それを明示することによって記事のインパクトも増す。被害者、被疑者の名前は公共の利害に関し、かつ公共の関心事であることは判例も認めている。(※1)

 飯室の実名報道主義の背景には、「「だれが」はニュースの基本」という言葉にあるように、俗にいう記事は5W1Hを明確にすることが必要であるとする考えに基づいていると言える。したがって飯室の主張する実名報道には単に被疑者の氏名を実名で書くことのみならず、被疑者の住居、仕事先、交友関係、プライバシーに関することすべてが記事の対象となり(※2)、被疑者のみならず被疑者の家族、親族、関係者、交友関係すべてが取材の対象となり、また記事の対象となることを意味する。そのため、被疑者はもちろん被疑者と関係がある者が取材を拒否した場合でも、記者、編集サイドが事件に関係するために記事にすることが必要であると判断した場合には一方的に記事の材料にされる可能性も孕んでいる。

事件取材・報道における迷惑行為

 実名報道は(※1)で飯室が「(実名を)明示することによって記事のインパクトも増す」と言明したように、実名報道によって事件における世間の好奇心をより一層煽ることとなり、過熱報道・取材や報道被害につながる可能性もある。

 その一例として私が聞いた話をここで取り上げたい。私に語った人によると、卒業をした学校の同級生が卒業後にしばらくして犯罪事件を起こした際に、いろいろなマスコミがその人の家に集中的に電話をしたという。電話に応じた家の者は、同級生とはどういう関係だったか、事件についてコメントが欲しいと言われて大変な目に遭ったとのことである。おそらく各マスコミはどこかで卒業アルバムを入手し、そこから誰が同級生なのかということを調べていったのだろう。その姿勢には取材者側の都合のみが優先され、取材される対象の都合などを一切無視していることをうかがい知ることができる。

匿名報道主義を主張する理由

 実名報道に対し、匿名報道については「小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」では以下の通り定義される。

刑事事件などにおいて、容疑者・被告人・被害者やその家族などの実名を報じないこと。広義には、個人を特定できるような写真、映像、住所、年齢、職場、地域、組織名などのほか、団体名や情報提供者名を報道しないことも匿名報道に含む場合がある。(※3)

実名報道とは反対に、単に匿名報道とは被疑者の氏名を報道しないことのみならず、その関係者、親族も含めプライバシーなど実質的に個人を特定できるような報道をしないというスタンスであることがわかる。それは事件報道について扇動的に報道する態度を改めることをも意味する。

 具体的には、事件報道において、被疑者個人のパーソナリティに焦点を宛てた関係者への取材や警察発表よりも、被疑者の育ってきた社会環境といった社会的背景の問題点や、被疑者への捜査機関の取り調べにおける透明性の確保、取り調べにおける不当な人権侵害や不当な拘束がなされていないか、被疑者及び被疑者の弁護人の事件についてのスタンスがどういったものであるかの取材が求められることになる。そのうち社会的背景の問題点はリアルタイムにおける報道には適していないため、匿名報道主義においては事件記事における速報性は捜査機関において取り調べの透明性の確保がなされているか、被疑者及び弁護人の主張、立場はどういったものかという点が中心になると言える。

 元共同通信記者の浅野健一が、1983年に匿名報道主義を採用しているスウェーデンを訪れた際、一般市民による報道被害の苦情申し立て組織プレスオンブズマンであるトシュテン・カーシュは匿名報道主義のスタンスについて浅野に以下のように語った。少し長いが大切なことなので引用をしたい。

 民主社会の報道機関の重要な使命の一つは、社会における権威や権力者を批判的に観察することにある。だから公的な任務の適正を疑われるような過ちや不道徳な行為を犯した政治家、高級官僚、労働組合幹部、企業役員などの氏名は公表されるべきである。一般市民を支配する立場にある人たちが自己の職務に関係して市民の利益に反する行為をしたときには、それを知らせる必要があるからだ。ただしその場合も、本人に弁明させ反論の機会を与え、まちがっていれば訂正し謝罪することは当然だ。
 それに対して、公的活動をしていない一般市民に関しては、犯罪の種類にかかわらず、氏名、写真、出身地などを明らかにする『明白な社会的関心』が存在すると認められることはごく稀である。氏名の発表をすれば、刑務所で服役してからの社会復帰を困難にする。本人だけでなく家族や友人に苦痛を与える。私のところへも家族からしばしば苦痛の申し出がある。子どもたちは級友から白い眼で見られ、つらい思いをする。犯罪に対する処罰は法廷で下されるのであり、新聞がさらし者にするという罰はあってはいけない。実名を入れて報道することでの関係者の苦痛を頭に描いてペンを走らせることだ。(※4)

 また、カーシュは一般人を対象とした実名報道の例外として麻薬犯罪、スパイ犯罪を挙げているが、その場合でも逮捕・起訴前段階ではその素性を暴露してはならず、判決前における事件報道では被告人の主張が報道されるべきであり、本人が容疑を認めていない限り犯罪事実の有無が決定されていないことを記事に明記するべきであるとしている。匿名報道主義が、被疑者を裁くのは裁判所であり、メディアはそれに加担をするべきではないというスタンスで事件報道を考えていることがお分かりいただけるだろう。

 法学部に在籍したあるいはしている人は、刑事政策(刑事学)の講義で、制裁について「刑事的制裁」、「行政的制裁」、「社会的制裁」の3つがあると教わっているかと思う。事件において未成年であることや精神疾患を持っている者が公表されないことについて、名前を公表しろとSNS上を中心に主張されているが、これは社会的制裁をメディアの側に求めるものであると言える。

 しかし、社会的制裁は刑事裁判にかけられることに伴い、企業を解雇されることやその人に対する社会的信頼を失うことで受けていると私は解釈する。メディアによる社会的制裁としての実名報道を行うことにより、被疑者のプライバシーを暴露することは当人の社会復帰を事実上困難にするものであり、最悪の場合には当人を反社会的組織に追い込む可能性をも考慮するとメディアによる社会的制裁は行き過ぎであり、なされるべきではないと考える。更正の機会が幅広く与えられた社会のほうが本人の人権の点でも犯罪の抑止の点でも望ましく、社会の健全性がより確保しやすくなるのではないだろうか。

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 今回は実名報道と匿名報道について比較検討をして参りました。次回は実名報道を主張する意見に対する批判的考察についてご紹介します。(次週は別のテーマを投稿する予定です)

皆が集まっているイラスト1

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 (※1) メディアと人権を考える会編「徹底討論 犯罪報道と人権」「第4章 歩み始めた改革の道」P95 現代書館

 飯室が被疑者のみならず被害者についても匿名としないと主張しているところに、メディア関係者を中心に被害者の人権の名の下に被疑者の人権を主張することをけん制する動きが偽りの「人権」であることがわかる。なお、飯室の見解に対する批判の詳細は別途note記事に掲載する予定である。

(※2) 2022年5月の東京新聞の某事件記事には被疑者の住所が記載されていた。

(※3) コトバンク 実名報道とは

(※4) 浅野健一「新版 犯罪報道の犯罪」「定着する匿名報道主義」 P383 新風舎文庫




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