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選択を誤った日(2021/某日#4)

 社長からのメールを見た直後、親会社の社長にメールで業務後に立ち寄ってよいかの許可を取った。その後に弁護士に連絡。弁護士からのメールによって、記帳は出来たことと残高の確認が取れたことを報告された。だが、弁護士にはそのお金が私の労働によって得られたものではないことを伝えることが出来なかった。

 業務後、現場を出た私は事前連絡した通りに訪問、親会社の社長に頭を下げた。

「お疲れ様です。こまえです。お邪魔します」

 移動中に組み立てていた挨拶文はなんだかごちゃごちゃになってしまっていて、口からどのように出たのかなんて覚えてなかった。

 とにかく今日のこと、社長からのメール、そして実際に何があったのかをわちゃわちゃと言って、頭を下げた。

「社長から、ええ、メールが来まして、それで……あの、ポケットマネーから出してもらったと聞ききました……。この度はどうも、すみません……でした?」

 いや、私が謝ることじゃなくね?

 頭を下げながらも首をかしげるなんてことがあるか?

 当惑によって少なくとも思考出来るスキマが出来た私はそのまま顔を上げた。親会社の社長は、とりあえず私が何をしに来たのかというのは理解してくださったようで、業務後にそのまま訪問してまでよく来たな、と労った。

 私は恐らく、眉間に皴を深く刻ませていた。

「給与として振り込まれたお金が親会社の社長のポケットマネーから出ているなんて、普通は思わないですし、それは給与とは言えないと思うのですが」

 だってポケットマネーでしょ? 人のお金ですよ。しかもお小遣いどころじゃない。給与なのだ。一人の人間が一ヶ月生活していくだけの金だ。

 ……思いながら私はぞく、とした寒さを覚えた。

 給与が親会社の社長のポケットマネーから出された。給与が。まさか私だけじゃないだろう。ほかの社員の給与も、まさか。

 親会社の社長は言って含ませるように言った。

「あなたの口座に振り込まれたものは、どこから来たにしろあなたの給与だ。汚れたところから来たわけじゃあない。納めなさい」

 いやだ、と言えるくらいの発言力と経済力を、私はもっていなかった。
「はあ……、わかりました」

「他のやつ(ほかの社員)がどう思っているのか知らないが、こうして私のところに来たのはあなただけだ。すまないがね、給与の遅配はあなただけではない」

 言って、親会社の社長はその規模を教えてくれた。

 ム、とこちらは口を結ぶしかなかった。思った通り、遅配があったのは私だけではなかったのだ。その金額、規模については控えさせてもらう。また、該当社員の給与も親会社の社長がお金を出したのかどうかについても私は触れなかった。

 そこまで聞く勇気はなかった。

 自分が人生をやりなおすべく就職した先の現実を目の当たりにしてショックを受けるには、もう既に十分なショックを受けている。落ちるときはとことんまで落ちる。あっという間に。そして這い上がるにはその倍どころの話ではない時間が必要になる。

「社長(こまえの会社の社長)には厳しく言っておくよ。明日も出勤だろう」

 私はあんまり覚えていない。このときに何を言われたのかを。週の半ばで、明日も出勤だったことは覚えている。

 いらいらする人込みを掻き分けて、不満しかない人口密度の電車で息苦しくなりながら、私は何に頑張っているのだろう? もう大丈夫だと思っていたのに、もうダメだったみたいだ。

 それでも生活保護を抜ける方が先だ。

 私はこの時点ではまだ、退職を選ぶ勇気がなかった。

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