見出し画像

どこかの誰かが夢を掴む瞬間は、それが誰であれこの世で1番美しい:嘘4割

 こんにちは。〻ゞです。勉強に疲れて少しだらついてきたんで、1回区切りとしてなんか書こうと思います。今日は嘘4割と割りかし控えめなので、気を抜かずもバランスよく書いていきたいと思います。

 僕には大学1年生の頃から続けている習慣みたいなものがあります。それは、「泣きたくなったらAGT、BGT、The X Factorなどの海外オーディション番組を見る」ことです。演者が出て、自身の背景をまとめたショートムービーが流れて、パフォーマンスをして、観客と審査員が絶賛して、夢が叶う。すげえ単純な物語で、そもそもYouTubeに上がってるやつはゴールデンブザーとか基本的に絶賛されているものが多いので、出てくる演者の成功が確約されているんですよね。
 「じゃあそこで何を見て泣くのか?」って話ですけど、僕はあの「勇気を持った一般市民のパフォーマンスを、プロの審査員からも、同じく一般市民の観衆からも等しく称賛され、そして夢が叶った瞬間の混じり気のない『喜び』を会場全体で分かち合っている」という事実が崇高すぎて涙が溢れるんですよね。実際に番組をずっと見ているわけでは無いし、演者や審査員のバックグラウンドなんてものはYouTubeの十数分程度じゃ推し量れないので彼らの輪郭を正しく捉えられてはいません。それでも十分に鮮明で美しい「喜び」を一身に感じ、僕は涙を流すのです。
 
 参加する演者も様々です。老若男女、自由不自由関係なく、パフォーマンスも(ほぼ)自由。十人十色のバックグラウンドがあって、伝えたいことがあって、野望があって、想いがあって、葛藤があって。緊張とともにパフォーマンスが始まり、強張った動きが緩やかになり。パフォーマンスが終わった瞬間の表情の綻びと達成感。万雷の拍手と起立する観客。鳴り響く歓声。眼前に広がるは自分のパフォーマンスを是とする人々の大海原。そこに立ち、すべてを出し切った人しか見ることのできない風景。自分の人生を全肯定されるような。慰労されるような。僕が全人生をかけても辿り着けないような光景が画面の向こうに広がっている。少しの羨望と、大きなリスペクトを込めて。
 
 最初の頃は「いいなあお前らは、努力が評価される場があって」みたいなすげぇ斜に構えたクソジェラシーメンヘラみたいな感じで涙を流してたんですけど、ここ2年は考え方が変わったのか分かりませんが凄いポジティブなスタンスで見ることができてます。

 海外だからこそのスケールの大きい感動で泣ける自分のことはすごく好きです。映画も簡単に泣いちゃうんで最近は恥ずかしくて行ってません(ぼっちが恥ずかしいのもある)。

 そんな感じでメンタル管理をしながら最近は生きてます。やっぱ定期的に泣かないと心のキャパがすぐいっぱいになっちゃう感じがしますね。知らないうちにたまってるんですかね。知らんけど。ちょい短いけど今日はこんな感じで。じゃあまた、メンタルが荒くれる時に会いましょう。

それでは。

P.S.(9/5追記)
このとき見てたアカウント無くなってました。転載だったのかな、仕方ないし見てて気付かない自分も憎い

いいなと思ったら応援しよう!