子どもの可能性をどれだけ制限してきたのか

今日、ものすごくうれしいことが起こりました。一方でそのことは反省しなければいけないことでもあります。この素晴らしい体験を書きとどめずにはいられません。

【中1・数学の授業で】

中1の一部の数学の教科書には「数学では0で割ることを考えていない。なぜならば…」という説明が入っています。メイントピックではないのでスルーすることも多いと思います。ただ、私はこの話が好きなので深掘りしてみました。以下に書いたように、今日の内容は中1でするような話ではないのですが…


【高2の極限の話】

「0で割ることは考えられないのだが、割る数を0に近づけたらどうなるか考えてみよう」

「妄想の世界だと思って」という前書きのもとで10÷xの計算でxをどんどん0に近い値にして計算しました。

これは「x→0ならば、1/x →∞である」という高2で初めて触れる極限の話です。また、「lim」を使った書き方もおしえました。

「パターンをみると、10÷0の結果は∞になるかのように思える。0で割ってはいけなかったはずなのに、無限という結果が見えてくる。」と話しました。多くの生徒がしっかり理解してくれて私としても満足でした。

中1でも高2の内容が理解できる!という喜びです。

【授業のあとで】

そのあと、授業の満足感を超える喜びが待っていました。
1人の男子生徒が、「先生、x→0だから、マイナスの方から近づけたら結果はマイナス無限じゃないですか?」と授業後に質問に来ました。

彼は、私の話をちゃんとうのみにせず、さらには右極限と左極限の存在に気づいたのです。これには驚きました。
高校生に教えていても、すぐさまその違いに気づく子は珍しいです。むしろ、中学生だからこそ気づいたのかもしれません。


【私の反省点、私たちの反省点】

この喜ばしい、数学を愛する者にとって身震いするような体験は、同時に教員に対する警鐘でもあります。

「我々教員は、子どもたちの可能性をどれほど制限してきたのだろうか」

この問いがいま、私の頭を駆け巡っています。
学習年齢に縛られすぎていないだろうか。カリキュラムに縛られていないか。自分の授業は、子どもたちをどこまで連れていけるのだろうか。


彼らがどこまで広い世界を体験できるのかを私たち大人が制限しているんだ、と私は考えます。私が、「中1には極限は早いよ~」と制限しようとしていたように。そして私は今まで、どれほど制限しているのかちゃんと分からずに教壇に立ち続けた。それも満足しながら。自分の教え方に自信を持ちながら。

でも、振り返ると私もカリキュラムに縛られた教え方だったのです。そのカリキュラムの枠がすべての子に当てはまらないのでは?という疑問さえも抱かずに、です。


私は、今日の素晴らしい喜びとともに、今までミスをしていたことにも気づけました。

私は教員として、「私の授業は、子どもたちをどこまで連れていくのか?」を考えなくてはと思いました。
これは気軽な問いではないです。いつも考えなくてはいけません。


遠くまで見通せる授業にしなくては。それも思ったよりも遠くまで。






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