リボンの曼陀羅

1.不惑の男

気がつけば、四十歳になっていた。
デビューして数年の間は、ちょっとした賞なんかも獲ったりしていたが、今となってはそれこそが、不幸だったのかもしれない。まがりなりにも自分には才能があると錯覚してしまったのだろう、余熱と中途半端なプライドだけが、引き際を見失わせた。以降、芽が出ないなんて時期はとうに過ぎており、そのまま種ごと腐りかけても、凝りずに絵を描き続け、もうすぐ二十年近く経とうとしている。

久しぶりに実家に帰っては、決まって母が口にした小言もいつからか聞くことはなくなっていた。
姪や甥は、会うたびに、ひとまわりどころかそれよりも大きく成長して見えて、自分とは流れる時間がまるで違うのではないかとさえ思う。天使のように無邪気な質問にだって、曖昧な返事と苦笑いを繰り返すことを、もはや苦にも思わなくなっていた。

「これの、どこが不惑なんだろうな。」

生まれ育ったはずの家に充満する、生暖かい声と空気からは、もはやただひとり自分だけが、うまく嵌まらないピースのように思えた。

ずっと、少女を描き続けてきた。
初めて絵筆を握ったときから、すでにこの主題からは逃れられないような気がしていた。

はじめは絵を描くためだけに借りた、ぼろアパートだった。バイト代では首が回らなくなってきた頃に、どうしてか手放していたのは、この似非アトリエではなく、下宿先の方だった。黴臭い寝床には、すでに二度の回収日を逃したごみ袋と、誰に見られることもないだろうキャンバスが、今も乱雑に並んでいた。


ある時、この部屋には、いつからか少女の亡霊がいることに気がついた。はじめは、自分でもいよいよ気が狂ったかと思ったが、ほどなくしてわかった。その少女は、紛れもなく俺自身が描いたものだった。ひとつ作品を描いては俺の前に現れ、そしていつの間にか消えていく、ひとりの少女だった。

こんなものを見るようになった理由はわかっている。
家族はおろか、恋人だってまともに作ってこなかった。数えるほどもいない友人の誘いにだって生返事のまま、むしろそんな奴らすらも見下し、口を衝いて出る醜い言葉をそのままキャンバスにぶつけるように色を塗り重ねた。そんな人間に寄りつくものはおそらく、こんな幻覚か、そうじゃなければ、もはや悪霊か死神かしかいないのだろう。

イエス・キリストのように、神が一時的に人の姿かたちを得ることを、インカネーションというらしい。
俺の絵にそんな力があるわけがないし、これはただの幻覚だとわかっている。
だが、いざ、自分が描いたはずの少女がうつむくさまや、その佇まいを目の前にすると、その姿はどこか不完全でアンバランスなものに見えた。
そうじゃない、キャンバス上の君はもっともっと美しいはずだ。誰もいない部屋で、ひとり空に向かい講釈を垂れる自分に、ふと我に返る。少女に触れたことはない。好き勝手、批評した先にあるのは、ただ俺が独りという事実だけだ。

この先、俺が死ぬまで描き続ける以上、あの少女は、この世に生まれ続け、そして受肉することなく死んでいくのだろうか。そんな残酷なことができるのだろうか。

いや、これは、ひょっとすると、ろくに徳も積んでこなかった俺の前に下りてきた、極楽浄土へ続く一本の蜘蛛の糸なのかもしれない。この少女を描き続け、そして、いつか殺めることなく、この輪廻を止めることができれば、俺はこの生を成仏、いや成就させられる。

「ワクワクするよ。」

念仏のように繰り返しながら、俺は絵筆に力を込めた。
ほとんど勢いのままキャンバス上に描かれたのは、色鮮やかに絡み合うリボンのような曼陀羅図だった。
まるで、都市のメトロ路線図のようにひろがるその上で、少女がこちらに微笑んでいるように見えた。



2.林檎と女

指先にふと生暖かいものが流れた。
どうやらナイフで切ってしまったみたいだ。
剥かれた一本の林檎の皮が、あと少しのところで途切れてしまったことを惜しみながら、思いのほか、傷が深いこと気がついたとき、どくどくと、すこし遅れて痛みが広がった。

綺麗な螺旋状に剥かれていく林檎の皮を見て、昔のことを思い返していたのだ。
あれは大学時代の宗教の講義だった。仏教では、生きているうちに悪いことばかりしていると、生まれ変わっても人間にはなれなくて、地獄に落ちたり、動物になっちゃったりするとか、そんな話をしてたときだと思う。
たまたま隣に座っていた男の子が、いきなり教授に「そんなのおかしい」と言い出したのだった。

そんなの無責任だって。自分の今のいのちが、記憶もない前世の行いで定められてるのだって納得いかないし、僕がしたことが次のいのちを左右するなんて、むしろ今を軽んじてる。って、そういうようなことを言ってた。

まともに取り合ってもらえてなかったけど、そのとき、あたし、なんか妙に納得しちゃって。今思えば、あの頃あたしも、なんていうか呪いみたいなものに、自分なりに抵抗していたんだと思う。

自分の意思とは関係なく、あたかもプログラミングされたみたいに、心とからだが変わっていく。戸惑いながら、ふと気がついたときには、学校でも、街でも、常に誰かから消費される対象としてのあたしがいた。そんな少女の自分を忌み嫌っていた。

でも、その気持ちが強くなればなるほどに、不思議と女の子らしいものばかり身に付けるようになっていった。
誰もあたし自身のことなんて見ていない。ずっとそう思っていたのに、呪いの象徴みたいなリボンを結ぶのは、悲しいくらいに、可愛かったから。

大人になって、恋や行為を繰り返すうちに、駆け引きや合図なんかも覚えはじめて、こんなものに何の意味があるのかって考えたり、でも、これが生きるってことなのとか悟ってみたりもして。ようやく覚悟を決めたって、そのループからはなかなか抜け出せなかった。

今になって思えば、彼の言ってたこと、きっと、あたしにとっては、リボンそのものだったのかもしれないな。

神様の手のひらの上で、ただ林檎の皮の螺旋を上ったり下りたりさせられるんじゃなくって、あたしは、あたしのリボンを結んで、このいのちと、この恋を生き抜く。

それができたなら、輪廻転生に失敗して、たとえ次のいのちは、その辺の石ころになったっていい。徳を積むどころか、ろくに動けなくたって、もしそうなったら、どこの誰かも知らない彼みたいに、神様の指先に、真っ赤な皮ごと噛みついてやる。

「このリボン、ほどけるもんならほどいてみろってね。」

剥きかけの林檎をかじると、口いっぱいにひろがった酸味が、すこし感覚の遠くなった指先に沁みたような気がした。



※この物語はフィクションであり、実在の人物・作品・団体とは一切関係ありません。


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