Christian Louboutinの価値

知人から、ルブタンをメルカリで安く購入したが、サイズが小さいのでストレッチャーで広げているという話をされた。

聞いた時はさして気にも留めていなかったが、この頃彼女の価値観の押しつけに辟易していたのもあってか 電話を切った後段々と心がざわつく自分に気がついた。

彼女は身なりにはそれなりに気を使っていて、ハイヒールを脱ぐことは死ぬことだと思っている。森への散策にも、ハイヒールで登場する。

前置きが長くなったが、彼女はハイヒールを愛している。

でも、ルブタンは一足も持っていない(メルカリ購入までは)。

愛用は、ダイアナ。ディスっているわけではない。私は履かないので単純に価値を知らない。

今回心がざわついたのは

ルブタンに数万、あるいは数十万円出せない(お金の有る無いではなく、純粋にその金額に見合う価値を感じて支払うという気がない)人が、なぜ、夜な夜なメルカリで安くブランド品を漁るのか。しかもサイズが合わないのに。

その背景というか真意というか、感覚へ疑問を感じたからに他ならない。

ルブタンが好きな人は、その履き心地も含めて好きなのだと思っているのだけど(少なくとも私はそう)、インソールにルブタンというロゴが入っていて、ソールが赤だったら、もうそれでOKになってしまう世界もあるんだろうか。

初めて履くルブタンがもし(高い確率で)偽物だったら 次回正規品を買おうかどうか決められないよね。

となると、何が購買意欲なのだろう。安いから、本物だったらラッキー、なのか。

靴に興味がない人には興味が持てない話題かもしれないけれど、要は対象はなんだっていいのだ。車でも、時計でも、家具でも、食品でも。

品質やデザインはもちろんだけど、企業ポリシーや製造方法とか色んなものが複合的にブランドを作っているよね。そこに対価を支払っているって感覚がないのね。

安ければいい、という感覚ならばわかる。なら、ダイアナ最&高。コスパ最強。知らんけど。

わざわざ、ルブタン履きたいって思わなきゃ良くないですか。履きたいのかな?だったらその分の金、払えじゃない?




 


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