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「アイロニーほど真摯なものはない」

こんばんは、臼井隆志です。アートの探索マガジンを更新します。

今日は、「アーティストトレース」の活動について綴ります。

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黒澤友貴さんとともに、「アーティストトレース」という研究活動を立ち上げてからはや1年半になる。

アーティストトレースは、「アーティストをマーケティングのフレームワークで分析してみたら何がわかるだろうか?」という問いを実験する活動から始まったものだ。

初めに、少しだけ、なぜ子どもとアーティストとのワークショップデザインを専門としてきた自分が、「マーケティング」という縁遠かった分野との関わりに興味を惹かれているのか、書いてみたい。

「ビジネスにアート思考を生かす」というような視点で関心があるわけではない。ぼくの目的はあくまで、アートの観客をつくることにある。その点において、「アーティストの作品や経験が、ビジネスパーソンのスキル構築やキャリア形成のヒントになりえる」ということが解き明かされれば、ビジネスパーソンがアートの観客になっていくこともあり得る。

アートの観客が増えれば、その人が子どもを育てるときに、アート教育に触れさせたいと願うことも増えるだろう。そのようにして、アートエデュケーションの裾野を広げていくことがぼくの素朴な願いである。

そんな思いもあいまって、ビジネススキルの構築やキャリア形成と、アーティストの経験や作品がどのように関係しているのかを、いまあれこれと紐解こうとしている最中だ。黒澤さんと毎月イベントを実施してきたが、今月は対談動画を収録してみた。

動画の中では、マーケティング、デザイン思考、アート思考を比較しながら、ブルーノ・ムナーリについて考察している。ムナーリが体現する、問題を発見し、定義し、解決するプロセスのなかには、それらの思考が混在しているように感じられる。ムナーリが、まるでマルセル・デュシャンのようなコンセプチュアルアーティストであった点にも話が及んでいる。

また、いわゆる営利目的の企業とはことなる、NPOなどの社会企業文脈とアーティストの類推についても語られた。黒澤さんが理事を勤めるNPO法人パレットは、宗教的にタブー視されていたスリランカで障害者雇用の施設をつくるなど、賛否両論を巻き起こす活動を展開されてきた。その根源にある怒りと、実践に伴うアイロニーは、アーティストと似たものを想起させる。

そのような社会起業活動は、「参加型アート/ソーシャリーエンゲージドアート」と言われるものにも通づるものがある。社会包摂の芸術とは、分断され階層化されたコミュニティを混ぜ返すことを目的に、コミュニティで演劇をつくったり、建築をつくったりする活動の総称であるが、こうした活動は市民の「創造性」を活性化し、その土地の価値向上にも寄与しうるとして、『クリエイティブ資本論』で語られたような新しい資本主義のあり方とも通底する。(ただ、それがアートの目的なのか?という問いは、『人工地獄』でクレア・ビショップが痛烈につきつけている)

最後に、「アイロニーと真摯さの両立」について話が及んだ。ビジネスにおいては、真摯さが何より重要であるとピーター・ドラッカーは言った。アートにおいて、ハンス・ウルリッヒ=オブリストは「アイロニーと真摯さはどちらが欠けても存在できない」と語っている。

アーティストは作品において、社会への批判や皮肉を込めることがある。ただ、それが単なる皮肉ではなく、社会や人間や生命のことを真摯に考えるがゆえに取られている姿勢でなければ、作品は説得力をもたない。こうした姿勢から私たちが学べることは何かを語った。

アーティストトレースの活動は、今後もオープンに進めていく予定だ。

その探求を共にしてくださる方には、是非動画をご覧いただき、ご意見をいただきたい。有料部分にて、動画を公開している。

*動画内では「ユーモア」と「アイロニー」という言葉を用いているが、ヘッダーの画像では「アイロニー」という言葉に統一した。

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