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『それしか、知らない』観劇。

m sel.プロデュース 第三回公演
『それしか、知らない』

6/13(木)19:00の回を観劇。


(2019年4月以来の舘内美穂×王子小劇場)



舞台の中のお話は、
自分の中ではタイムリーで当てはまる感情も多く
とても刺さるものだった。



m sel.の脚本は少し怖くなるほどにいつも自分の中にあるものとリンクする。


オダギリジョーのドラマ「サトラレ」を見た翌日に、


みんな自分がサトラレなんじゃないかと思って
授業中にわざとエッチな言葉を頭の中で発したりして


クラスメイトの様子を伺ってみたりするアレ。



あるあるですね。

(ないないなのよ)





自分と同じような人がいる
という話だと


仕事で困った事があったり、私生活の悩みだったり。

いろんな場面で、


「人類の長い歴史の中で、この問題で困ったのが俺が初めてなわけがない。」

「誰かが俺よりも先に苦しんである程度は解決してくれている。」


という頭は常に持つようにしていて。




そんな時にネットで検索すると、

小さな話だと
Excelのショートカットキーやマクロが見つかったり、
同じ問題を解決してQiitaにまとめてくれていたりする。




人生相談系であればYahoo!知恵袋に同じような悩みがあったりする。


Yahoo!知恵袋の価値は、その回答なんかではなく、

「この世の中に自分と同じように苦しんだ人がいる」


という事実がそこにあること。


それだけで救われる気持ちが人にはある。



Yahoo!知恵袋の価値は、
むしろ質問の方にあるという。




(※あと鼻歌レベルで曲を探す時。)

例)





そんなこんなで


今の自分を抱きしめてくれるようなそんな舞台だった。




ここからネタバレしながら感想を書いていきます。


今回は時系列とか無茶苦茶で、
見た人しか本当に何を言ってるかわからない書き方になりそうです。





購入した台本は少しだけ読んだんですが、見終わった率直な感想に影響を受けそうだったのであえてこれを書いた後でちゃんと読もうとは思っています。



二人の母の存在


まず、

ゆらと藤の母親には当然ながらひどいと思うところも多く。


特にゆらの母親に対して。

とにかく、とにかく嫌な気持ちになった。


嫌いだった。


藤の母親はまだ。
藤のことを完全に切り捨てているのでむしろまだマシというか。




ゆらの母親は繋がりを求めているまま

「ゆらのせいで私が不幸」というのを直接的に本人に言い続けていて
自分から離れることを許さない感じが


本当に無理だった。



母親本人は自分が明るくポジティブなことを言うことで自分を守っているのだろうが、キツい。



母は普通じゃない。
壊れていると言って良いくらいおかしい。

もちろん子としては何かできないかと考える。
クソだとは思うけどこのおかしな母と縁を切る事はせず、なんとかならないかと思う。

でも簡単ではない。



娘(ゆら)を愛しているからこそ



これほど便利な言葉はないよな。

これを盾に自分を守り、
これを武器に娘を殴る。


見ていられなかった。

心があまりに痛くてここから逃げだしたくなった。



ゆらの気持ちを考えることもせず、
ゆらの話を聞くこともせず。


たった1度すら話を聞くことがない。

たった1度も。


人の話を聞けないほどに弱っているこの母をどうにかできないものか。


話を聞かない人間との会話って本当にイライラするな。


会話は「話す」ことより「聞く」ことの方がずっと大事だとロンブー淳も言っている。

(淳が言っている情報なに)



ゆらもきっと昔はもっと正面から母と話し合っていたはず。


でも母親がこんなだから大事な話以外では話すことはやめて、自分が母親の期待する行動をある程度とるようにして過ごした。


それでもゆらは、母を大切に思っているからこそ、
向き合ってきたし話をしようとし続けていた。



ただ、母親は。

自分がこう思っているという話しかせず、
我が子がいくら事実を伝えても無視して話を続ける。


ゆらのやさしさに甘えきって。



ポジティブな発言しかできない。
ネガティブな話題には一切向き合えない。
逃げ続けるエセポジティバー。



自分の思い描く幸せ以外受け入れることができない。

この母親は都合が悪いと思ってわざとやっているのか
謎の被害者ムーブで終始イライラする。


自分がとんでもない加害者であることにすら気が付かない。

クソ オブ クソ。


こういうヤツほど、あなたのせいで体調不良だわとか死を匂わせて娘にプレッシャーを与えてさらにひどい状況に追い込むんだ。


娘に深く深く謝れ。


関係性を良くしたいならとにかく謝罪。
もう残された道はそれだけ。

これまで娘の心を傷つけて殴り続けてとんでもないことをしたことと向き合うことが、自分(母)が楽になる唯一の方法。


ゆらは常に許せる体制にある。
こんなに酷い目にあってもいつでも関係を戻す気持ちでいる。

でもこの親はそれをさせてくれない。



他人であればとっくに切れている関係も、

親であるが故に本当に厄介。


いつか自分が娘にしてきた事実を受け入れて謝れる日が来るだろうか。





と。


母親役の吉野さんも冒頭からこんなにもキレられるとは思っても見なかったであろう。


この人の感想見るの怖いわー、この辺でやめとこうかしらっ

ってなっちゃう。


せっかくサトラレのくだりの(ないないなのよ)で心を掴んだのに。

(掴んでない)



