サンタクロースは二度死ぬ

バンド、アーバンギャルドが自身初のクリスマスソングとして、新曲『サンタクロースビジネス』を配信リリースした。

Youtube上に公開されたMVでは、クリスマス当日、バンドマンとしてステージに上がる父親と、ひとり寂しい夜を過ごし、サンタに扮した父親とのクリスマスパーティを夢見る娘の様子が映される。
デビュー以降、トラウマテクノポップバンドが様々な作品に織り交ぜてきた毒気ともいえる表現や世界観は限りなく抑えられ、娘・父それぞれの視点から、世に幸せを届ける生業と、それにより選びえなかった生き方とを、サンタクロースになぞらえた、ポップでどこか切ない楽曲だ。

アーバンギャルドにおいて、長らくクリスマスの象徴的な楽曲として「子どもの恋愛」がある。
2011年10月にリリースされたメジャー1stアルバム「メンタルヘルズ」のリード曲でもある「子どもの恋愛」のテーマは、「SANTACLAUS IS DEAD」。

子どもたちは歳を重ね、かつてお金を燃やして遊ぶほどに純粋無垢だった「恋愛」のうちにも、本能的な性と消費が孕むことを、否が応でも知ることになる。
認めたくないその現実は、まるで『サンタクロースはいないんだよって告げられたみたい』だ。
表面ぎりぎりを保っていた液体がコップから溢れるように、その閾値を超えてしまった私たちは、もう以前の「子どもの恋愛」には戻れない。

子どもたちが自らの手で殺めたサンタクロース。
残されたプレゼントボックスのなかにあったのは1丁のピストル。
飛び交うお金と、風船の白、ピンク。
男の子はピストル片手に、少女をTVのなかの世界へ連れていく。


「子どもの恋愛」と「サンタクロースビジネス」。
その間10余年を経てリリースされたこの2曲は、アーバンギャルドの表現世界における、大きな変容を示しているともいえる。

それは、「性」、「生と死」、そして「少女」といったモチーフから、「生活」への移行であり、言い換えれば、フィクションからノンフィクションへの移行でもある。

仮に、大雑把かつ半ば強引に、2018年リリースのアルバム「少女フィクション」を大きなターニングポイントであったとする。

それまでのアーバンギャルドにおいては、楽曲を通じて表現される世界観とリスナー自らの「性」や「生と死」、つまり、ある種の虚構とリアルがそれぞれの内面で重なることで強い陶酔が生まれやすかったといえる。加えて、リスナーの「生」がコンポーザー松永天馬とアーバンギャルドという装置の原動力になることで、よりその世界観が深く深く、互いにベクトルを向ける方向で追求されていった。

一方で、アルバムリード曲「少女フィクション」では、それまで歌い寄り添ってきたものが、あくまで「作品」であることを告げられる。一見、これまでの関係を突き放すかのように、双方向に向き合っていたベクトルのうち、片方の矢印が少しずつ方向を変えていき、あえてバンドとリスナーの間には距離がおかれたかのように見えた。一人でも歩けるはず、と。
アルバムでは、「大人病」、「キスについて」、「少女にしやがれ」と、リスナーにとって、重ね合わせたアーバンギャルドと自身との決別を示唆する楽曲が続いた。こうして少し離れた距離からは、初めて、楽曲の裏側にいる人間と「生活」が少しずつ見え隠れしはじめた。
折しも、リーダー松永天馬をはじめメンバーのソロ活動が活発になっていったのもこの時期と重なる。

2008年のデビュー当時、10代の思春期を過ごしたリスナーも、バンドの活動年数とともに歳を重ね、それぞれに「生活」のなかで多くの折り合いをつけながら生きてきたし、生きている。それが彼女ら・彼らにとって今の「生」であるとすれば、むしろ、この変容こそがリスナーの「生」に寄り添い、「少女」を歌い続けたアーバンギャルドの物語とさえも思えてくる。

今回の「サンタクロースビジネス」においても、娘はすでに、父が、自分ではない誰かにとってのサンタクロースであることを知っている。
かつて、枕元にプレゼントを届けてくれたサンタクロースはもういないし、同時に、それぞれリスナー自身が、もはやアーバンギャルドや「少女」の自分を一番にできないサンタクロースでもあることを知るのかもしれない。
(あるいは、それはアーバンギャルドという少女自身にとっても同じだろうか)


ここまで好き勝手に思いを書き記してきたが、これは、ポスト「あたしフィクション」の世界観変容を憂うものでも、現在のテーマ性を手放しで称えるものでもない。

自分にとってのアーバンギャルドは、「性」、「生と死」、「少女」を普遍的なテーマとして、それぞれの時代と重ね合わせながら歌ってきたことそのもの。
コロナ禍のなかで制作・リリースされたアルバム「アバンデミック」がそうであったように、まさに時代を痛烈に切り取る視点と切れ味こそがアーバンギャルドというバンドがもつ魅力だと思っている。

モチーフは形を変えながらも、その魅力は常に作品のなかに散りばめられている。それをひとつひとつ見逃さず、こんな風につついて愉しみながら、これからも自分の「生活」をアーバンギャルドが連れ立って歩いてくれますように、と願う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?