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『小泉放談』読んだ。

ずいぶん前からカミさんに「面白いから読んでみな」と勧められていて、老眼を苦になかなか手をつけてなかった。

小泉今日子が50代を迎えるにあたり、愛すべき“女性としてのセンパイ”たちに話を聴く対談集という感じの本なんだけど、僕も47歳になり“アラフィフ”の仲間入りをするんだという思いで、ようやく読んでみた。

この本を読むにはいちばんいい時期に読めたんじゃないかなと思う。

なるほど本の中での“お年頃”が近いだけあって、「なるほどなぁ」もしばしばだし、「わかるわかる!」も多々。

総じて心に残ったのは、「50歳くらいからのほうが女は(たぶん男も)楽しく、楽に生きられるんじゃないか?」っていうことで、もしそうじゃないなら、そうなるようにもうちょっと頑張ったり、自分を見つめ直してみたりしたほうがいいよねっていう感じかな。

「経済的な安定」とか「大人の余裕」とかってニュアンスじゃあなくて、「分相応でいいじゃないって思える快適さ」っていうのかな。

この本に出てくる人たちは、小泉今日子も含めて「ひとかどの人たち」ばかりなんだけど、じゃあ「へいへいぼんぼんな僕」には遠い話かって言ったらそうでもなくて。「分相応な快適」って人それぞれに相対的なもんだから、そういうところに落ち着けるのが普遍的に50代っていうお年頃なのかなと思う。

現代の日本に生きる多くの人にとって、人生のラスボスって“自意識”なんじゃないかなって僕は思ってる。この自意識ってヤツをやっつけたら、すっごい生きやすいんじゃないかなって薄々感づいてた40代なかば。47歳になって僕はまだこのラスボスにトドメは刺しきれていないけれど、勝ちは見えてきたって感じはする(笑)。あと3年で勝ち越すぞ。

そして50代が楽しみになった。そういう本だった。



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