まぁ正直本当はもっとブチギレで書いていたのだけど、
時代を恐れてかなりマイルドにしてしまった。


でもほんとうに。
どうしてこうなってしまうんだろうね。


愛する娘ということに疑いはないのに。
愛する娘がこんなに追い込まれて潰れるところまでやりきる愛情って。



一番最初に書いたのだけど。


こんなことを人間はずーっと繰り返していて。
いろんなところでどっかのだれかが同じ状況で苦しんでいて。


自分が初めてこの状況になったわけがないのに。
なんで、解決方法がないんだろうか。

母親は何かの病気かもしれないし、解決策なんて落ちていて当然なのに。


ネットで検索しても、なんでこれを乗り越えた人にスッと出会えないんだろうか。



こういう状況の親に対しては、こうしたらいいですよ。
こうなった親はこうしたら治ります。


ってなんで簡単に出てこないんだろうか。

変なの。

って思うけど、それはごくごく当たり前でもあり。


人間だもの案件ではある。


それはそれで生きてるって感じしますね。




とりあえず俺をこんなにも不快な気持ちにした母親役の吉野さんは素晴らしかったということ。





話は一気に飛ぶけれど


藤サイドのお話で

当時苦しんでいた藤の状況を大人になってから知った伊吹が、藤に対して言った。

「お前は優しすぎる。母親がおかしい!」

みたいな言葉。


他人がハッキリ言ってくれたあの言葉は、
かなりグッと来るものだ

と思ったのだけれど。


藤はその直後も統合失調症の症状が出ていたので、

藤にとってはあの言葉で救われるというほど
簡単な話ではなかったんですかね。


まぁ(病気を)知ってくれている人も大切だけど
知らない関係も大事だから

知らない関係が一つ無くなってしまったということでもあったか。


家族を大切にできないというのは、
本人(子供)にとってもかなりのストレスだろう。



「家族」という事の大きさ。
「家族」と「それ以外」の関係には思った以上に差がある。


家族と縁を切ることは他人と縁を切るよりずっとずっと難しい。


ゆらも藤も本当は愛されたいし、仲良くしたいしね。


ゆらも藤も、
あまりにも酷すぎる母親にあんなにも苦しめられていたけど、
それでも母親を大切にしていた。


大切にしたかった。


でも、他人から明確に
「(母親は)おかしい!!」

と言ってもらえたことは結構デカいと思った。


知ってたけどやっぱりうちの親おかしいんだ。


というのは、結構大きい。


気はした。




舞台タイトル


『それしか、知らない』というタイトル

『会いたい人はいますか?』というサブタイトル


この舞台に自分が何を感じたのか。



昨今のSNSは自分と違う意見がおすすめされ、
争いを意図的に起こし盛り上げるロジックになっていることもあって

それしか、知らないのに他者を簡単に攻撃できる人で溢れている(ように見える)のだけど。

まぁこのあたりは最後に。



このブログは純粋な舞台の感想は書きません。

俺がこれまで生きてきたものが感想に組み込まれてしまうし、
俺が見た舞台の感想にしかなっていないので。


ある程度共通で感じるであろう感想は、
目次の「それしか、知らない」に飛んでもらってよいかもしれないです。

(そっちは共感できそうな言い方しちゃったけど全然そんなこともない)



キャストの方々の話


ここからは舞台の内容主体ではなくキャストの方々を主語にした構成で話をすることにします。


今回の舞台が「出会い」についてでもあったので、
いろんな出会いの話も交えて。

意味わからんくらい長いので目次から見たいところだけ見てくださいな。



まずはm sel.のお馴染みの面々

荒牧さん、まゆお、沼田くん。


・糸麻カオル

荒牧さんは立ち姿も振る舞いも本当にビシッとしていて、
憧れの存在という感じがしっかりした。

カオルさんは厳しいけど実力もあって、
何よりも言っていることが正しい。

正しいことを言われることに関しては個人的にはそれほどは苦ではない。


ただカオルさんは一言目は正しいけど、
その先は完全に言い過ぎで後半ちょっとおもしろくすらあった。


キレすぎキレすぎ。
さっきの俺じゃないんだから。と。


一言目のアドバイスだけありがたく受け取ってその先の言い過ぎゾーンはスルーするスキルというのを俺は観劇中に習得した。


荒牧さんはとても素敵な役者さんで、この作品で見れたことが嬉しい。


カオルさんのような人のところで俺も働きたい。
個人的には厳しいとは思わなかった。ありがたい。



荒牧さんは2019年m sel.の「only」で初めて知ったのだけど、それから「尻を見てしまう」、12月の朗読劇、この前の少女東京奇襲の「in the park」と5回ほど観て。

