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三里塚紀行

 高速を降りると飛行場と道路が入り組んだエリアに入る。いやに図体の大きいアルファードを走らせながら目的地まで向かう。レンタカー屋の店員は「同じ値段でグレードアップしときました。」とまるで祝い事かのように言ってはいたが、元々運転がそこまで得意でなかった為になるべく小さい車を借りようとしていた私は全く嬉しいわけもなく、ただただ閉口するしかなかった。
 飛行場の中を縫うように敷かれた道路を暫く走らせていると次第に往来の車が少なくなる。初めて来た私でも飛行場を利用する一般人が滅多に通る道じゃないことは分かる。「この先貨物エリア」みたいな看板を観たような気もする。カーブのキツいトンネルを抜け、雑木林に囲まれた細い道に入ると最初の目的地に着いた。「成田空港 空と大地の歴史館」である。

 私はこの日、外山合宿の同期の数人を連れ立って三里塚にやってきた。わざわざこんな辺鄙な場所に来た理由は、三里塚が成田闘争の現場であり、戦後新左翼運動史において重要な土地だからだ……ということはこの記事を読むような人たちにはわざわざ説明する必要もないだろう。合宿での講義やその後の個人での学習などを経て三里塚に実際に訪れてみたくなった私は東京に旅行に来たついでにレンタカーを借りてここまで来たのである。

 最初に訪れた「成田空港 空と大地の歴史館」は簡単に説明すると三里塚闘争に関する資料館で、空と大地という名前通り、建設側と反対側の双方の観点から、バランスの良く展示すると言ったコンセプトの下にあるにようである。入場料はなんと無料だった。
 こんなマイナーな博物館誰も来るわけないだろと軽口を叩きながら駐車場へ入ろうとすると、なんと渋滞している。知らないうちに新左翼ブームが来たのかと首をかしげていたがどうやら歴史館と同じ敷地内にある航空科学博物館を訪れる人たちの列らしい。あらかじめ行き先については調べていたため、この博物館の存在は無論知っていたが、まさかこんなに人気なスポットだとは思ってもいなかった。子連れの家族が多い印象である。「航空科学博物館」と書かれたプレートを前に記念撮影する子供達が見えた。車を停めて、航空博物館へ向かう賑わいを背に逆方向にある歴史館に向かう。歴史館の概観は比較的綺麗でこじんまりとしている為公民館や老人ホームのような印象を抱いた。中にいる見物客はそれほど多くなかったが、航空科学博物館と同じ敷地にあるせいだろうか、その闘争の記憶とは不釣り合いに見える小学校低学年くらいの子供が展示を眺めている。展示は三里塚闘争を編年体的に追う形でボードに書かれた年表と共に当時の物品などが置いてあった。内容も濃く、合宿含め三里塚の歴史をある程度学んだ私でも楽しめるものだった。中でも一際目立つ展示は館内中央部に鎮座するゲバヘルの山だろう。「全共闘」、「空港粉砕」等書かれたヘルメットが並べられており、その付近にはゲバ棒が置かれ、スローガンの書かれた横断幕が掲げられていた。資料として何度も見たことあるものではあるが、実際にこの量の陳列されたゲバヘルは圧巻だ。

空港粉砕!

 歴史館を出ると、車には乗らず徒歩で次の目的地へ向かう。歴史館から少し歩いたとこにあるとされる岩山鉄塔を目指す。遠くから見ても鉄塔が雑木林の中にあるのがよく分かる。無論案内板など立っている訳でもないので、地図と肉眼で見える鉄塔を参考にしながらどうにか近くまで続いている道はないか探していた。それらしいものを見つける。そこは塀に囲まれ工事現場の搬入口のような様相を呈していた。向こう側が観察できるようになっている大きな金網の扉はしっかり閉じられており、その奥には例の鉄塔が見えた。
 別に無理にこじ開けて入る気もなかったので、鉄塔の存在とそこへ続くと思われる道を発見したことに満足して、そそくさと鉄塔を後にする。今回の三里塚散策最後の目的地に向かうことにした。

開かずのフェンスの向こうに鉄塔が見える

 最後の目的地は東峰神社だ。歴史館のある辺りと東峰地区までは結構な距離がある。今回車を選んだ理由は、この距離の隔たった二つのスポット両方訪れるためでもある。東峰神社周辺は三里塚物産の建物や北原派の農家の家などもあるエリアであるため、警察含めどんな人間がいるか分らない。それなりの注意を払いながら運転する。最寄りのコンビニを越え、目的地に近づくと交通量の少ない道に入り、辺りが閑散としてきた。いよいよ神社周辺に差し掛かったとき、鬼が出るか蛇が出るかと警戒していたそのエリアには大量の乗用車が駐車してあり、老若男女幅広い年齢層の人々が辺りをうろついていた。これには大変驚いた。驚きながら神社の前まで続く道に入ると、神社周りにもたくさんの車が停まっている。どうやらこの辺りは空港に発着する飛行機の撮影スポットらしくカメラを携えた人が行き交っていた。飛行機マニアで賑わう神社の前の光景に、警察や活動家とのネガティブな鉢合わせを警戒していた身としては大分拍子抜けした。多くのマニア達もこの神社のいきさつに詳しいわけでもないのか、大半は神社に見向きもせず飛行機が来る方向にカメラを構えるのみである。たまに「近くに神社があるし記念に」みたいなノリで子連れなどが軽く参拝していた。まさかこの土地が飛行機の絶好の撮影場所になっているとは思わなかった。なんとも皮肉な話である。

東峰神社と飛行機。このエリアは飛行機の撮影スポットになっており、車を停めて飛行機と激写する人もいた。

 神社の境内はこじんまりとしている。拝殿と言って良いのか、賽銭箱の置かれたそこは、祠と表現したくなるような印象を与える簡素な作りだった。というか賽銭箱じゃなくて賽銭するための器が置かれていただけだった気がする(記事を書いている現在、訪問から1ヶ月も時間が経ってしまっており、この辺りは記憶が曖昧である。)。脇には「皇紀二千六百年記念」と刻まれた石碑が佇んでいる。東峰神社と書かれた社号碑の裏側には航空神社と彫り込まれていた。

皇紀二千六百年と刻まれている

 概して三里塚訪問は愉快な経験であった。実際闘争で使用されたゲバヘルや今も残る闘争現場を実際に自分の目で見ることができた。特に東峰地区は飛行機を撮ろうとする人で溢れており、まるで今までの闘争の歴史なんかすっかり忘却したのではないかとさえ思う景色だった。だが、神社へ続く袋小路と背の高い有刺鉄線付きの壁、そして嫌に広い待避場所は、実際にいるかどうかを別にして警察の存在を匂わせていた。まあこの待避所のおかげで帰り際、慣れない大型車での切り返しを比較的簡単に成功させることができたのはありがたかった。この訪問にあたって外山合宿のOBの先輩に幾つか助言をいただいた。そのおかげもあってか今回の訪問はトラブルに巻き込まれることもなく滞りないまま終了することができた。何も知らない状態で気軽にいって良い場所ではないが、歴史的背景を知った上でなら訪問する価値はある場所だと思う。

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