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東大の文化を変える

0. はじめに

はじめまして、松田新です。私は文科一類の2年生で、政治学を中心に勉強しています。政治学やビジネス関連の本が大好きで、いくつかのゼミや読書会を主催しながら、教育関連の学生団体を立ち上げたりニュースメディアでインターンをしたりと、忙しい生活をしています。そんな私は最近、UT-BASEに入ってさらに自分を追い込んでいます。それは私がマゾだからというだけでなく、東大の文化をどうしても変えたいという思いがあるからです。本稿では、UT-BASEの紹介を兼ねて、私がUT-BASEで始めようとしている新規プロジェクトについて議論します。
 構成としては、私が東大に対して持っている課題感、それと対比される理想像を明らかにしたうえで、現状を招いている原因と解決策を明らかにしていきます。最後に、UT-BASEで私が主導していくプロジェクトをご紹介します。

1. 現状の課題

今、東大には「真面目はダサい」という文化がはびこっています。これは学生ひとりひとりにとっての損失であると同時に、東大全体、ひいては日本や世界のレベルでの深刻な問題につながっています。

不正確を承知で言うと、東大の文化は二つにわけることができます。一つ目は「真面目はかっこいい」という文化です。この文化は、大学時代に学問や学生団体での活動、インターンや起業などの活動に真面目に取り組むことを積極的に肯定する立場にあたります。UT-BASEが支持しているのはこちらの文化です。良く言えば情熱的、悪く言えば暑苦しくて青臭いものでしょう。二つ目は、「真面目はダサい」という文化です。この文化は、何かを真面目にやることを全否定しないまでも、程よく力が抜けているのがかっこいいとする立場に当たります。こうした文化が想定する大学における主な活動は、サークルでの飲み会やSNS、あるいは「時給が高いだけ」というモチベーションで続けてしまうアルバイトなどです。なんだか大人になったような気がするけれど、刹那的な大学生活です。

これはあくまで大まかに分けた話であって、その中間にあたる文化もあるといえるかもしれません。また、個人レベルで見れば「学生団体では前者の文化に染まるけれど、サークルでは後者の文化に染まる」というように流動的な人も多いことでしょう。ですが、確かにこれら2つの文化は存在し、直接的にも間接的にも対立しています。

昔のことはいざ知らず、今の東大では「真面目はダサい」という文化が圧倒的に優勢です。私はクラスで自分の興味のある政治学の話をしたら酔っ払いとからかわれ、熱い大学生活を送ろう、と言ったら笑われました。ゼミの後輩(N=2)は、クラスで「ガチプロ」だとバレないように、ゼミに入っていることを隠しているそうです。東大(特に前期教養課程)が「真面目はダサい」という文化に染まっているゆえに、「真面目はかっこいい」と思い、真面目に大学生活を送ろうとしている人は肩身が狭い思いをしているのです。似たような経験がある方も多いのではないでしょうか。

放っておくと、「真面目はダサい」文化はもっと強くなります。東大に「真面目」に対する抑圧構造が存在しているとわかれば、優秀な学生はもう東大に入学しなくなります。私自身、後輩に胸を張って今の東大を勧めることはできません。実際、周りの優秀な学生は東大ではなく海外大に進学しています。こうしてさらに東大生のレベルが下がるわけです。〈東大生のレベルが下がる〉→〈東大入学者のレベルが下がる〉→〈東大のレベルが下がる〉…という負のスパイラルを、急いで阻止する必要があります。

真面目に頑張っているかっこいい学生が減ってしまう。これは、真面目な大学生活を送りたいと思っている学生だけの問題ではありません。東大全体、ひいては日本や世界の問題につながっています。まず、東大は「国内外の様々な分野で指導的役割を果たしうる『世界的視野をもった市民的エリート』(東京大学憲章)を育成することが,社会から負託された自らの使命である」としています。現状のまま、東大で「真面目はダサい」という文化がはびこり、それにより頭脳流出を招く負のスパイラルが回っていくとすれば、東大のレベルは凋落し社会から負託された責任を果たすことはできなくなります。すると、指導的な役割を果たしうる優秀な人材が足りなくなっていき、日本、ひいては世界の発展の停滞につながります。

2. 理想の東大像

私が描く理想の東大は、「真面目はかっこいい」という文化が共有された、まさにUT-BASEが支持している「挑戦・熱中・学びに満ちた東大生活」をより多くの学生が送っている状態です。

