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2つのめがねによるラジオに関するイメージ

じめじめと蒸し暑い六月のある晩のことである。

自室のベッドの上で横たわっていた私は目を覚ます。上体をおこし、時刻を確認する。まもなく深夜1時。ラジオを起動する。"ぽっ、ぽっ、ぽーんっ"という時報の後、女声のスキャットが流れてくる。

♪ぱばらばだばっ、ぱばらばだばっ、ぱばらばだば、だばたばたばだばっ、、、

「どうもこんばんわ。小さいほうのめがねです。」
「どうもこんばんわ。大きいほうのめがねです。」

今週も、2つのめがねが暗闇にぼんやりと浮かびあがる。話はじめは、たいてい、小さいほうのめがねからだ。

「あー、なんかちょっと疲れてる感じするね、大きいほうのめがね。」
「いやいやそんなことないよ。」
「寝てこなかったの?今日」
「寝れなかったね。」
「おれもね、今日寝てこようと思ったんだけど、寝れなかったんだよ。」
「あぁそう。」
「じゃあ、一旦ねてみる?」
「え?いいの?」
「いいだろ。30人くらいしかきいてないんだろ?このラジオ。」
「そうなの?うーん、じゃあやってみる?」

このふたり、もう十数年この時間のラジオを続けているのだが、すきあらば放送中に眠ろうとするのだ。

「くくくくく、、、だめですよ、おきてください。」
と、2つのめがねとは別の控えめな声が聞こえてくる。

「しょうがないなあ。今週は?なんかあった?」
と、小さいほうのめがねが大きいほうのめがねに問いかける。
「あぁ、なんかねー、今度引っ越しするんだけどー、うちの奥さんがレコードとかいっぱい持っててー、整理しなきゃなんないってなって片付けてたらー、その中からー、ジョンレノンが履いてたらしいっていうブーツを見つけたかもしんないって話をしてたような気がするんだよな〜。」

ここで、私の頭上に、はてなマークが現れた。私は、おもむろに右手を伸ばし、そのはてなマークを手に取ってみた。

ジョンレノンが履いてたらしいブーツってなんだ?なんでそれを奥さんがもってんだ?というか、「履いてたらしい」「見つけたかもしれない」は、まだわかるとして、「話をしていたかどうか」もあやふやなのかよ。

と、しばらくはてなマークを両手で弄んでいたのだが、やがて、真っ暗な窓の外から"わぉぉ〜ん"と犬の遠吠えが聞こえてきた。その拍子に、手中のはてなマークは、"ばちんっ"と音を立てて消え、気づくと、大きいほうのめがねの話は終わっていた。つづいて、小さいほうのめがねの緩んだくちもとから、「ふぅぅ〜〜ん」というなまあたたかいあいづちが漏れてきて、私はなんだか眠くなってしまった。

それから私は再びベッドに横たわって仰向けになり、ぼんやりとめがねたちの話を聴いていたのだが、ふと、へそのあたりに目をやると、ぽっこりと山なりになっている。

最近少し太り気味のようだ、明日は久しぶりに表にでて歩いてみるか、などと考えながらじっと見つめていると、徐々にその山がせり上がっているような気がする。ふっと目を離してもう一度目をやると、その山はもはや山ではなく、上半身全体がバルーン状にまるまると膨れあがっている。"なんということだ"と思う間もなく、私はぷかぷかと体ごと浮きあがっていた。

"べちん"。蛍光灯のかさに頭をぶつける。足元で寝ていた猫が目を覚ます。目と目が合う。
「おぅぃ。たすけてくれぇ。」
助けを求めてみるが,そっぽを向かれる。
「おぅぃ。」
猫、起き上がって伸びをし、ぶるぶるっとかぶりを振る。
「たぁすけてくれぇぃ。」
猫、ベッドから飛び降り、わずかに開いていた襖の隙間に自らの額を押し込み、とっとと部屋の外へでていってしまった。

「ちぇ。薄情だなあ。」
とつぶやき、しばらく天井の角でうごうごともがいていたのだが、やがて、どこからともなくなまぬるい風が吹いてきて、私はあらがう気力もなく、開け放した窓から夜の闇へ押し流されてしまったのだった。

"よわったなあ"と思いながらも、なすすべもなく、川沿いをぷかぷかと風に流されていく。暗闇の中で蛙の鳴き声と水の流れる音が混ざり合っている。黒々とした川面が月の光をきらきらと反射させる。小動物が横切る。蔦の絡まった交通標識。ひとけのない真っ暗な十字路を赤信号が照らす。やがて、駅前のアーケードにさしかかる。

「はて。この駅前にアーケードがあっただろうか。」

と考えていたところで、前方から、灰色のポロシャツにベージュのスラックス、頭に薄汚れた野球帽をかぶり、犬を連れた50代くらいのおじさんが歩いてくる。

「こんな遅くに犬の散歩ですか。」

おじさん、こちらを一瞥し、ギョッとした眼つきをする。

「なんだぃ、あんた。」
「あぁ、すいません、急にお声がけして。こんな時間に珍しいなあと思いまして。」
「...。あんたの方がよっぽど珍しいだろう。なんだぃ、その格好は。」
「ああ、はい、すみません、お見苦しいところをお見せして。先程まで自宅でラジオを聴いていたのですが、急に体が膨らんで、浮かび上がってしまいまして。風に流されて、ここまで来てしまったというわけです。」
「ラジオって、めがねの?」
「はい。」
「おれもちょうど聴いてたとこだ。」

