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愛すべきマネジメントの反面教師。Aさんとの出会いから学んだファシリテーション型マネジメント

ぼくはいまCULTIBASE Schoolというサービスでラーニングファシリテーターとして講座を運営しています。

そのなかで「ファシリテーション型マネジメントコース」を担当しており、そこで課題を出しています。「ファシリテーション型マネジメントと矛盾するが、自分に影響を与えたマネージャー」というお題で「作文」を書くというものです。

その課題のサンプルとして、本記事を執筆しました。

この記事では、ぼく自身がかつて参加していた事業のリーダー的存在であったAさんとの出会いから学んだ経験を紹介します。Aさんは、いわば放任型のマネジメントであり、抽象的な概念を伝えて具体的な方法を示さないスタイルでした。当時はそれが難しいと感じていましたが、この文章を書くことを通して、のちに彼の姿勢が私のマネジメントスタイルに影響を与えていたことを再発見しました。

ファシリテーション型マネジメントと矛盾するかもしれないが、私をかたちづくっているリーダーの話

「ファシリテーション型マネジメント」とは、人とチームの成長と事業価値を最大化するための、システムとカルチャーを構築することである。

「ファシリテーション型マネジメントの考え方と矛盾するが、自分に影響を与えたマネージャー」というお題が出たので、書いてみる。このお題を聞いて思い浮かべるのはぼくの前職でプロジェクトディレクターをされていたAさんだった。Aさんは上司ではなく、別の会社の所属で、ぼくの所属企業から依頼されたディレクター・アドバイザーの立場だったが、日々の関わりが深い存在だった。

Aさんとの日々

ぼくの前職は、某百貨店が新規事業として教育に着手した経緯から、0~6歳に向けた早期幼児教育サービスを立ち上げる仕事だった。その事業のディレクターをつとめるAさんは、20年のキャリアを持ち、非常に優れたワークショップ設計者、ファシリテーターであり、アーティストでもあった。いわゆるガハハ系で、いつもどんな状況でも楽しそうにしている様には狂気すら感じる。純粋に尊敬し、憧れていたAさんと働けることが嬉しくて、当時は毎日ワクワクしていた。

しかし、Aさんのリーダーシップというかマネジメントのあり方は、手段を一切提示せず、抽象的な概念のみを提示する方法で、いわば放任型だったと言える。困っている時は相談に乗ってくれたが、抽象的な概念ではぐらかされる感覚があった。だから具体的な方法は全て自分で考えなければならなかった。

なんども「手本を見せてください!」「具体的なかたちで教えてください!」と直訴したが、そのたびに「それは臼井君が考えることじゃん」といって、「まあ、大切なのは〇〇〇〇を考えるということです(ガハハ)」と、抽象的な話と冗談でまとめられてしまうのだった。

予算が少ない事業だったので、子どもたちが使う教材を自分でDIYすることが基本だった。DIYが趣味だったAさんは、「それぼくがやりたい!」といって子どものように夢中になって手伝ってくれたこともあった。だから「Aさんって、むちゃくちゃ抽象的なことか、むちゃくちゃ具体的なことしかしないですよね」とフィードバックしたこともあった。

Aさんから憑った3つの癖

こうしてふりかえってみると、今プロジェクトをマネジメントする立場になって、彼の姿勢と似ている部分があると感じる。そしてそれはいくつもある。癖が憑っている。

一つは、具体の話よりも抽象の話を優先する癖だ。

タスクややり方を指示するのではなく、「こういうことが大切だと思う」と伝え、対話し、その仕事の目的を合意して、具体的なやり方は任せた方が、メンバーの主体性が引き出されるからだと感じている。ただ、Aさんを反面教師として、自分が困った経験が強迫観念になっているのかもしれないが、「たとえば」と前置きして具体例を出すのも同時にやってしまう。それがメンバーの発想を縛っている可能性もあるが、一つの癖になっている。

二つめに、むちゃくちゃ具体的なものをつくりたくなってしまうときがある点だ。

ワークショップを活用したプロジェクトにおいて、本番で使うスライドをちょっとだけ自分でつくってしまったり、ワークの一部をつくってしまったりするときがある。それによって場の質が上がったと感じることもあるから、手触りが得られるのだ。急に手触り感を欲するところは、いまおもえばAさんに似たのかもしれない。

三つめは、深刻な議題や相談をあつかっているときにでも、自分で適当なことをいって笑い出してしまう癖だ。

本当に深刻なときはさすがにやらないが、みんなが真面目な顔をしているときにでも、しょうもない冗談をいって1人で笑っているときがある。ぼくにとって笑いは発作みたいなもので、昔から親に怒られていても笑ってしまう変な子だったのだが、いつもガハハと笑うAさんにとっても、発作のようなものだったのかもなと思う。その発作によって、場の空気がどうなっているのかはわからない。ほぐれているのかもしれないし、かつてのぼくのように、ちょっとだけはぐらかされたな思いをしている人もいるかもしれない。

どうでもいいが「ほぐれる」と「はぐらかされる」という言葉は語感が似ている。具体的な手段を知りたがっていたぼくをはぐらかしながら、その緊張をほぐし、目的から考えてみようと問い直していたのがAさんのマネジメントだったのかもしれない。

Aさんから学んだファシリテーション型マネジメント

こうしてふりかえってみると、Aさんのふるまいは総じてファシリテーションだったように思う。

というかぼくが彼を尊敬しているから、そう思いたいだけなのかもしれない。反面教師にしている部分ばかりを意識していたが、おもえば彼の身振りを無意識に参照し、日々の実践にとりいれている節があったことに、この作文を通じて気づいてしまったかもしれない。

「人のふり見て我がふり直せ」というが、人の身振りは憑る。その憑き物としての他人の身振りを、振り落とすべきか、大切にすべきか、悩ましいところだ。


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