化け物は怖いけど、好きな人は好き(舞城王太郎『深夜百太郎』「三十六太郎 横内さん」)

 パニック映画のよくあるツッコミどころに「危険な所でイチャつくカップル」があります。
 人食いザメが出るビーチで、もう何人も犠牲者が出ているのに情熱的な愛を交わす男女が出てきたら、観客としてはいやはよ逃げろやと思うわけです。で、そういう人たちに限ってモンスターの餌食になりやすく、あーあだから言ったのにと画面のこちら側の私たちは溜飲を下げることができます。
 でも当人たちからしたら、そこでイチャつくことが人食いザメの脅威よりも切実な、真剣な行いだったかもしれないじゃないですか。今ここで死ぬことになったとしても、命よりも何よりもキスを選んだのかもしれない。客観的に見たら愚かなふるまいでも、当人たちにはとても切実な選択だったのかもしれない。それを笑うことができるのは、彼らの内心を知らないからです。
『SLAM DUNK』の山王戦で、選手生命を削りながらコートに立とうとする桜木花道を笑えないのは、読者が花道のこの試合にかける思いを知っているからでしょう。
 舞城王太郎の『深夜百太郎』の一編「三十六太郎 横内さん」では、化け物に襲われる恐怖と、好きな子を好きだという思いの両方が等価で扱われています。普通、化け物に襲われたカップルの内心が描かれるとして、恐怖が優ればホラーに、好きが優ればラブロマンスに、天秤はどちらかにふれていくところですが、「横内さん」ではそのどちらもが並んだ状態でお話が進んでいくのです。
 横内さんは、登校途中に道ばたに落ちてるもの(マンガやコップ)だったり落ちてないもの(自転車や地蔵、四歳くらいの子供)だったりを学校に拾ってきてしまうような、少し変わった女の子で、語り手の「僕」はそんな横内さんのことが好きな男の子です。横内さんは田舎の駅から自転車で1時間半もかかる山奥の家から高校に通っていて、「僕」に自室の写真を見せてくれます。学校ではあまり見せない笑顔で写った写真です。横内さんはその写真は誰が撮ったものだか覚えていないと言います。
 ある夕方、山の中で道に迷ってしまった、と横内さんから電話を受けた「僕」は横内さんを捜しに自転車で山の中へ入っていきます。日が落ちて辺りが真っ暗になったころ、横内さんからまた電話が入りますが、その内容がおかしいのです。横内さんは家にいて、電話なんてした覚えがないと言います。多分、あの写真を撮ってくれた子が携帯から勝手に電話をかけてしまったのだろうと。車で探しに行くから、絶対にその場を動くなと言われた「僕」に闇の中から真っ黒な人間のシルエットが近づいてきました。横内さんはそいつをシオリちゃんと呼び、話しかけられても返事をせず無視しろと言います。「僕」と横内さんは通話を続けて、シオリちゃんから何とか気を逸らそうとします。目をつむり、横内さんと話すことだけに集中しろ。けどシオリちゃんはもう真後ろまで来ている。つんつん、つんつん、と背中を指でつついてくる。
 この状況で、必死に話を続けようと話題に困った横内さんは「僕」に
「私のこと好きなん?」
 と聞いてきました。
 急に訪れた告白の大チャンス。真後ろにはシオリちゃんが迫っているけれど。前門の虎後門の狼ならぬ、電話越しに好きな人背中にお化けです。命の危機と恋愛の一大事が同時に起きて感情がバグりそうですが、この時の「僕」の返しが素晴らしいんですよね。

「ほう?あのな、あんた……私のこと好きなん?」
「え?あはは」。つんつん。やめろ。大事な場面だ。「まあね、うん。当たり。好きです」

「やめろ。大事な場面だ」。「僕」はこの瞬間、シオリちゃんへの恐怖に打ち勝つ、というより横内さんのことしか考えてないんですよね。めちゃくちゃ青春。そりゃ高校生には好きな子への告白より大事な場面なんてないわな!
 ホラーを読んでいたはずがいつの間にか思春期のボーイミーツガールになっていますが、「僕」がシオリちゃんを忘れられたのはこの一瞬だけで、「告白の高ぶりと俺の顔のすぐ脇で俺を見つめてるらしいシオリちゃんに対する恐怖で涙が出てくる」(横内さんに告白する場面だけ一人称が俺になってるのも上手~)という一文の通り、恐怖は常に側にあります。
 化け物は怖い。化け物は怖いけど、それはそれとして、好きな人は好きだ。この、恐怖と恋愛のドキドキが同時に存在している感覚がとてもリアルです。
 結局「僕」はシオリちゃんに抗い切れずに死んでしまい、横内さんが何十年も「僕」を探し続け、とうとう老いて亡くなるのを見守ることしかできないのですが、それでも「好きです」と言ったあの瞬間、「僕」はシオリちゃんに打ち勝っていたと思います。そして横内さんもその瞬間を共有していたからこそ、何十年もいなくなった「僕」を探し続けてくれたと思うんですよね。
 命の危機よりも今この瞬間こそが大切で、その今があるから離ればなれになっても信じていられるというのは、「始めようか天体観測 二分後に君が来なくとも 「イマ」というほうき星 君と二人追いかけている」みたいな話です。というかもう舞城王太郎はBUMP OF CHICKENやろ、と思ってしまいます。
 小説と違って映像では心情が文章で描かれませんが、人喰いザメがいるビーチでイチャつくカップルも、内心では深い闇に飲まれないように精一杯だったのかもしれないし、喰われる瞬間に脳裏をよぎるのは逃げ出さなかった後悔じゃなくて、君の震える手を握れなかった痛みかもしれません。ともかく、化け物を怖がるのと好きな人を好きな気持ちは両立するので、究極の場面でどちらを選んだとしても不思議じゃないという話でした。


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