完全なる良い役者さんである。


奇襲のアフタートークで主宰の苦労を話していたので、
タテウチ大先生と大変だよねーと言い合えるのもいい関係かもしれない。
これはマジで知らんけど。




・佐倉陽菜

まゆおの演じたハルは、藤の才能に惚れた打算的な薄っぺらい人間。のようで実はそんなこともないというのが、わりと複雑な人だったと思う。

それをとても感じて、山本真夢、素晴らしかった。


藤の母親に似ているところが多い役だったので、
しっかりと嫌いではあったのだが、

ただ藤を通して別のものを見ていただけ、にも思えなかった。
全て自分のためだとしてもそのためにやりきるところが違う。

こういうタイプは軽くて切り替えも早くてという女性を描くことが多い気がするが、ハルはどこか違った。

でなければ藤が少しでも挫折した時点で離れていく気もした。

まぁ自分に対するプライドもあったのだろうけどそれにしても。


とはいえまぁ、良い女性ではなかった。



伊吹同様に要領が良いように見えてそうでもない。
ずっと背中に寂しさのようなものを感じた。

インフルエンサーで沢山の愛をもらっているはずの人間なのに、
足りない本当の愛を求めている感じがした。




・井口悟

ハルのマネージャー。

きっと仕事は真面目にやっていて意識も高いのだけど、余計な事も言ってしまう。
この舞台を地味にひっそりと少し荒らしていった人(笑)。

沼田くんに関しては、
どう言葉を選ぶのがいいか考えているところだけど

ハイパーモブ。というか。

何にでもなれる、良い役者だと思う。


沼田くんのように日常のどこにでもいるキラキラしすぎていない人を、基礎のある状態で演じられる人というのは、なんか良い。


上手いけど上手く見せない上手さもある。

逆にラスボスみたいな存在も良いし、
いやーほんとに何でもいけるな。(妄想)


これからも通り魔とかいろんな役を観たい。



実は、

というか昨年12月に行われた朗読劇で披露した作品が今回の「それしか、知らない」のアナザーストーリーになっていた。と思う。

(m sel.朗読劇 公演台本)


当然、若干変わっているところもあるが、
キャラクター設定はほぼ同じ。


カオルが主のお話と、サクハルが主のお話。
キャストも荒牧さんとまゆおが演じ、沼田くんはしっかりとハルのマネージャーだった。


「それしか、知らない」の中でのカオルさんは常に職場にいたので愛ある厳しさが表に出ていたが

朗読劇では仕事以外のカオルさん視点でのあれこれを見る事も出来たし、



サクハルが彼と別れて号泣配信をしていたのがバズって、というくだりも

イグチがマネージャとしてハルを持ち上げている姿も、余計な一言を言ってしまうところも


「あー」となることも多くて



本編とは直接関係ないけど
遊び要素というか、
感じられる部分の深さでいくと


今回の舞台しか、それしか知らない人に比べると、
朗読劇を見た人は感じられた要素は若干多かったと思う。




・太田伊吹

先に言ったように彼がストレートに藤に向かって

「おまえが苦しむ必要ないんだ!おまえは悪くない!母親がおかしい!」

というメッセージを言葉にしてくれたシーンは自分の中ではこの舞台の中でかなりグッときたシーン。


千代さん演じた眞島先生も、伊吹に対してはまっすぐ過ぎて「まったくー」と思う場面も多かったと思うが、このまっすぐさが伊吹の良さであることもしっかりとわかっていて眞島と伊吹の関係もよかった。



主にまゆおのところ(Daisy)で沢山観てきた高岡くん。

高岡くんは、
主役も脇役も二枚目も三枚目も、
ありとあらゆる役をこなすタイプのイケメンの印象はありましたが。


伊吹のまっすぐで熱い男を的確に表現していて、これまで観た高岡裕貴の中でもかなりピッタリで好きでした。

(「夏の泡沫、波に消えて」の高岡くんもかなり好きだった)