片耳につけていたイヤホンを外してブラブラさせる。

「ジョンレノンが履いてたらしいブーツってなんなんだろうな。」
「ええ。私もそのことについて考えていたら、犬の遠吠えが聴こえて。」
「ああ、そりゃこいつだ。」
おじさんの足元に大人しく座っている柴犬が、潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。
「かわいらしい犬ですね。名前は?」
「...。さあ?」
「...。」

沈黙ののち、おじさん、犬のリードをはずす。途端に、犬、駆けだしていく。すぐに姿が見えなくなって、わぉぉ〜ん、と残響。

「これに掴まりな。」
リードの一端を投げ渡される。
「いいんですか。」
「何が。」
「犬。」
「あぁ、あいつは野良だから。」

こうして、催事場の風船と子供のような格好になった私とおじさんは、無言で暗いシャッター通りを進む。どこかで見たことがあるようなないような商店街が続く。
おじさん、しばらく歩いて一軒の薬局の前で立ち止まる。製薬会社のキャラクターが暗い表情で微笑んでいる。

「どうかしましたか。」

おじさん、私の問いかけには答えず、薬局とその隣の金物屋の間の、人がひとり通れるくらいの隙間を見つめている。

「今日は開いてるみてえだな。」
そう呟くと、その隙間にずかずかと入り込んでいく。わたし、リードを持つ手に力を入れる。極力体を縮こめるが、両脇の壁にずるずると擦られる。「いでで、いで、いで。」とうめきながら、あとを続く。
十数歩進んだところで、地下に続く階段が現れる。おじさん、そのまま階段を降りていく。階段を降りたところに、木製のドアがあり、"Bar 概念"と書かれた看板が灯っている。 入店。

カランコロンカラン、
「いらっしゃいませ。」

頭髪をポマードで黒光りさせ、白いワイシャツに黒いベストを身につけたマスターらしき男性に出迎えられる。おじさん、慣れた手つきでリードを柱に括り付け、カウンターに腰掛ける。

「ウィスキー、ロックで。」

かなり照明が暗い。人影は見えないが微かに他の客の気配がする。

「ところで、今日は珍しいお連れ様ですね。」
「ああ、こいつ?さっき犬の散歩してたら偶然でくわしてよぉ。ラジオ聴いてたら、急に体が膨らんで、ぷかぷか浮かんできちまったっていうもんだから、ここまで連れてきたってわけだ。」
「ラジオってめがねの?」

マスター、低い天井に後頭部を擦り付けるかたちで浮いている私に視線を合わせる。

「はい。マスターもお聴きになってたんですか?」
「ええ、今も流してますよ。」
よく耳を澄ますと、聴き覚えのあるめがねたちの声がひっそりと聴こえる。
「本当だ。」
「ジョンレノンが履いてたらしいブーツってなんなんでしょうね。」
「なんなんでしょうねえ。」
「なんなんだろうなあ。」
「…。」
「...。」
「...。」

しばし沈黙。
ラジオからは、めがねたちがけらけらと笑う声が聴こえてくる。

「あのめがねたちの眠りそうで眠らない感じ、このお店の雰囲気にピッタリですね。」
と、私。
「ふふ。ありがとうございます。」
と、マスター。
「それよりあんた、そんな姿でよく落ち着いてられるな。」
と、おじさん。

「なんだか現実みがなくて。でも、いつまでもこんな状態でいるわけにはいきませんね。どうしたら元に戻れるんでしょう。」
「マスター、何かいい考えはないかぃ。」
「そうですねぇ、、、。なんだかんだいって結局、概念を捨てるのが一番手っ取り早いのでは?」
「やっぱりそう思うかぃ?」
「どういうことです?」
「"浮く"とか"浮かない"とかの概念を捨てるということです。あなたが浮いているのはあなた自身が"浮く"という概念を持っているからです。概念を捨てればあなたは浮いていない。」
「概念を捨てようが捨てまいが、結局現状に変わりはないと思うのですが。。。」
「ではその現状という概念を捨てたら?」
「むむむ。ますますわからなくなってきたぞ……。」

ラジオから、微かに、軽快なピアノの音色が流れてくる。

「oh,yeah,oh,yeah......」
マスターが氷を割りながら口ずさむ。
「oh,yeah,oh,yeah......」
犬のおじさんもつづく。
「oh,yeah,oh,yeah......」
姿の見えない客の声が、そこかしこからきこえてくる。
「oh,yeah,oh,yeah......」

私もつられて口ずさんでいると、自分の中の概念のようなものが溶けだしていくような気がしたのだが、マスターが手に持ったアイスピックを振り上げた瞬間、"ばちんっ"と大きな音がして、気づくと私はもとのベッドの上に横たわっていたのだった。

「ジェイ、オー、ケイ、アール。お聴きの放送は、954キロヘルツ、TBSラジオです。」

ラジオがそう告げた。

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