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待っていたのは   宮古島滞在記⑥

朝起きて早速キネに報告。

ウス「キネちゃん、あのなぁ。
            実は・・・・島外の者だけで入ったらアカンかったらしいねん。
   かくかくシカジカで・・・・今日お詫びに行きたいねんけど」

キネ「そら、アカン!
   すぐ行くでっ 準備してっ」

ウス「行きに途中の郵便局寄って荷物送りたいねんけど・・・」

キネ「何言うてんの! お参りが先やん!!!怒」

そら、そうか。

そのまま
まっすぐ阿津真間御嶽へ。
御嶽に着いたら、昨日と様子が随分違う。
何だか賑やかで
祭壇は飾られるし、宮司さんまで居てはる。

でも、私たちは境内に入れず
鳥居の外からお詫びのお参り。

鳥居の外でしゃがんでモゾモゾしている私たちに
境内から出てきたスーツの若い人が声をかけた。

「宮古新聞の記者なんですけど、どうして今日ここに参拝されてるのですか?」と。
言うかどうか迷ったけど、簡単にかいつまんで説明をしたら
まず、私たちが観光客で地元に所縁のない人間な事に驚き、
所縁がないのにお祭りの日のその時間に来た事にも驚き、
その日が阿津真間御嶽と漲水御嶽の二箇所で
年に一度の豊穣のお祭りである事を教えてくれた。

記者さんと話してると
宮司さんが鳥居にお清めのお神酒とお塩を盛りに来られたので
思い切って声をかけた。

奈良から来た事、それと事情を話すと
「せっかく来たんだから中でお参りしなさい」と。
躊躇する私たちに

「今日は年に一度の豊穣のお祭りの日で
 カミさまからみんな福をもらう日なんだよ。
 だから、中に入ってカミさまから沢山の福をもらって帰りなさい。
 さあ、さあ。」

「坊や、お菓子もあげよう」

あっさりお菓子に釣られる息子。おい!!!
私たちも宮司さんについて拝殿の中に。

昨日と違って、拝殿には綺麗に飾られた祭壇が組まれ
お供え物が山済みになっていた。

茣蓙が引かれ、その茣蓙に座るように促されたので並んで正座する。

家族の名前と生まれ年、住所を聞かれた。
宮司さんがおもむろに祝詞をあげる。
祝詞といっても私たちの知る祝詞とちょっと違う独特の節回しだ。

祝詞の中に、
「ヤマト」から来たと言う旨の言葉が聞き取れて
「ヤマト」の言葉に感動して、胸がいっぱいになって涙が溢れた。

この島の神前で、「ヤマト」の言葉が挙げられるとは。
大調和を感じて、身体が震えた。
「ああ、長かったね。やっとだね。」と。

微力ながらヤマトの民の代表としてここに立ち会えて良かった。

幸い、他の参拝者もいなかったのでゆっくりお参りできた。

「カミさまからいっぱいいっぱい福もらって奈良へ帰ったらいいですよ。
 それでね、福を分けたらいいですよ」って。
もう泣いちゃうよね。

お参りの後、お下がりにと
紅白の郷土菓子とコアラのマーチをもらって帰ることに。

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「漲水御嶽でもお祭りしてるからね、このあと参るといいよ」の言葉をいただいたて車へ戻った。

お祈り?ご祈祷?をしてもらって、お下がりまで頂いたのに
玉串料も何も渡してなかったことに気がついて
心ばかりの御礼を包んで再び戻ると
拝殿の前には、参拝の地元の方が行列。
さっきまでの静寂が嘘のようだ。

絶妙なタイミングだったんだなぁ。

御礼を渡すために列に並んでると
私たちのすぐ前に白い着物を羽織り琉球紬を着たご婦人が。
高齢に見えるが、芯がしっかり通っていて
お弟子さんのような方も連れておられる。
出で立ちからして、大方この地の名のあるユタさんだろう。

拝殿の筵の上で
ここにこのカミさまがおられて、こう仰っているわ。
その隣にはこの方がこうやっておられて、、、、と宮司さん相手に
カミさまの説明や言付けが始まっていた。

ひとしきり話すと立ち上がり、帰られるようだ。
次もあるようなので、お参りに回られる日らしい。
帰り際、私たちの横に来ると
モチ(息子)のすぃーっと頭を撫でて
「カミさまのとこに、よく来たね。
    ああ、いい子だね。」
 
と。
ああ、なんて良い日なんだ。

全てが絶妙なタイミングで回っていて、
一瞬でもズレてたら全てに逢えなかったかもしれない。
郵便局寄らんで良かったわ、ホンマ。
キネありがとう(涙)

漲水御嶽でも同様、豊穣のお祭りに参加させてもらって
ユタさんにお祈りしてもらったのち、パンような郷土菓子を頂いて帰った。
もちろん、もう帰り道でお腹におさまったわよ。

これをするために、宮古島まで来た。
大きな愛に触れた。

昨日のアレもこれに繋げる、前フリやったんやね。
肝を冷やしたよ。

感動で胸いっぱい。

宮古島の神様、ありがとう。
愛も福もたくさん受け取ったよ。





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