・牧田玲美

「ロストマンブルース」でタテウチと共演していた玉川来夢さん。

前回公演「ずれ」でもロストマンブルースから青柳伽奈さんが出ていて。
ロストマンブルースはあらためて良い作品だった。

自分の中の玉川来夢との出会いは2016年の「Over Smile」。
(アイドリング!!!はTIFとかで見ていたかもだが)


オバスマは再演を見た中でも玉川さんの演じたスーが抜群で。
再演見た帰りに2016年版のDVDを買ったんですけど。
(一応いい話)



再演は新たな能力者が出たことでいろんな辻褄が合わなくなってしまったんだよな(他の舞台の話はやめなさい)


ロストマンブルース以来に見た舞台上の玉川さんは、SNSで見るイメージの通りで。

玲美は余裕あってチャラチャラしているようで、
やることはちゃんとやっていたようには見えたんですけど。

チャラチャラしてやることやらないのはさすがにダサいと思ってそうな感じが、今の玉川さんのビジュアルイメージとなんか合っていてよかったです。


玲美は、今はまだクラブで遊んでる時にそれどころではない後輩を強制的に誘って、その後目の前で自分のせいで後輩が怒られていても事実を伝えないただのシンプルクソゴミではあるものの、本当はゆらの事を思っての事でも多少はあって。もう少し年齢を重ねたらそういうしょうもない振る舞いしかできないクソダサい自分を受け入れることができて、今既に実は持っているプロフェッショナルな一面が大きくなってカオルさんみたいになるかもしれないなと思った。



・佐藤ひまり

解釈が一番難しかった役かもしれない。

この人はただ争いが起きないようにしたいのか、
本当にゆらの事や美容室のことを考えてのことなのか、

智樹に対してなんかお説教していたが、
そんなに正しいことを言っている感じもせず
ん?となったりもした。


ひまりは自分の洞察力に自信があるのが悪く働いているのか、
決めつけているようにも感じてしまって。

自分とはあまり合わないような気もしたが
直接話してみると意外と合うかもしれない。

この舞台の中で唯一くらいに読めない人だった。


アナザーストーリーでこの人目線の心の声欲しいな。
ひまり副音声は興味ある。


よーたはタテウチと平さんと「どっかのだれか」で共演。

俺がよーたを初めて見たのもここ。
この時はタテウチと仲良くしていたイメージは強くある。

「どっかのだれか」の後にやった「ピクトグラム」も観に行ったけど、その二つの作品で、よーたはとても良い意味で全く別人のようで、いろんな姿を持っている。


前回公演「ずれ」では「どっかのだれか」で共演した樹麗さんが出ていたのだけど、

さっきの「ロストマンブルース」も然り。


今の舘内美穂を構成している過去の歴史たちが、毎公演毎公演こうして繋がっていく感じ。

キャスト発表のときからなんとも言えない感情をくれた。


これまで出会った人たちの登場は

「会いたい人はいますか?」

というサブタイトルを更に深いものにした。


タテウチ大先生が舞台に立った18歳の頃から
今までほぼ全ての作品を観てきた中で、

振り返った時に確かによかった人たちが毎公演ここm sel.に集結していく。



今回のキャストが発表されたときに、


「千代さんだぁぁ!!!!!!」



「よ、よよよ、用田ぁぁ!!!」


おおおおおおおおおおおおお


今回はここの2人が特に爆裂に沸いたな。



今回はスポンサーのピーコネさんも、間接的にというかまぁどっかのだれかで出会った人が出会った方とのつながりのようにも見えたし

平さんとタテウチが出会った?であろう8年前のあの舞台での繋がりが、
こんなにも今を作っていて。


なんだかとても良い。


これはさすがにエモいと言っても過言ではない。



・萩原智樹

最初はゆらを助けるフリをして何かを企んでいるとばかり思っていたのだが、ただゆらの事が気になっている男だったっぽい。

優しくて良い人だったが、ゆらにとっては少し軽すぎた。
彼はモテるだろうし、彼のやさしさを良いと思う人はたくさんいる。

ただ、彼は我々より(自分を入れるな)少し浅いところにいて、
ゆらの心の深さまで届くことがなかった。


人と人の関係性において心の深さが合うことは結構大切なのだろう。


どうでもいいっちゃいいのだが、
冒頭のゆらとのシーンでゴミ箱に投げた空き缶は外れて、
終盤にあるこの冒頭と同じシーンではゴミ箱に空き缶が入ってしまったのは、
おそらく失敗ではないかと思っているのだけれどあれはどういう解釈が正しいだろうか。

