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ミュージカル 刀剣乱舞「静かの海のパライソ」考察

初演時は疫病蔓延のため中止、1年8ヶ月後に再演となった「静かの海のパライソ」


島原の乱の話と聞いて「どう転んでもインフェルノ確定ですやん」
天草へ行った時、キリシタン弾圧の歴史を見てきたから解像度バッチリだよ。


その道のプロが頼まれても掘りたくない場所No.1
色々な箇所が欠損、折り重なるように無限に、年代がまだ浅いので生々しい人骨が発掘されるのが島原の乱、最後の地「原城」


見る気が完全消失するさ!


が。


伊達双騎はパライソを見た方がいいという有識者の意見を元に、覚悟を決めて見ました。


最初からしんどい。
市井の人の暮らしが弾圧され、パライソに救いを求める。


舞台では浦島がサラっと説明しただけでしたが、生活がままならないほどの重税とキリストの教弾圧。

身体(衣食住)と心(信仰)の両方を奪われ、餓死・キリスト教狩りで殺される・一揆(クーデーター)か、という絶望の選択しかなかったんですよね。


今回は、鶴丸国永の台詞で要点が語られているで「何が問題なのか」がわかりやすい話でした。

審神者より島原出陣を伝えられたときから鶴丸はずっと怒っていて、一揆主犯のひとりである山田右衛門作に強くあたります。


「暴力(一揆)を選んだ結果」はその通りなのですが「弾圧」していた藩主や幕府側の責任は?

史実ではキリスト教に責任すべてをかぶせ、重税はなかったことにして原城の制圧に入るのですがそのテイなの?


鶴丸が幕府軍へおもむき「皆殺し」の本意を訪ねますが「島原の乱の根っこはココじゃないの?」とモヤモヤ。

「男士たちが史実通り島原の乱を起こし、3万7千人を皆殺しにする」が、この物語の主軸なので落とし所としては正解なのかもしれないですが…。


パライソは「舞台 刀剣乱舞」とリンクしているの?

天伝「天草士郎の出自」、綺伝「島原の方で…」という含みたっぷりな台詞。
ステ・ミュのラストは両本丸入り乱れての大捕物でも驚かない。


「実在しない」「豊臣家の血を引いている」などの逸話を盛り込み、序盤で時間遡行軍に殺された天草四郎を鶴丸・日向・浦島で演じ、1万人だった一揆勢を史実通りに拡張していきます。


太平の江戸時代に打たれ、戦いと過去の歴史にうとい浦島虎徹が今回のスパルタ教育の犠牲者・その1

幕府軍の制圧に参加させ、島原の乱が原因で血に縛られる松井江にもう1度同じことをさせるスパルタ教育の犠牲者・その2

任務の内容を伝えず、偽悪的に振る舞い、らしくない冷徹さで任務を進めていく、自分自身にスパルタを貸す鶴丸。


過酷過ぎて単独だと潰れてしまう任務も、ツーマンセルで「ひとりにしない」采配ができる鶴丸、優秀。

自分自身にも大倶利伽羅を付けないとムリだと理解していたんですね(江水散花雪の山姥切国広さん、聞こえていますかぁ?)


島原の乱に日向正宗と豊前江?…と思っていましたが、それぞれにしかできない役割があり、それを果たすという見事な部隊編成ができる鶴丸・優秀過ぎる(江水散花雪の山姥切国広さん、放任と放置は違いますよぉ?)


一揆勢を「弾圧される可愛そうな人たち」だけではなく、方便や神輿担ぎに脅迫、異教徒狩りと暴走カルトの側面を描いた刀ミュくんエライと思う。


突然「力(と本人たちは信じているもの)」を持つと狂うんだよ。

正しく施行して初めて「力」と呼べるということを知らないし、気がついてないのが悲しすぎる…。


男士たちが島原に着いたとき、これみよがしに空にかかる半月。

「あっ…(察し)」
途中、タイトル「静かの海」伏線回収で「あぁ…そっち…(絶望)」


島原湾の穏やかな内湾を思い浮かべていた私は浅はかだった…。
そして、なんとも言えない含みのあるタイトル…。


天草四郎の代役をこなしながら人を集め、島原の乱に向かう不穏なときは雲で陰る月。

原城制圧前の穏やかなひとときには、明るい満月。


月は三日月宗近のメタファーでもあり、一揆勢の人数にも連動していますね。


最後は新月(皆殺し)かと思っていましたが、三日月で「うわぁぁぁぁぁ…(頭を抱える)」


三日月宗近の「手は出さないけど、見守っている」の無言の重圧。

「歴史の中で悲しい役割を背負わされている人」には手を差し伸べるけど、市井の人はスルーかっ!


その点で鶴丸は「刀剣男士」としての責任を全うしている。
偽悪的に振る舞い「バカバカしい任務」と言い放っても「歴史通り」に流れを戻す。


だから三日月宗近の振る舞いに怒りを感じている。

最後であの弟くんに手を差し伸べた三日月に、鶴丸は救われたのか・怒りが深くなったのか…。


弟くんは「役割を背負わされている人」ではなく、市井の人。

老若男女問わず殺された3万7千人の中のひとりを救った意味は?


鶴丸も「救ってみろよ3万7千人!」と、そりゃ叫ぶわ。

弔いの意味もあったであろうロザリオを掛けられた兄は「天草四郎」として幕府軍へ渡り、それを見た山田右衛門作もそりゃ叫ぶわ。


ここでやっと自分がやってきたことの意味を理解しても、生き残ったのは自分だけ。

江水のように歴史改変されても、どう転んでも天草・島原の乱はインフェルノだから救いようがない(江水も別の意味で地獄だけど…)

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