池袋行き各駅停車
北海道で汽車に乗った。小雪の舞う暗いホームで芯まで冷えきった身体を、ソファみたいにふかふかな座席に委ねると、もわっ、と足元に熱気を感じた。あったかい。思わず、真っ暗な窓の向こうに目をやる。文明はありがたいな、と感じると同時に、なんだか身体の奥底がむずむずとするような感じがして、ふいに中学生だった頃を思い出した。
中学生の頃、毎週土曜に練馬駅近くの塾に通っていた。帰る頃には日がとっぷりと暮れていて、冬だとけっこう冷える。通過する急行電車を眺めながら、身体が芯から冷えていくのに耐えつつ、池袋行きの準急か各駅停車を待つのがいつもの流れだった。運良く準急が来てくれれば池袋までノンストップだが、各駅停車しかないときもある。車体全体が黄色くペイントされた8両編成の池袋行き各駅停車。その日も、これしかないから、と最後部におもむろに乗り込んだ。
夜の上り電車なので、乗客は1両に4、5人くらいしかいない。赤いふかふかなロングシートの端席に座ると、直後、脚に強烈な熱波が押し寄せてきた。西武の黄色い電車は、冬は足元のヒーターが強めなのだ。気をつけないとやけどをしそうである。対して開け放たれたドアからは冷気が容赦なく押し寄せてくるので、暖かい足元と冷たいそれ以外との寒暖差に思わず身震いしてしまった。
やがてドアが閉まって、街明かりが右に流れ出した。あたたかい自分の座席。おぞましいほど寒い外。そのあまりのギャップに、ありがたいような、ラッキーなような、申し訳ないような、どうしようもない強い感動が湧き上がってきて、まだ冷たさの残る身体の芯がむずむずとした。
池袋行き各駅停車は、すぐに次の桜台駅に着いた。せっかく車内が暖まりかけたというのに容赦なく開け放たれるドア。再び寒暖差が襲ってきて、むずむずを抑えきれずに、ぶるっと身震いした。
桜台駅を出ると、池袋行き各駅停車は高架から地上に降りてきて、車窓には家々の灯や踏切の青いライトが流れるようになった。あの灯のついた家の一軒一軒も、自分が今いる座席のように暖かいのだろうか。寒さを逃れるように家にこもって、それぞれの生活をしているのだろうか。各家々の暮らしに思いを馳せている間に、池袋行き各駅停車は江古田駅に着いて、またも寒暖差の洗礼を受ける。東長崎、椎名町と身震いを繰り返すうちに、私はすっかり寒い夜に座る熱々の座席にやみつきになってしまったのである。
その日から私は、池袋駅までノンストップの準急ではなく、好んで池袋行き各駅停車に乗るようになった。古い電車の熱々の座席に腰掛けて、外の冷気を浴び、むずむずする。文明のありがたみに、暖かい座席にありつけたラッキー感に、外が寒いのに自分だけ暖まっている背徳感に浸る、池袋駅までのひとときが、一週間を締めくくる密かな楽しみになったのである。土曜夜に好きなテレビドラマがあったのもあると思うが、なにより池袋行き各駅停車に乗るのが楽しみで、冬が好きになったし、夜が好きになったし、土曜が楽しみになった。
ここは東京から1300km離れた北の大地だし、今日は土曜日ではないし、いま乗っているのは電車ではなく汽車である。外の気温は、あの日の練馬駅より15度くらい低い。窓の外に人家は見当たらず、真っ暗な雪原を雪が舞うばかりである。それでも、ふかふかな座席、熱すぎる足元のヒーター、身体を芯から冷やすような寒さは、今よりも感性豊かだったあの日の、むずむず、を呼び起こすには十分だった。高校に上がって以来、池袋行き各駅停車には乗っていないが、あの日の思い出は確実に原体験となっているのだろう。
もうすぐ終点の稚内に着く。終点。あの夜、ガラガラだった暖かい車内から、終点の池袋駅に降ろされたときを思い出す。人の群れに飲まれながら8両分のホームを歩く2分間が、少しずつ少しずつ、私を人間の世界に連れ戻してくれた。稚内駅に人の群れはできていないだろうが、またあの夜みたいに、人のいる日常にゆっくりと連れ帰してはくれないだろうか。ゆっくり、ゆっくりと。そんなつまらない期待をしながら、人家の灯の増えてきた雪・マイナス10℃をぼうっと眺めていた。
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