ジャルジャルの足跡は道になるか

2018年秋の単独ライブ「JARUJARUTOWER2018」を見てすっかり彼等の虜になってしまったわたし。ジャルジャルをよく知ろうと掘っていけば、避けては通れないのが’倉本美津留’さんの存在。恥ずかしながら倉本さんのことは存じ上げなかったのだが、ダウンタウンの始まりから共に歩いてきたことや、枠にとらわれない発想、’面白い’を追求したその生き方に当然心を惹かれ、六年前に出版された「ビートル頭」を購入した。面白かった。止まることなく読み切った。ジャルジャルから彼を知ったわたしはまた自然とジャルジャルに頭を戻した。今日テーマにしたいのは『王道』という言葉だ。

世界が始まったとき、そこは一面の雪に覆われた真っ白な平面だったとする。誰の足跡もない、とにかく見渡す限り真っ白な。
そこに、人類が生まれた。何十、何百万年前?原始人や弥生人がどんなジョークを言ってなにがツボで日々笑ったり楽しんでいたりしたのかは知らないけど、いつしかエンターテインメントが生まれて’面白い’を求めてたくさんの人が雪の上を歩いた。始まりがないものなんてこの世にはひとつもない。食事中に女の人がうっと口を押えてトイレに駆け込んで、出てきたら口をゆすいでゆっくり鏡を見るあのシーンも、やたらと長いタイトルも、足音がして恐る恐る振り返ると誰もいなくてほっと一息前を向くとバーーーン‼︎と出てくる怖い顔も、どれもこれも最初に始めた人がいる。最初に足跡を付けた人がいる。
大事なのは次の段階だ。大勢の人が新しいそれに惹かれて、自分もあんなことがしたいと思った時、その足跡を辿れることと辿れないことがある。
ここが境目になる。真似ができてどんどん人々が同じルートを辿っていった場合、それは‘道’になる。長年にわたって魅力がおとろえず絶え間なく人々がそこを歩いたとき’’はどんどん太くなる、そしていつしかど真ん中を走る’王道’になる。
いくらか時間が経ってきらめきが薄れ、また別の新しい足跡に皆の興味が移ってしまったら、道は途中で途切れていわゆる’流行’になる。(ただ、この流行は数十年経って振り返ってみると再び遠くでピカピカと光っていたりして、人々はまた同じ道を自分たちで作り出すことがたびたびある、面白い)
もうひとつは真似をしたくても誰もできなかった場合。どうしても新しく魅力的なその足跡にあやかりたいのに歩き方がわからない、「大体これは人の足跡か?」と。その時この足跡は、’唯一無二’と呼ばれるのだ。

さて、ジャルジャルは、真っ白の上を現在進行形で歩き続けていると思う。きっと本当は足跡のついてない場所なんていくらでも広がっていて、それはもう果てしなく宇宙のようなはずなのだが、常識を重んじる環境で生きる私たちの中に、全部が見えている人なんているんだろうか。そんな環境に嫌気がさして常識をきらい誰もやっていないことをしたいと視野を広くした人間が、これまで一人も踏んでいない場所を見つけていく。問題はそこから。
’王道’もしくは’唯一無二’になるには’未踏∩面白い’の条件を満たさなければいけないのだ。
人々は常にあらゆる可能性をエンターテインメントに求めて彷徨い歩いている。面白いところは既に踏まれているはずだし、未だ白く残っているのは面白くないからと誰もが避けた結果だろう。その中から、’未踏∩面白い’エリアを探し出す。実行に移せる能力や努力も必要。

自分の考えをまとめてみてつくづく思う。          第一人者は偉大だ。それでいて「分かる人にだけ分かればいいなんて一度も思ったことはない」と言うから興味が止まらない。
これからジャルジャルに憧れてお笑い界に入る芸人がたくさん出てきてジャルジャルロードが出来上がっていったら面白いし、やっぱり誰にも真似できなくて唯一無二の存在となってもこれまた面白い。

見たことのない歩き方を否定するのは’普通人’の性。
あたらしいを常に面白がれる人間で居たい。


なんてことを考えさせられてしまう、面白い本でした。

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