「真面目はかっこいい」という文化が「真面目はダサい」という文化を圧倒し、やる気に満ちた学生が東大に集まります。学生たちは自ら行動し、自分の好きなことに挑戦・熱中して多くを学びます。さらに、熱い学生を中心に自然とオープンなコミュニティが形成され、ゼミや学生団体などが増加します。これらのメンバーは団体内、団体間の双方で緩やかにつながっており、刺激を受けあうと同時に何かを共創することができます。後輩たちは、こうして挑戦・熱中・学びに満ちた大学生活を送る先輩の背中を見て憧れ、東大に入り、これに続きます。このサイクルが回ると、東大の「真面目はかっこいい」という文化は自走するシステムを形作ります。こうした、挑戦・熱中・学びに満ちた東大からは、たくさんの優秀な人材が輩出されます。東大は社会に付託された責任を果たし、日本、ひいては世界の発展に貢献します。

3. 原因と解決策

それではなぜ東大には「真面目はかっこいい」という文化が浸透しないのでしょうか。その文化を支持する人の割合が「キャズム」と呼ばれる境界線を越えていないからです。新しい文化やアイデアは、ある程度の割合の人が支持し始めた段階で「皆と違うからやめておこう」という同調圧力から逃れることができます。この同調圧力が十分に弱くなる境界を、「キャズム」というわけです。一般に、およそ16%と言われています。

では、「真面目はかっこいい」という考えを支持する人を「キャズム」を超えるまで増やすには、どうしたらよいのでしょうか。まずは影響力のある変革的な先駆者となる学生を増やす必要があります。彼らは周りの賛成を得られない段階から「真面目はかっこいい」と固く信じ、コミュニティを形成すると同時に周囲の人に自らの信念を共有します。変革的な先駆者に影響された学生は、「真面目はかっこいい」と思い自らもその文化を体現するようになり、影響は波及していきます。

例えば、私はあるゼミの新歓担当を務めていました。ゼミの説明はそこそこに、自分がゼミで学んだこと、興味を持っているトルコ政治などのことを全力で話しました。結果、「松田さんが目を輝かせてトルコの話をしているのを見てゼミに入りました」と触発された優秀な学生が入ゼミしました。結果、今のゼミは最高の挑戦・熱中・学びに満ちた場となっています。逆に、淡々と事務的な話をする新歓には新入生の心は動かず、そこについてくる学生は少なくなります。変革的な先駆者が背中を見せることは、確実に違いを生み、周囲の人間の原動力となるのです。
UT-BASEは、こうした変革的な先駆者となる学生を増やす新規プロジェクトを始動します。

4. UT-BASEの新規プロジェクト

UT-BASEのこれまでの取り組みは、ゼミやサークル、イベントの紹介や学務情報のお知らせなど「情報の流通」に焦点を置いたものでした。これは、「ゼミやサークルの情報にたどり着けず、張り合いのない大学生活を送ってしまった」とか「学務情報を見落として進級に失敗した」といった悩みを解決しています。こうした取り組みは間違いなく重要ですが、UT-BASEのミッションである「東大を世界一の学び場にする」を果たすには、もう一段階先のステップが必要です。現状は、学生の挑戦・熱中・学びのレベルの底上げにとどまっているためです。

これからの東大、ひいては世界をリードする変革的な先駆者を増やすため、UT-BASEはハイエンドなサービスをリリースします。サービス内容は、超ハイクオリティなゼミです。前期教養課程の学生を対象に、大量のリーディングアサインメントを課す欧米の授業スタイルを取り入れ、各界のリーダーと直接ディスカッションする機会を設けます。参加者は、密なコミュニティで切磋琢磨しながら、「世界的視野を持った市民的エリート」に必要な最先端の教養を身に付けると同時に、各界のリーダーの変革的な姿勢を直接学び取ることができます。


5. おわりに

このゼミを通して成長した優秀な学生の皆さんと共に、先駆者として東大の文化を変革し、「東大を世界一の学び場にする」ことを楽しみにしています。受講希望者、あるいはUT-BASEをともに盛り上げていく仲間を大募集しています。

UT-BASEに興味を持った方は是非このリンクからご連絡下さい。首を長くして目をギラギラさせてお待ちしております!


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