見出し画像

眼福

米津玄師の眼福という曲と出会って、眼福という言葉を初めて知ったという人はどれくらいいるだろう

僕は、この眼福という言葉を高校時代、今から15年ほど前に知った。
というのも、現代文の教科書に載っていた、俵万智の「情けは人の…」というエッセイにその言葉が使われていた。何か美しいものや景色を見た際に「眼福」と表現する筆者と、その言葉に興味津々なボーイフレンドの会話の中で、その言葉の意味を知った。

最近、射倖心という言葉を知って、その言葉の面白さ、使ってみたくなる気持ちになった時に眼福という言葉を思い出して、久しぶりにそのエッセイを読んでみた。

新しい言葉や知らない言葉を共有することの楽しさについて書いていて、言葉を楽しめる男性でないと魅力的に感じないというようなことも書いていた。
いやでも、すごくわかる。言葉の話でなくても、自分が大切にしていること、例えば音楽、漫画、映画のようなサブカルチャーに全く頓着のない人と話をしても楽しめない。どれか一つでも話せられたらいいんだけど、一個も共通の話題がないと仲良くできない。と思う。というか経験上そう。

言葉という括りにしたって、米津玄師の眼福という曲に出会って初めて眼福という言葉を知ったときに、その言葉の意味を調べるような人であって欲しい。
今はスマホで簡単に調べられる時代だしね。

そういえば、「ボーイフレンド」と上に書かれていた表現を見て、どのように解釈しますか?
僕は「彼氏」と受け取ったんだけど、エッセイの中では「ボーイフレンドの1人に」のような表現を使っていて、そこでようやく「彼氏」ではなく「男友達」を指していると気づいた。もちろんそういう意味があることはわかっているんだけど、現代ではボーイフレンドを「ただの男友達」として使う人は少ないんじゃないかな。
言葉の意味がほんの少しだけ、この文章が書かれたときと変わっているのかも。とガールフレンドと話が出来た。その会話ができることが楽しい。

俵万智さんは特にこだわりを持っているようで、ちょっとした誤用でスッと冷めてしまうと書いていた。笑
情けは人のためならずを、情けをかけることは、その人のためにならない、という意味で覚えてしまっている人は多いと思う。
あれ?違うの?と思った人はぜひ調べてみてね。

小学校から高校までの間に国語、現代文の教科書に載っていた文章はたくさんあるけど、特に心に残っている文章だな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?