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理想の自分はそんなことをする人間なのか? (2022/2#7)

 支払い義務は果たさなければならない。

 方々に頭を下げながら電話をした私は、話しながら確認しながらとったメモを見た。さすがにこのメモをこの記事に乗せることはできないが、このメモには私の心情も書き残してある。今見ても笑ってしまうような小さな走り書きの集まりだ。

 まったく人というものは聞いたことをそのまま素直に受け止めやしない。

『分割して払え』
『手数料はそっち持ちで全部書類準備して送れ』
『そのまま締め切りだけずらすから払え』

 余裕がない人間というものは、とかくなんでもガルガルとした対応をとりがちだ。無意識のうちに自分に劣等品のラベルを貼って、分かりやしないのに相手の思考を決めてかかる。

「きっとあの人は自分を見下しているんだ」
「見た目で判断しやがって」
「ばかにしてるのか?」

 落ち着けって。

 そうやって外に向かってガルガルしてる暇があったら、その時間を使って自分を立て直した方がよっぽど建設的だ。それに未だに他人との比較をすることでしか自分を評価出来ないのか? 手間とヒマがかかる奴だな。そんなことする時間があるのか?

 その時間は有意義か?

 私にとっては、という話をすると、少なくとも有意義とは言えない

 私は元々自己肯定感とは無縁に生きてきたがゆえに、自動的に他者の評価は自分よりも高くなる。見方を変えると、働いている周りの人々は素晴らしい人たちばかりである。羨望ではなく、それは評価として認め、参考にすればよい。

 もちろん全員が全員、評価できるわけではない。役職者についていながら私を見もせず、挨拶しても返さず、まるで私はそこに居ないかのような態度をとる人もいる。

 そういう人が所属し指示を出している部署では「ハラスメント」に関するポスターを貼りだしているんだから、全く世の中はよくできているとしか思えない。挨拶も出来ない人が役職者であり、かつ部署を管理しているとは驚きだし、それに値する理由があったとしてその行為はとても幼稚でしかない。

「恥ずかしがり屋さんなんですねー^^」
 とか
「まあ、お客様と相対することもないでしょうから、困ることはないんじゃないですか^^」
「健康診断に異常がないならよかったですね^^」
 という感じだ。

 典型的な反面教師がいると思えばいいだろう。私とはほとんど関わらない。一ヶ月に一度だけ、用事があるだけだ。まあ、すれ違うときは挨拶をするけども、あからさまな無視をするので今後は態度を改めようかと思っている。
 こういうとき、立場がある人間の方が不利になると思うのだが。

 それに八方美人になりたいかというと、そういうわけではない。誰にも好かれるというのは大変なことだ。素晴らしいことだと思うけれども、私にはきっと疲れてしまう大仕事になるだろう。とりあえず礼儀だけは忘れずに実施して、後は放っておればよい。

 思うところは多々あるが、この現場から離れる選択肢は取れない。

 自分にはいま余裕がない。それを認識して動かなければならない。

 他と比べない。比べて何かが変わるわけではない。来年のいま、変わっていればいい。もちろん派遣である以上、来年も同じ場所にいるとは限らない。

 ここで間違えてはいけないのは、「やりたいことはここで働くことではない」ということ。

 私がやりたいのはもっと別にある。そこはブレないようにしたいと思っている。

 ……つくづく、チャンスを掴むということに際して「貯金」と「経済力」は重要なステータスであることを思い知らされる。現代に生きるうえでは当たり前であるのだが、この二つがないと決断力も鈍るというものだ。

 しかし逆を言えばこれだけ金銭面と精神面でのマイナスを経験しているからには、ある程度の自信を持ったってバチは当たらないと思っていいのではないだろうか。もうよほどのことがない以上は狼狽えないだろうし、多少のトンチキを目の当たりにしても傷つきすぎることはない気がする。

 気がするだけなら、誰にも迷惑はかけないから。

 さて。目を覚ませ自分。へたってる場合じゃあないぞ。

カバー写真:unsplash
撮影者:Takemaru Hirai

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