まずどちらが正解かというとたぶんゴミ箱に入らない方。
「失敗」というワードに意味を持つお話だし、
ここでゆらが聞く「失敗」という言葉にも意味があると思った。

で、最初と最後のシーンは同じはずなのに結果が変わっていたというのをどう解釈するかだけど、







シンプルに望月くんの失敗なのかな笑


あとで台本で見よう。


でもまぁ最後のシーンが「成功」というのも悪くないのだけど、
冒頭と違うのはよくはないか。まぁ小さなことはいいのだけど。


初めましての望月くん。
イケてた。声も良い。こういう系の顔は好き。

おぶちゃに出るんですねぇ。
元チャントモンキーさんのオタクなのでおぶちゃ方面も気になってはいたんだよな。

望月くんも高畑くんもよかったし(のだまみもよく出ているし)、
どこかで観に行くかー。


では、ウドウくんとアサちゃんのコンビにいこー

・ウドウ

彼の事は最初は俺もそりゃ「クズ系男子?」とは思った。
でも、まだわからないなという感覚ではいた。

浅ちゃんが恋人という関係を求めていることをわかっていながら、
自分はその関係を望んでいないということを、
雰囲気でなんとなくやり過ごそうとする感じは今でもゴミ気味だなとは思っている。

ただ、舞台の中でもあった通りいろんな形があって良い。
それには大賛成。


他人がどうこう言うことはマジでない。
そもそも芸能人の不倫も何もかも本当に当事者たちだけの問題。

その人たちの幸せを奪う権利はマスコミにない。


なので、
「なんで浅ちゃんと向き合って話しないんだ!」
とは思っちゃうものの、全然良い。


最終的には二人はお互いにちゃんと理解して納得して二人の関係を続けることになって

2人には2人の形やタイミングがあったのだろう。

ウドウは強い芯の部分と、ダメな部分と、優しい部分と、
いろんな面を持っている人だった。

オープニングでウドウのフリップ芸を観ていたら、いつの間にか左側に「それしか、知らない」とカッコいい字で書かれていて


『いつの間に!!!!』


となった。
もう一度見たい。笑


あと、浅ちゃんとゆらが会話中にカオルさんに髪を切ってもらっているシーン。

舞台上には実際は鏡もなくて、声も出していないのに、
なんでカオルさんとウドウさんはずっとちゃんと会話しながら切っていられたのか。

ちっちゃい声でなんか言ってたのかな。


細村さん、良かった。

いろんな経験をしてきた人のオーラがある。




・浅田めぐ

ゆらの母に恋愛相談をしたり、なんというか可愛い人だった。

褒め言葉でもあり、自分とは合わないなという意味でもあり、
なんとも可愛い人で一生懸命に生きていて。


この浅ちゃんがダメ男に引っかかった女性だと思わせるのは意図的だったとは思うけど、この先、この人がどうなっていくのか気になる存在ではありました。

もし、ウドウと浅ちゃんが上手くいかずに別れる未来があったとしても。
浅ちゃんにとってこの時間が無駄ではなかったことは確かだ。


らうらさん、さくら学院にいたとなればもしかしたら見たことはあったかもしれない。

さくら学院が任期満了型の組織だというのを最近知った。


・麦田佳代(ゆらの母)&高山藤の母

マジで無理。


もうキレ終わったあとなのでアレですが、
もうマジで無理ですよ、まったくーー!

