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もうひとつの9.11-チリ・クーデターについて考える①-

はじめに

 今年は「アメリカ同時多発テロ」(いわゆる9.11)から20年になる。20年という節目もあってか、NHKは9.11特集を組む予定だ。(※1)アメリカでは大統領夫妻が事件の現場となったシャンクスビルを訪れ犠牲者を追悼し基調演説を行うとのことである。(※2)

 9.11に対するアメリカの武力報復によって当時のタリバン政権は崩壊したが、今年に入りタリバンは武力によって再び政権を獲得した。これに対するメディアや、メディアに関係する評論家、文化人、知識人たちの9.11に対する関心は高い。

 ただ、私は「アメリカ同時多発テロ」と同じ火曜日に起きた「もうひとつの9.11」である「チリ・クーデター」を取上げたい。選挙という民主的手続きによって成立し、かつ憲政の精神を重んじると内外に表明したアジェンデ率いる社会主義政権がアメリカの支援を受けたピノチェト率いる軍部によるクーデターで崩壊し、その後苛烈極まる圧政が敷かれたことが何を意味するのかを考察したいからだ。

 私が初めて「もうひとつの9.11」を知ったのは、ラテンアメリカに詳しい現代企画室の大田昌国が講演でチリ・クーデターについて言及した時である。私もチリ・クーデターのことは知識として知っていたが、チリ・クーデターが1973年9月11日に起きたことはそのときまで知らなかった。また、大田によると、9.11というとラテンアメリカ諸国ではアメリカ同時多発テロよりもチリ・クーデターのイメージのほうが強いとのことであった。(※3)ラテンアメリカ諸国においては、チリ・クーデター、チリ・クーデターのバックにいたアメリカに対する恐怖が強いということだろう。そんなチリ・クーデターについて数回にわたって皆さんと一緒に考えていきたい。

アジェンデ政権成立の背景

 チリ・クーデターの話の前に当時のチリを巡る社会状況およびアジェンデ政権成立の背景について説明する。なお、準拠資料は基本的には安藤慶一「アメリカのチリ・クーデター」に基づいていることをお断りしたい。

 チリは銅産業が国の根幹産業となっており、2019年時点でも銅鉱石生産量は578万7000トンと世界における生産量の28%を占めている。(※4)しかし、アジェンデ政権以前は銅産業はアメリカ資本であるケネコット社、アナコンダ社の傘下におかれ、収益のほとんどが両社の収益となっていた。両社はチリ経済のみならず、政治、国民生活へ影響を与えていたという。(※5)

 1964年に大統領に就任したエドゥアルド・フレイ・モンタルバは銅山のチリ化を目指すとして銅産業の過半数の株式を国が買い取ることで実質的な資源の国有化を図った。しかし、資金は政府が負担するにもかかわらず、運営は会社に委ねられ、税制上の優遇措置、利潤の翻刻送金への特権が与えられた。その結果ケネコット社、アナコンダ社の収益は以前よりも大幅に増加したという。(※6)こうした状況に対し、銅鉱山の問題はチリの主権の問題であり、銅鉱山の国営化をすべきと主張したのが1970年に大統領に就任するサルバドール・アジェンデだった。

アジェンデの政治的思想および背景

 アジェンデは1908年に中産階級の名家として生まれたが、医師としてサンチアゴの貧困地区に住み、精神病院で働くなど、社会的弱者と接してきた。そうした経験に基づきアジェンデは博士論文「精神衛生と犯罪」をまとめた。同論文では、アルコール依存症対策として、教育の重要性と国家によるアルコールの流通規制を、結核対策については、公的医療制度の創設、食事、住居、教育などへの環境改善、医療機関を利用しやすい環境を整えることが提言されている。(※7)医療現場での経験が後のアジェンデの政治観につながったとして安藤慶一は次のように指摘する。

全体的に、教育と国家の役割と公的保険制度の重要性が強調されているのだ。こう考えると、医療の現場における体験が彼の政治観の形成に寄与していたと言って間違いなさそうだ。(※8)

  1937年の国会議員選挙でアジェンデは社会党から下院議員に立候補し当選した。下院議員に当選したアジェンデは、幼児死亡率の高さ、社会保険加入率が13%に過ぎないこと、労働者収入の87%が衣食住に消えていることを指摘し、政府の医療法案が健康不良の根本的原因である貧困に対処できていないことを批判した。その上で、貧困の解決には社会化した計画経済しかないと主張した。(※9)

 貧困の解消には計画経済しかないとする根拠はアジェンデの主張からだけではわかりかねるが、アジェンデの真意は、チリ経済の生命線である銅鉱山がアメリカ資本に牛耳られている状況を憂い、銅鉱山を国営化の形でチリ人の手に取り戻すことで、銅鉱山の収益を貧困にあえいでいる労働者層を中心に還元しようというものであると考える。現にアジェンデは急進党内閣の厚生大臣時代にチリの天然資源に対する主権回復のための法案を提出しているほか、上院議員時代の1951年には、米国の銅産業がチリに対する主権者のように振る舞い帝国主義的であるとして非難している。(※10)

 前述した通り、アジェンデは1939年に厚生大臣に任命されたが、その際に病院、精神科施設の建設を柱とする「公衆衛生の防衛のための国家」プロジェクトを立ち上げるなど行政の立場から公衆衛生の改善を試みた。また、銅山労働者が珪肺を患っていたことを憂慮し、上院議員時代に厚生委員会の委員長として公衆衛生医の労働条件の規制、国家保険局の設置する法案を成立させ、公共の医療サービスが利用しやすくし、保険医療の有効性が高まったという。(※11)

 以上からすると、アジェンデが理念的な社会主義を主張するのではなく、現場での実践を踏まえてどのような政策を行うべきかを考え、実行する実務的な社会主義者であったことをうかがい知ることができる。そうした実務能力に長けていたことが、社会主義政党を中心とした勢力に大統領候補として担ぎ出された一因であろう。次回は大統領候補となった経緯および大統領就任後のアジェンデの政治について考察したい。 (次週は別のテーマを投稿する予定です)

(敬称略)

皆が集まっているイラスト1

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(※1)

(※2)

(※3) 私が聴いた講演は別のものであるが、大田がチリ・クーデターで講演したものとして次のものがある。

(※4) 

(※5) 安藤慶一「アメリカのチリ・クーデター」米国によるチリ支配の確立

(※6) 細野昭雄・工藤章・桑山幹夫編「チリを知るための60章」 第8章「1930年からフレイ政権まで」

(※7) 安藤「前掲」 アジェンデの生い立ちと思想

(※8) 安藤「前掲」 アジェンデの生い立ちと思想

(※9) 安藤「前掲」 アジェンデの生い立ちと思想

(※10) 安藤「前掲」 アジェンデの生い立ちと思想

(※11) 安藤「前掲」 アジェンデの生い立ちと思想

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