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〈ブラブラ〉が育まれるまち_東池袋エリアから考える(後編:暮らしのプラスαとしてのブラブラ)|「都市空間生態学から見る、街づくりのこれから」vol.10

前回に引き続き、旧日出町界隈を含む、豊島区池袋エリアでコミュニティづくりに携わってこられた中島明氏(としま会議 代表、RYOZAN PARK インキュベーションマネージャー)のヒアリングをお届けする。

前編では、社会実験を行った2018~2019年当時から現在までの4年間、交通のモードの変化や子どもの遊び場の増加など、社会実験でも変化が求められていることが明らかであった要素が、ここに来て次々と実現しつつある状況をお伺いできた。そこには、南池袋公園にはじまり、豊島区が力を入れてきた公園整備の第二弾としてイケ・サンパークが旧日出町界隈にオープンしたことの影響も指摘されたが、やはり何より地域に住まい暮らす人々の主体的な取り組みの継続の大きさがあらためて印象付けられたヒアリングでもあった。

後編である今回は、中島さんの仲間たちの取り組みのさらなる発展的な動向や、それらが企業などの大きな変化を起こす力にどう結びつきつつあるか、一方で商店街というかたち自体には何がしか新しい考え方が求められている現状についてお話を伺い、商業地域ではない、住み暮らすことを基軸としたまちの〈ブラブラ〉について考えてみたい。

中島明さん(右)と筆者(左)。イケ・サンパーク(豊島区立としまみどりの防災公園)にて。(撮影:編集部)

企業が積極的に、街の魅力アップに取り組む


中島
 ちょうど木内さんとイベントをやった2018〜19年頃に仲間と蒔いた種が、大輪の花とまではいきませんが咲き始めていて、そしてその花の種がまた色々なところに根を宿している時期なのかもしれません。
例えば大きな組織の話で言うと、地域に土着化した店舗づくりを目指している良品計画さんは、それを地元の池袋で先行して取り組んでいました。そのひとつの例が、まちの仲間でnestの代表を務める青木純さんが2017年からやっている「まちなかリビング」を広げていくプロジェクト『IKEBUKURO LIVING LOOP』です。このまちの仲間たちではじめた取り組みに、今、良品計画・サンシャインシティ・グリップセカンドさんという地元企業3社が加わり、盛り上げるようになりました。これは南池袋公園とグリーン大通りを中心とした取り組みですが、こうやって大きな企業がフルコミットしてまちを盛り上げてくれるのは本当にありがたいことですよね。

IKEBUKURO LIVING LOOP。グリーン大通りに設置されたストリートファニチャーでくつろぐ人びと。(提供:中島明)

サンシャインシティは、元々三菱地所グループで大丸有のエリアマネジメントをやられていた合場直人さんが2018年に社長就任しました。もう箱の中だけ考えるんじゃなくてエリアの価値を高めていってこそより箱が引き立つ、という想いから2020年に地域と共にまちづくりに取り組む「まちづくり」推進部という部署をつくられたんですよ。ついにサンシャインシティが本腰を入れてまちづくりやエリアリノベーションをやり始めたという印象です。やはりこれもここ数年の話です。

「日の出ファクトリー」や「としま会議」が産んだ新たな繋がり


木内
 西池袋の、ニシイケバレイってあるじゃないですか。

中島 今、そこに住んでいるんですよ。2022年の6月に引っ越したばかりです。

木内 そうなんですか! 飲食店からアトリエ、シェアスペース、レジデンスまである複合的な空間ですが、あそこって素晴らしいですよね。西池袋の大スケールのビル群の中にあって、ヒューマンスケールで人と人との繋がりが生まれている。
オープンが2020年なので、私が研究をやっていた時はまだなかったわけですが、あのようなスケール感の場所が東池袋エリアにも出てくると面白いんだろうなと当時は考えていました。

ニシイケバレイは、どのようなきっかけであの場所をあのように使えるようになったのでしょうか?

中島 代々、あのエリアの土地を継いできたオーナーの深野さんという方がいるのですが、豊島区の各所で起き始めていた動き、特に古い建物をリノベーションして活用するみたいな動きをずっと知ってくださっていたんです。動きが一気に起き始めたのは、先代から代替わりしたタイミング。気づいたら、次々と新たな動きを仕掛ける存在になりました。
これは、よく深野さんがおっしゃってくださるのですが、ニシイケバレイのプロジェクトメンバーは、としま会議で繋がった面々なんです。建物の設計は雑司ヶ谷の建築家の須藤剛さん。全体のプロデュースは椎名町の商店街で「シーナと一平」というまちやどをやられている日神山晃一さん。プロモーションはご夫婦で「世界のおやつ」なども手がけられている鈴木英嗣さん。コミュニティマネージャーは自身もパティシエとして活躍されている桜井亜弓さん。さらに、マンション管理に日神山さんともプロジェクトを共にする木本孝広さんまで入っています。言ってしまえばとしま会議オールスターズ。知らぬ間にスペシャルチームができていて、一気に一帯の空気が変わりました。