嫌いだーー!!笑


まぁ、佳代はめちゃくちゃ弱いんでしょう。
自分を守るために前向きな事しか言えないし、人の話が聞けないというのは大変だ。

なぜそんなに傷ついてしまうのだろう。
よくないことに向き合えて、ちゃんと謝れて、そうなれたらどんなに楽だろう。

前しか向けないことでこの人はどんどん苦しんでいる。
いつまでも幸せにはなれない。

人は失敗してもいいのに。
この人もまた失敗してはいけないという環境で育ったのかな。

美容師の道を諦めた選択で、人が変わってしまったのかな。

なんとかなって欲しい人No.1。

お母さんも幸せになってね。


・高山藤

良かった。
藤とゆら、2人ともかなり好きだった。
違うけど2人ともどこか自分と似ていた。


高山藤が高畑岬でよかった。
とてもとても。



「ゆらとの時間、全てが勘違いだった。」

という藤のその気持ちはいかに。


彼はゆらに出会って自分が変われると思った。
母親に囚われている自分から。

自分は自分だと思って。
前を向いたゆらの姿に、自分も、と。


彼は再び絵を描いて、前に進んでいた。

そんな中で、また幻聴が聞こえるようになって、
苦しみながらも描いた。

でもその音はどんどん大きくなって。


結局は病気に負けた。
負けてはいない。でも負けた。


自分は変われない。
治ったと思ってもずっとこれを繰り返す。

自分は一生母親の呪縛から逃れられない。

その絶望感。
自分は変われると思った。
ゆらと出会ったことで。

でもそれは勘違いだった。

そういうことかな。


「失敗ではない、前に進んでいる」という
ゆらの言葉はその通りだが、

まさに調子を崩している藤にどこまで届くか。



一つ思うのは、藤が再びおかしくなってしまったのはなんとかならなかったのかなと。

それだけは今でも思ってしまう。

俺の中に今も存在する藤は、
病気と上手く付き合えた藤だった。


彼は、一度乗り越えた。

最悪の時に比べたらだけど、乗り越えたと思っていたくらいまでに調子を取り戻した。


病院に行って、薬もちゃんと効いて、
悪化しない気持ちの作り方や、環境を整えて。

彼はこの病としっかり向き合って病気と一緒に生きた。


その上で、もう一度描こうと思った。


で、また幻聴が聞こえるようになって、
そこで描けるまでがんばって乗り越えようとして。
ダメだった。


けどここは過去の自分から学んでいて欲しかった気持ちはある。

ここは早期に病院に行って、
薬を飲んだり休憩したり、環境を変えたり、
一度考えないようにしたりして

自分という存在を理解して乗り越えて欲しかった。


一度、自分を知った藤は壊れずに変われたんじゃないかと思ってしまった。



そんな簡単にはいかない。

彼にとって母の存在はそれほどだった。



そうなんだろうけどね。
俺はそう思ってしまったというそれだけの話。



高畑くん初めて見たけど、好きだった。

他の役者の名前を出すのはよくないけど、林遣都を感じた。


なんかとてもよかった。
藤とゆらが高畑岬くんといとうももかでよかった。



・麦田ゆら

最後の藤とのシーンは、ありたかった世界の話なのかな。
実際に起きていたことなのかな。

実際には存在しないシーンか。
どうだろう。


ゆらサイドの話の最後に
「あの時なんて言えば藤を離さずにいられただろう」と言っていたことからも、ゆらは藤と会えなくなってしまったとは思っているんだけど。

時系列を台本を読んで整理しよう。
台本って素晴らしいな。


現代で智樹に「勘違いにしたくなくて」と話していたことも、
やはり本当は藤ともう会えないのかなと思ったし。


あの智樹とのシーン。
まったく自分と考え方が合わない智樹との会話を通して、
あまりにも考え方の合う藤を、雨と共に感じた。



「あの時なんて言えば」


その「あの時こう言っていたら」のシーンがラストかな。


良いシーンだった。


ゆ「勘違いじゃないよ、勘違いしたって勘違いだよ」

藤「よかった、俺もよかった。」

俺「よかったぁぁぁ」(←誰)



ゆらが最後に紛らわしい言い方をあえてするのも、
それを笑顔で交わした2人の過去があるからこそ良いよね。



いとうももかを舞台上で見るのはPPG「女子高」以来。

主役がいとうももかというのは少し意外ではあったけど、
観てみたらこれ以上ない。

「女子高」でも主要な大事な役を演じていて、
やはりこの人は力があるんだ。


平さんのオープニングのあの音にのせたセリフ史上最も聞き取りやすく当たり前のように軽々と演じていて

いとうももか、すごいんだな。となった。


本人からしたら何がすごいかもわからないくらいに当たり前にやっていた。


ゆらは最初に藤と出会ったシーンで、

いろいろと自分が限界だったこともあるけど
普段、感情をころしてその場に応じているのに、
もう会うこともないであろう他人である藤に対してキツく当たったのも人間らしくて良いし、

「居場所ならあるよ」と言った藤も本当に良いし、


なんかすごく良い関係だった。



フライヤーの藤とゆらは、

雨の音が嫌だという共通点で繋がった二人だから
雨を降らせるという考えもあるだろうけど

晴れた日の夕日というのは良いですね。

光がさしているのが。




・眞島隼人

忘れていたからこの順番になったのではなく。
最後に書きたかった人。

千代さん。本当に好きだった。


千代さんはこの舞台ではかなりの間出てこない。
1時間くらい出てこないのでは。

でも出てきた時から一気にパァーッと自分の中で明るくなったというか。

「千代さん、やっぱすごいわ」

という気持ちが溢れて、すごく好きでした。

眞島という役自体も良い人でとてもよかったし、
声も含めてとても思い描く眞島先生だった。



病気のことを知っている存在は大切で、
追い込んでしまったという気持ちもあるだろうけど
全くそんなことはないというか、

気が付くべきタイミングで気が付いて救ってくれた人だと思う。


藤にとっても、伊吹にとっても特別な人。

最後に伊吹に話したことで藤は少しよくない気持ちになっただろうけど、時間が経てばまたね。

こんな先生に出会えた2人は運が良い。



千代さんを観るのもタテウチと共演した「推定恋愛+」以来でしたが。

やっぱりすごく好きな役者さんだなと今回。


今回、千代さんが出ることになって、

今回の舞台を観て。

忘れかけていたあの頃を思い出したので最後に主宰の話を。




・舘内美穂

キャストではないので番外編ですが。
今回の舞台の感想にリンクしてしまっているので少しだけ。


今回の舞台には舘内美穂自身を感じる要素が多かった。


藤が苦しんで頭がおかしくなっている様も。
ゆらのように笑う姿も。
雨を嫌っているところも。(気圧の変化が嫌なだけだが)


