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人生で1番ささやかで、1番愛おしい不幸:嘘5割

お久しぶりです、〻ゞです。僕のnoteを「久しぶり」と思うほどに待っている人がいるかは置いといて、忙しさのピークを乗り越えたので書こうと思います。さて嘘は5割です。トントン拍子でいきましょう。

さっきYouTube観ながらFUTABAのサクレレモンを食べようと蓋を開けたら、上に乗っかってるレモンにめっちゃ種が付いていました。(ヘッダー画像の繰り返しになりますが悪しからず)

最近ハマったサクレですが、なんとなくこういう商品って種取ってるんやろうな、と勝手に思っている節がありました。
そんな矢先にこれですよ。なんだかくすぐったくて、1人で笑っちゃいました。なんか俺らしいなあ、と。
加えて、種が入ってることに変に安心しました。この安心がどこから来たのか自分でも見当がつきませんが、とりあえず種が入っていたことに対して負の感情なんて全く無くって、逆に少し視界がひらけた気がします。

一口に「不幸」と言ってもやっぱり程度があって、大きな怪我だったり、車に水をかけられたり、ラス1の商品がちょうど無くなったり、蚊に血を吸われたり、小指をぶつけたり、じゃんけんに負けたり。
須く「不幸」だけどその中でも「サクレに種がめっちゃ入ってる」っていうのは、もはや不幸と呼ぶのも烏滸がましいほど可愛く愛おしいものでした。というか、僕の中ではなんでも無いんだけど、これを「不幸」と呼んであげないとなんだか可哀想に感じちゃったってのがしっくり来ます。この小さな不幸の裏に隠れた小さな素片が泣き出してしまいそうで。

バタフライエフェクトとはよく言ったもので、些細な出来事が後々に響くことは往々にしてあることです。裏を返せば、どんな出来事にも発生要因があって、理由があって、本質的な役割があるんだと思います。
このレモンの種にだって今日この時間に僕の目の前に現れる理由があって、それまで冷凍室でそのタイミングを伺ってたって考えるとすげえ可愛いじゃ無いですか。
僕は理由こじつけ大好きマンなので(なんか1語で表す用語ありそうやな)、そんなことを日々考えながら生きています。

美味しくサクレを完食し、このnoteを書く深夜2時。素敵すぎません?
ある種時間と心に余裕が無いと達成できません。きっと、半月前の自分だったら普通にキレていました。なんか精神的な成長を感じましたね。
忙しさに身を焦がし始めてからnoteの記事を2、3個更新しましたが、読み返してみると文章に焦りと余裕の無さがありありと浮かんでいました。「あぁ、コイツ無理してんな」みたいな文章で、やはり多忙は人を肉体的にも精神的にも殺すんだなあと再確認しましたね。

今回のささやかな不幸を楽しむ余裕が自分にあったのは想定外でした。きっとサクレの種たちは、これを僕に伝えるために入ってくれてたんですかね。原初的な「種を残す」という本能(植物だから語弊があるけど)から逸脱したけど、少なくとも僕にとってはありがたくて可愛い存在でした。ありがとうね。

今日実はお気にのTシャツ3枚が色移りでおじゃんになってしまい、嵩むクリーニング代に頭をぶん殴られてしょげていたのですが、まあどうにかなるでしょう。それでもっと良い状態になってくれたらハッピーやね。

さて、つらつらと書きましたがこんな感じでしょうか。僕はnoteにオチをつけようとすると、「〇〇だからね、でも△△でもあるからね。」みたいなどっちつかずになっちゃう節があるんすよね。でも正直マジでそう思ってるからなあ、とか思ってます。

ま、また読んでくれればと思います。おやすみ。

P.S.
フタバ食品株式会社様のサクレレモンのリンクを貼っておきます。(このご時世では胡散臭いけどここ踏むと飛べます)
めっちゃ有名商品ですが、万が一食べたことない方がいらっしゃいましたら是非一度ご賞味ください。めっっっっっちゃうめえでやんの。最高です。

(なんかのバグでもしフタバ食品株式会社の方が見ていたらアレなので明言しておきますが、マジで種が入ってたことについてはなんも思ってません。なんならちょっと嬉しかったです。これからもサクレレモンに限らず素敵な商品を作り続けて頂ければと思います。)

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