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親孝行も自分流でいいんじゃない? 現在進行形 〜母編1️⃣〜

今日の日経 X womanのPIC UP記事はこちら!

昨年父がなくなりました。
コロナ禍の長期入院で、会うこともままならず最期の瞬間に立ち会うことはできませんでした。ただし、私には親と同居してくれる弟家族の存在があるので、年老いた両親を放置しているような罪の意識は全くなく・・
弟がとても細やかに面倒をみてくれていたので、本当に助かりました。


しかし、父が亡くなった途端に母の様子がおかしくなり、認知症や老人性うつの症状が悪化して行きました。
しばらくは、介護ヘルパーさんの訪問でなんとか切り抜けていたようですが、ともかく泣く、わめく、死にたいなどの感情の爆発があり、一方では寂しい寂しいなど言い続けるようになって行きました。

日中は仕事や学校があって家族が面倒をみてやれない自責の念、そして人が変わってしまった優しい母親の無惨な姿を毎日みていた弟にもうつ症状が・・

もう一人の弟とライングループを作り、毎日のように同居の弟からの愚痴や辛さを聞き続けました。
さらには、日中一人ぼっちの母のために見守りセンサーカメラを設置して、いつでも母の様子が確認できるようにしました。
電話にも出れなくなった母には、そのカメラから話しかけられます。


突然どこからともなく娘が話しかけてくることに母は驚いた様子もなく、普通に受け答えしていました。さらに驚いたことに、私と話していると同居の弟から聞くようなボケた母の印象は全くなかったことです。

ただし、昔のことや、間違ったこと、何度も同じ話を繰り返す母の会話に付き合うのは、もうほとんど修行状態・・しかも「じゃあね」と切り出すタイミングもなかなか難しく、毎回2,3時間は覚悟していました。

そして、毎週末必ず2時間は母のために使うと決めて、これこそが自分にしかできない親孝行だと、何があっても守ろうと自分に言い聞かせました。
もう一人の弟も、同居の弟も、息子は母親の会話に長時間付き合うことはできなかったようでした。

そこから半年くらいは、「お母さん、どや?」と突然話しかけ・・
普段は標準語で話すことが習慣になっていたのに、週に1回、ものすごく訛る田舎の言葉を使って話すと、たまに仕事中でも標準語が訛ってしまうことにちょっと笑いました。

多分人生で一番母と会話した時期でした。
遅かったかもしれないですが、こんなことがあったからこそ、娘としての親孝行させてもらったと思っています。


【あやおとのPR目線】
『親不孝介護 距離を取るからうまくいく』日経BP
著者/川内潤、山中浩之

日経ビジネス編集部の山中浩之の実録書のようです。
きっとリアルなんだろうな・・。

書籍の抜粋記事ではあるんですが、最近思うことありで。
この間、あるメディアに書籍を取り上げてもらった作者さんから言われたことは・・
「一番のキモのところを抜粋して掲載されてるんです。」

要は、そこ載せちゃうとわざわざ買う人いなくない?と心配されてるわけですが、今までも本のPRしている時には、どこを抜粋しててもこんなふうに言われたことがなく・・

何か暗黙のルール的なことってあるんですかね〜?
編集者さんに聞いてみたいす。


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