木内 深野さんのように「やってみよう」と言ってくれるオーナーがいるかいないかは、とても大きいですよね。そして、いざやってみようとなった時に、すぐにプロジェクトチームを組める人たちがとしま会議を通して周りにいたのも、また大きな要因ですね。

ハロウィーンイベント開催時のニシイケバレイ。(提供:中島明)

中島 ニシイケバレイに触発されたという方が西池袋にいるんですよ。譲り受けた3階建てのビルをリノベーションして、1階にナチュールワインの店を直営でやり出したりして。ほかにも、南池袋公園に隣接しているビルのオーナーが1階にブルーボトルを誘致してきたりと色々と動きがあります。この動きが、東池袋側にも伝播すればいいなと思います。

木内 そうですね。東池袋でも、ひとつでもこういった動きがあると、周囲も触発されていきそうですね。

中島 東池袋でも、古民家を編み物作家さんたちに貸し出しているという動きはありますね。

木内 こうしてお話をお聞きしていると、先ほどもお話されていたように、中島さんやその仲間が日の出ファクトリーやとしま会議で蒔いた種が咲いて、また新たな種を蒔いているのだと実感しますね。

中島 すべてが一直線の流れの中にあるわけではないですが、9年前にとしま会議を始めて、その後日の出ファクトリーもつくり、マルシェをやったり色々な活動をしながら想像していた景色が、今色々な点が交差することで立ち上がってきましたね。日の出ファクトリーは残念ながら諸事情により閉めてしまいましたが、今も続いているとしま会議では、これからもまちの人びとを繋いでいきたいです。

としま会議を続けていて、私自身もターニングポイントに来ているような気がしています。というのも、これまでは30〜40代の同世代とのコネクションが多かったのですが、これからはまちの重鎮たちともいよいよ交流していこうかというタイミングになっているんですよね。

豊島会議でのひとコマ。最前列右端が中島さん。(提供:中島明)

ちょうど2022年が豊島区制90周年の節目で、そのセレモニーで登壇する方々はだいたいが80代なんです。彼らも、どうやって若い世代にバトンタッチしていこうかと考えていて、そんな時に「ちょっと中島くんに相談したいんだけど……」とお話をいただくことがすごく増えてきました。ありがたいことです。

私が、2020年に豊島区基本構想審議会の委員になったんですよ。それは呼ばれたわけじゃなくて、公募区民枠で入ったんです。そしたら、やはりまちの重鎮と呼ばれるような方々の私への見る目が変わったと言いますか、今までの活動で行政とも一緒に仕事をしてきて一部の界隈では知られててはいたけれど、まだまだ全然知られていなかったことを実感しました。

木内 そういうポジションに入ったという事実が、彼らには大事だったんですね。

中島 私自身、今までは審議会みたいな堅い場所は苦手だなという意識はあったんですが、「ちょっと行ってみようかな」という気持ちになっていたというのもありました。それで審議会に参加してみたら「君の周りには新しい動きをしている人たちがいるのね」「ぜひ紹介してほしい」という話になって。だから私自身、ようやく今、より広い視点でまちを考えられるようになってきたと思います。

私だけでなく、日の出ファクトリーのメンバーだった仲間たちもそれぞれ活躍していますね。サンシャインシティのグローカルカフェでワークショップをやる方だったり、付近のコワーキングスペースでコーディネーターをやる方だったり、皆それぞれに羽ばたいて種を撒き続けています。

商店街が衰退する現状をいかに捉えるべきか


木内
 中島さんの周りの方々が地道に積み上げてきた結果なのだと思います。一方で最後に日出優良商店会/共栄会エリアの今後についてもお伺いしたいです。暗い話をしたいわけでないのですが、研究でお世話になったお肉屋さんも店を閉めてしまいましたし、商店街全体でその流れは加速していますよね。

中島 そうですね。ついこの間も、美味しいおでん種屋さんが閉店してしまいました。

2019年10月19日(土)に実施された《ツギ_ツギ#07 東池袋のステキを「しる・めでる・そだてる」》にはおでん種屋「栄屋蒲鉾店」さんにも参加いただき、おいしいおでんをマイ弁当のメニューとして提供いただいていた。(提供:木内俊克)

木内 リアリティとして、商店街ではなくなっていく現状をどう捉えるべきなのか、研究であのエリアに着眼した身としては考えなきゃいけないことだと思っています。

社会実験をやってみて、あの都電を越えるちょっとした距離が大きな障壁になっているのがよくわかりました。実験でも、参加者にあのエリアを歩いてもらうのがかなり大変でした。

中島 ツギ_ツギをやられていた時から比べると、さらに空地が増えて道路を通すための準備が着々と進んでいますよね。それでより隔絶された感じがします。コロナによって長期間お休みされていたお店も多かったです。

木内 我々は2016〜17年にかけて台東区の三筋・小島・鳥越のエリアでも研究をしていて、先日、当時お世話になった遠藤さんという焼豚屋をやられている方にお話を聞いてきました。三筋・小島・鳥越エリアは、すぐ近くの蔵前がヒップなエリアになっていて、その余波で遠藤さんが店を構える「おかず横丁」にも少しずつ人の流れが生まれている状況でした。コロナが街の内側にあるリソースを見つめ直すきっかけになり、同じ商店街のお味噌屋さんとコラボ商品をつくるに至り、それを求めに周辺に新しく建ったマンションの人たちも来店してるそうです。