どこか舘内美穂自身を感じる要素は多かった。
かもしれない。



千代さんと共演した「推定恋愛+」を観た後の自分に


『会いたい人はいますか?』


この問いを投げかけたら

俺は、舘内美穂と答えたんじゃないかと思った。


ゆらの前から突然消えた藤の姿が重なって。


終わるとも思っていなかったあの日々を経て

今、m sel.公演が見られること。

次が決まっていること。

役者・舘内美穂を観られる機会があること。


本当に奇跡みたいな今で


よかった、俺もよかった。


ゆらと藤のなかったシーンは、
未来のどこかであるんじゃないか。

あの二人はまた会えるんじゃないかとそう思えてきた。



タテウチがこの世界から少し離れて
また自分のいる世界に再び存在した。

その最初の作品が

「雨を忘れる」。


そこで出会ったのが山本真夢だった。


再び出会った。



山本真夢との出会いは2016年。
舞台「Over Smile」

さきほど言った玉川来夢さん主演の舞台だ。

今の印象とは違って()、とにかく可愛くて
終演後、新宿村Liveの階段を登ってきた姿に
「うげぇ、かわいーー」となった事を今でも覚えている。


その半年後の「魔銃ドナー」で初めて話してサインをもらい。

そして次に見たのがその2年後の2018年。
「雨を忘れる」。


今となってはm sel.の顔である山本真夢との本当の意味での出会いだ。


普通に生きる事が普通ではないこの小劇場の世界で、
普通にちゃんとしている人は自分にとって貴重だった。

そういう人が少ないことは残念ではあるが、
ちゃんとしているこの人は自分にとっては特別な役者だった。


山本真夢のすごさに気が付いてから、まゆおの出ている舞台をかなり観た。


舘内美穂と山本真夢のいる世界は自分にとって居心地の良い場所だった。

客として散々な目に遭いがちなこの世界で、
ここにいなよと言ってくれた気がして。

自分にとってのm sel.は、
ゆらにとっての藤だったのかもしれない。


この人たちのことはほとんど何も知らないけど
舞台に関係することだけしか知らないけど

m sel.には、自分はいていいのだと思える。


ここがあってよかった。



言い残したアレこれ


言い残したことを言っていきます。


ゆらが藤と離れることになって、
ハルが片付けに来たシーン。

ゆらが藤が描いたキャンバスの前に立ち。
ハルがゆらに向かって話をする。

ハルがゆらのいる方(キャンバスの方)に向かって
「それしか、知らないの?」と言ったシーンで


そこにあるキャンバスに字がしっかりと刻まれた。

(「ずれ」で配られた次回公演告知用のポストカード)


このカードは藤が最後に書いた絵に似ていて、
このシーンで自分の脳内でこれが完成した。ビシッと。



他にも言いたいことがあったからこの章を設けたのに、不思議なことに何を言うんだったか忘れてしまった。


あぱーー



とりあえず今回もパンフレットが素晴らしいクオリティだった。

(一番左がパンフ。onlyの告知カードがonryになっていたりするのはミスかも…笑)