おかず横丁でも、商店街自体のお店の数は少なくなってきているけれど代替わりはしていて、若大将同士の交流もある。それはいいなと思いました。

一方で、日出優良商店会/共栄会エリアは、台東区に比べるとやはり住宅地なんですよね。だから無理に商店街が商店街然とすることを目指すよりも、「いかに暮らしの空間としてそこで豊かな風景を築けるか」という方向にシフトしても良いのではないか、と改めて思うところもあります。

中島 抗えないですよね。我々はお肉屋さんに残ってもらいたいと思うけど、彼らはもう無理と思っているかもしれません。大事なのは、あのエリアに開発が入った時に、いかに街の価値を残したまま時代に適合させながら進化させられるかですね。

そう考えた時に、先ほどの例に挙げたUR、サンシャインシティ、良品計画などの企業は「まちの価値ある生態系を残す」といったDNAを受け継いで奮闘されていると思います。俯瞰すると、確かにこのエリアの建物やコンテンツは衰退していく運命にあるのかもしれませんが、今後、今挙げた企業がどのようにまちを引っ張っていくのか期待したいですよね。その時に私を始めとした、まちの人びとを繋ぐ役割を持った人たちが果たす役割も大きくなると思います。

2018年に続き開催された、2019年10月19日(土)の《ツギ_ツギ#07 東池袋のステキを「しる・めでる・そだてる」》でも、子どもたちが空き地で工作を楽しむ《ハロウィン城をつくろう》のイベントは大人気をはくし、子育て世代に向けたプログラムの確かな需要が確認された。(提供:木内俊克)

前編に続き、ここ4年で旧日出町界隈に起こった変化について中島さんに伺った。商業地域として発展した台東区、三筋・小島・鳥越エリアとの違いという点では、子どもの遊び場がパブリックスペースの主軸になる点など、地域に住まい暮らす人たちがまちを求めている主体であること、またその住まい手たちがいかに楽しく、より豊かに暮らせるかの工夫の延長上にまちづくりがあること、そしてその積み重ねが花開き、この4年間で公共や地域企業とも結びつき確実な変化に繋がりつつあることが見えてきた。

一方で、そうした価値観と必ずしも一致しきらないまちのあり方には継続の難しさが垣間見えているのかもしれない。たとえば商店街の担い手が減っていく現状は、この地域でいまもっともエネルギーがあると思われる子育て世代の住まい手たちにとっても、暮らしの延長上で守っていくには負荷が大きすぎるものである可能性がある。そこでしか手に入れられない、地元商店街のローカルなお惣菜は、受け手の目線としてはとても魅力的だという評判は2018-2019年のまちめぐり社会実験の際にも聞かれた声だが、その担い手の問題は別次元の話かもしれない。

またこうした議論の中から見えてくることとして、住まう機能が主要なまちにとっての〈ブラブラ〉とは、必ずしも地理的な分散やそのネットワークである必要もないのかもしれない。むしろアクセスが簡単な固定的にしつらえられた場所(たとえばひがいけポンドのような)にあって、通りすがるたびに変化があり、偶然立ち寄りたくなるような出会いが待っているという意味での〈ブラブラ〉、日常の時間の中におとずれる〈ブラブラ〉がむしろ好ましいものなのかもしれない。それは関係性の〈ブラブラ〉であるし、一つの場所を一主体だけで経済的にまかなっていく形ではなく、複数の主体が少しずつ自分の日常の延長で支えていくようなあり方は、住まい暮らすエリアにつくる+αの価値を生む場所としてもピンとくる。

住宅地における商店街も、あるいはそのような考え方にのせた運用、たとえばシェアキッチン的に地域の誰もが利用でき、自分の家のリビングの延長のように利用できる仕組みがつくれれば、新しいかたちにつくりかえていくことができるのかもしれない。

木内俊克(きうち・としかつ)
京都工芸繊維大学 未来デザイン工学機構 特任准教授/砂木 共同代表
東京都生まれ。2004年東京大学大学院建築学専攻修了後、Diller Scofidio + Renfro (2005〜07年)、R&Sie(n) Architects (2007〜11年) を経て、2012年に木内建築計画事務所設立。2021年より株式会社砂木を砂山太一と共同で設立。Web、プロダクト、展示、建築/街づくりの企画から設計まで、情報のデザインを軸に領域を越えて取り組んでいる。教育研究活動では、2015~2018年 東京大学建築学専攻 助教などを経て、2022年より現職。2015~2020年に在籍した東京大学Design Think Tankでは、このnoteでも取り上げている「都市空間生態学」の研究を担当。代表作に都市の残余空間をパブリックスペース化した『オブジェクトディスコ』(2016)など。第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示参加。


イラスト
藤巻佐有梨(atelier fujirooll)

デザイン
綱島卓也(山をおりる)