それしか、知らない


このブログを見ている人は、
演劇オタクであったり、役者オタクであったり、アイドルオタクであったりすると思うので、

「それしか、知らない」人というのはわりと多いだろうな。


オタクというのは不思議な関係で
職業も、年齢も、本名すら知らない人といつも一緒にいる。


以前もどこかに書いたので聞いた人もいるだろうけど、


就職で初めて地元広島を離れ、
知り合いは会社の人しかいない中で上京。


そこでハマったアイドル。


1人でライブに行くうちに同じようなスタイルで見ている人と仲良くなり、

東京で初めて友達のような人が出来た。


誰が何をしているかも、本名も知らない。

約束をしてライブに行くこともない。

行ったらいつも居て、行くと一緒にライブを観る人たち。


みんなオタクと関係ないことにまでは踏み込まない関係。


その関係がとても心地よく、


それでも誰かがピンチになれば助けるのも普通のことで、
何かしたいとなれば面白そうだと乗るのも当たり前で

傍から見れば「それしか、知らない」人たちだけど、

職業も年齢も本名も住んでいる場所もいろいろ知っている人たち以上に大切な人だったりする。


どんな関係の人かなんて説明できなくていい。

自分が一緒に過ごした時間と、
自分が見てきた時間があれば十分。


それしか、知らないことより、
それを知っていることが重要。


そういう肩書のない人たちとの関係というのは、
オタクの方々は理解しやすいのかもしれないね。


というかまぁ

名前、年齢、出身、職業、住んでるとこ、これまでの人生

いろいろ知ってたって、

”それしか”だよな。



そもそも「それしか」という言葉は、

ハルが明らかに藤との関係性で負けていたゆらに対してマウントを取りたかったためだけに使った言葉であって

何を知っているか、どれだけ知っているかなんて、
誰かが誰かを評価するパラメータになどなるはずがない。



我々は人のそれしか知らない。

だからこそ、それ以外の部分を尊重する。


見えていない部分を決めつけない。

ゆらの母が一方的に藤くんを悪く言ったのとかもそうだけど、
知らない部分をどう捉えるかで変わってくる。
(母の場合、別の要素があり過ぎてアレだが)



Xのおすすめ欄では、それしか知らない人たちが、それ以外の部分のありもしないことを勝手に想定して「そうだとしたら」で毎日喧嘩している。


なんか

ただの人の意見に対して、

リプや引用で相手に伝わるような形で直接否定的なことを言う人はちょっと変な人なんだよ。

会った事ないよ俺は実世界で。

カフェとかで友達と会話してて、勝手に隣の人が会話に参加してきてそれは違うと思いますよって否定意見言ってくる現場に遭遇したことないよ。


実世界で、というか、フォロワーに1人もいないわ。

何万いいねとかきたり、5000人とかから引用で文句言われたりして
いわゆる炎上で「みんな」から否定されてる気になってしまう人がいたとしたら

そこにいる5000人は、知らない人に平気で否定的な意見を直接言ってくる、それしか知らないくせになんか言ってる実世界で見たこともない変な人たちだという前提は忘れてはならないと思いますよ。


まともな70億人は「自分は違う意見だけどそう思う人はいるよね」としか思わないから。


「なんだこいつ」と思った時にすることは、
勝手に「なんだこいつ」ってつぶやくか、友達に話すかとかであって、

本人に「なんだおまえ!」って言うやつは無視やで。


ありもしない現実のXのおすすめになんか負けるなよ。



舞台の「それを知っているだけで十分」という話と逆をしてしまった。




『会いたい人はいますか?』


自分の話は自分の心のうちに閉まっておこうとは思ったのだけど

ここに書いたら会えるかもしれないと願って
そんなことはないとわかりつつも1人だけ書いて終わろう。

今から15年前。
地元広島で就職し、3か月の研修を行った。

実家から通える人も含めて同期全員で寮に入って一緒に過ごした。

2人の同期と特に仲良くなって。
仕事が終わると誰かの部屋に集まって3人で過ごした。


3か月が経ち、配属先が決まった。
2人は広島。俺だけが上京した。

その半年後くらいにもう1人も東京配属となり、
1人だけ広島に残った。


残った彼とはGW、お盆、年末の年に3回会った。


そんなある日、彼は心の病で仕事を辞めた。

ただそれからも変わらず定期的に連絡はとっていた。
会社を辞めてからもGWなどに会った。


俺は東京に帰り、また時が経ちいつものように連絡した。

「〇日から〇日まで帰るよー、会える日あるー?」


彼からの返事はなかった。

彼は頑なにLINEをインストールしてくれなくて、彼との連絡はメールだった。

まぁもう10年くらい前の話で、その頃はまだLINE怖い派はわりといたんだ。


最後に話した彼は包丁を見るのが怖くて、包丁をタオルでグルグル巻きにして見えないようにしていると話していた。

それからも何年かは定期的にメールをした。
返事はなかった。

なぜかそのアドレスは使われていないという通知は一度も来ず、送れてしまっているけど。


確実に仲はよかったんだが。

ま、何もかも捨てて生きていきたいという事もあるだろう。

しんではいないんじゃないかなぁ。




まぁ全然特別なことじゃない

むしろ同期にもう一人誰も連絡とれなくなった人もいるくらい



同期消えがち



できることならもう一度会って
この10年であったこと聞いて欲しいし、
聞かせて欲しいものだ



まぁ全部ひっくるめていいんだ


では台本読んで、そういうことだったかーとなろう。


今回もm sel.大好きだった

終わってしまったけどまた次があるぜ!!!

ひゃっほーーーーーーい!



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